「獣医学部を全国で認可」発言で"自爆"した安倍首相

「正気の沙汰」とは思えない。「自爆行為」そのものである。

安倍首相は、6月24日に、講演の中で、「1校に限定して特区を認めた中途半端な妥協が、結果として国民的な疑念を招く一因となった。」「今治市だけに限定する必要は全くない。地域に関係なく、2校でも3校でも、意欲ある所にはどんどん新設を認めていく。」などと述べたとのことだ。

政府側の従来の主張を根底から否定するもの

この発言に対しては、様々な批判が行われているが、決定的なのは、安倍首相自身も、その周辺も、これまで、必死に「安倍首相は、獣医学部設置認可の問題に一切関わっていないし、具体的に関わる立場ではない。」と主張してきたことを、根底から否定するに等しいということだ。

総理大臣には、国家戦略特別区域法に基づく区域方針の決定等の「権限」が与えられている。

50年以上にわたって獣医学部の新設を認めてこなかった文科省の「認可行政」が、その「権限」によって覆され、安倍首相の「腹心の友」の加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園が経営する大学だけが、獣医学部新設を認められ加計氏を利する結果になったことは間違いない。

問題は、そこに、安倍首相がどのように関与していたのか、首相と加計理事長との関係が何らかの影響を与えていたのか否かであるが、安倍首相は、「獣医学部新設の認可」に関しては権限を一切行使することも、全く関わることもなく、自分とは全く関係ないところで行われたものだ」と説明し、国会で野党から質問を受ける度に、「自分は関わっていない」「指示したことはない」と関与を否定し、野党の質問自体を「印象操作だ」と言って逆に批判をしてきた。

そして、国家戦略特区を所管する山本幸三担当大臣も、和泉洋人内閣総理大臣補佐官も、萩生田光一官房副長官も、「安倍首相は、国家戦略特区での獣医学部の認可問題には一切関わっていない」という前提で、「首相からの指示は全く受けていない。意向は何ら影響していない。」と言い続けてきたのである。

安倍首相が「獣医学部の新設を全国で認めていく」と発言する意味

ところが、今回、安倍首相は、「獣医学部の新設を全国で認めていく」と述べ、総理大臣として、獣医学部の新設を認めることができる立場にあることを自ら明言し、自分が「その気」になれば、いくらでも増やすことが可能であることを明らかにしたのである。

“私は総理大臣なんだから何でもできる、加計だけ認可したことで文句があるのなら、全部認めてやろうじゃないか。”という本音が表れたということだろう。

「『私の友人だから認めてくれ』などという訳のわからない意向がまかり通る余地など全くない」と言っていることからすると、安倍首相は、「『私の友人だから』という意向」が内閣府や文科省で設置認可を認める方向で働いたか否かが問題だと思っているようだ。

しかし、そのような露骨な意向が示され、それがまかり通ったことが疑われているのではない。平成30年4月開学に向けて加計学園が今治市での獣医学部設置に向けての準備を着々と進めている中で、安倍首相が、「国家戦略特区で獣医学部新設を早急に認める」という意向を示し、その通りに事が運べば、獣医学部の認可で「腹心の友」への便宜を図ることは十分に可能なのである。

ロッキード事件に例えると

「総理大臣の犯罪」が裁かれたロッキード事件に例えてみると、時の総理大臣自身が、「全日空がロッキード社のトライスター機だけを導入したから疑われた。これから全日空に働きかけて、ボーイング社からも買うように言ってやる。それなら文句ないだろう。」と公言したようなものだ。

この事件では、ロッキード社の全日空へのトライスター機売り込みについて総理大臣が便宜を図ったのかどうか、運輸省の監督下とは言え民間会社である全日空の航空機購入について、総理大臣の職務権限が及ぶかどうかが争点になったのであるが、もし、(在職中に疑惑が表面化したとして、)総理大臣自身が、「全日空の航空機購入に影響力を及ぼしてやる」などと言えば、総理大臣としてロッキード社に便宜を図ることが可能だったことを認めるに等しい。

もちろん、「5億円の授受」について、検察の(相当強引な)取調べによって、全日空関係者等が現金授受を自白する供述調書が作成されたロッキード事件とは異なり、加計学園の問題に関しては、安倍首相が加計理事長から利益供与を受けていたことの「具体的な疑い」があるわけではない。

しかし、安倍首相自身も認めているように、長年にわたって「腹心の友」の関係にあるのであるから、安倍首相が加計氏から様々な有形無形の恩恵を得ていることは否定できないであろう。

その見返りに、獣医学部の設定認可に関して、加計氏に有利な取り計らいが行われたのではないかが問題となるのであり、そこで、国家戦略特区に基づく獣医学部新設の認可について、総理大臣がどのように位置づけられ、どのような立場にあり、どのような姿勢をとっていたのかによって、加計氏に「便宜供与」を行うことができた現実的な可能性があったか否かが判断されることになる。

