セクシュアル・マイノリティに関する論議がここ数年、メディアで大きく取り上げられている。
LGBTという言葉も一般化し、多くの人が日常的に使うようになった。セクシュアル・マイノリティへの社会的認知は進んだと言えるだろう。
しかし、一方で「LGBTブーム」とも言える状況には弊害もある。ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者であり自身がトランスジェンダーである三橋順子さんに、ブームの問題点とそれを乗り越えるための方策を聞いた。
早稲田大学・明治大学・関東学院大学・都留文科大学などの非常勤講師でもある三橋順子さん(写真撮影:波多野公美)
■LGBTという呼称がはらむ問題
――三橋さんはLGBTという呼び方に違和感をお持ちなのですか?
私たちMtF(※1)は、LGBTという言葉が一般化する以前から様々な形で社会に認識されています。MtFのタレントは1960年代からテレビに出ていますし、トランスジェンダー・カルチャーはかなり早くからメジャーなメディアにも登場しています。
レインボープライドのオープニングパーティに中村中さんが出演しましたが、中村さんが紅白に出場したのはLGBTブーム以前の2007年です。さらにその前の2000年にはやはりMtFの藤野千夜さんが芥川賞を受賞しています。
ゲイの人は、いるはずですけどカミングアウトしていません。この人は絶対にゲイだろうという芸能人や文化人は何人もいますが、カミングアウトはしない。レズビアンも同様です。そこがトランスジェンダーと違うところです。
――トランスジェンダーの場合、外見でわかりますね。
なかなかごまかしきれないし、初めからごまかそうと思ってない人も多いと思います。最初からトランスジェンダーとわかる形で出ている人が様々な分野でそれなりにいます。
ですから、今さらLGBTという枠組でくくられることは、実はトランスジェンダーにとってあまり意味がないのです。そういうこともあって