この点について、総理大臣は、国家戦略特区の枠組みについて、基本方針、区域方針等を決定する権限を持っており、しかも、諮問会議の議長である。

しかし、「獣医学部の設置認可を認めるかどうか」という個別の政策判断については、総理大臣が直接、判断・決定を行ったりすることは前提にされていないし、実際に、諮問会議等で、安倍首相は、個別の問題について発言を行っていない。

しかも、官邸・内閣府側が、安倍首相は、獣医学部の新設認可に一切関わっておらず、関わる立場でもないとの説明を行ってきた。

そのため、これまで主として問題とされてきたのは、「安倍首相が全く関与していないとしても、加計氏が安倍首相の『腹心の友』であることが獣医学部設置認可に影響した可能性があり、外形上、公正・中立が疑われる」という「利益相反」の問題、つまり「政府のコンプライアンス」の問題だった。

ところが、安倍首相は、今治市だけに新設認可を認めたことで加計氏への優遇が疑われているという「個人的な事情」の下で、「獣医学部の新設を全国でどんどん認めていく」などと発言した。

それは、裏を返せば、「その気になれば、獣医学部の新設を認めることなど、総理大臣の私にとって簡単なことだ」ということであり、「獣医学部の認可の問題に、総理大臣として、いくらでも口を出せる」ということを認めたに等しい。

「『岩盤規制の打破』はすべて『善』」と単純に割り切れる問題ではない

安倍首相の真意は全く不明だが、“獣医師の不足は、誰の目にも明らかであるのに、既得権益を保護する獣医師会が、獣医学部新設に不当に反対していた。一校だけ新設を認めたことは「岩盤規制の打破」として全く不十分なものであり、むしろ、獣医学部の新設を無条件に認めていくことが社会的に当然だ。”と思い込んでいるのかもしれない。

しかし、大学や学部、大学院の設置などは、認可をすれば、その後に、私学助成金等で公的資金を投入することになり、国に財政上の負担を生じさせる。

その点で、酒屋の出店規制の撤廃等の「規制緩和」とは、決定的に異なる。しかも、獣医学部のような国家資格の取得に関わる学部の設置は、将来の資格取得者や就業者の増加に直結する。

資格を取得しても職に就くことができない人を大量に発生すれば社会問題にもなりかねない。

最近では、法科大学院の設置に関し、申請通り70校全てを認めてしまったことが、最終的には、法曹資格を得ることができない、或いは、資格を取っても仕事にありつけない修了者を大量に生み出すことになった挙句、既に半数近くの法科大学院が募集停止に追い込まれたのが、その典型例である。

それによって、多くの若者達の人生設計を狂わせ、法科大学院に費やされた膨大な公的助成金は無駄になってしまった。

国家資格取得を目的とする大学・大学院設置認可というのは、「岩盤規制の打破はすべて善」と単純化できる話ではない。

獣医学部の新設認可は、獣医師の需給関係に直接影響を与える。

犬・猫等のペット数の減少傾向に加え、産業用動物が漸減する状況の下で、不足しているのは、資格取得のコストの割に待遇が良くない公務員獣医師だけだと言われており、獣医師全体で見ると、決して不足しているとは言えない。

そこに、これまでの獣医学部の定員総数の17%にも及ぶ160人の定員での学部新設を認めることに、強い異論があるのは当然だ。

安倍首相は、そのような獣医師の需給関係をめぐる議論をすべて無視し「全国で新設を認める」と言い放っているのである。

獣医学部について「1校に限定して特区を認めたのが中途半端だった」というのであれば、同様に、国家戦略特区で、成田市の国際医療福祉大学1校のみに、38年ぶりに「医学部」の設置を認めたことも、「中途半端」だったので「全国で設置認可していく」ということになるはずだ。

それを言わず、獣医学部についてだけ「全国展開」を言い出すのは、それが、自分に対する疑いを払拭するという「個人的事情」によるものだからである。

産経新聞社主催の講演で飛び出した「自爆発言」

これまで、官邸も、内閣府も、「安倍首相は獣医学部設置認可の問題には一切関わっていないし、全く無関係である」という説明を一貫して行ってきたのに、安倍首相は、何を血迷ったのか、「自分が、その気になれば、獣医学部の新設を全国で認めることもできる」と野放図に放言してしまった。「正気の沙汰」とは思えない。「自爆行為」そのものである。

注目すべきは、その自爆発言が、産経新聞主催の講演会の場で発せられたということである。

これまで、安倍首相は、加計学園問題について国会で質問されても「印象操作」だと言って開き直り、一般論的な自説をとうとうと述べ、また、国会閉会後に行われた記者会見でも「プロンプター」に映し出される原稿を棒読み、記者との質疑応答もすべてセットされていて、原稿に基づいて答えていたようだ。

要するに、自分で考えたこと、思ったことは、安倍首相の口からは全く出て来ていなかった。

今回、自民党を一貫して支援してくれている産経新聞社主催の講演会だということで気が緩んだのか、加計学園問題についての自らの考えを、思わず口にしてしまったということであろう。

今回の安倍首相発言の真意を、今後、国会や記者会見の場で、しっかりと問い質していかなければならない。それが、今回の加計学園をめぐる問題の真相解明につながるはずである。

(2017年6月26日「郷原信郎が斬る」より転載)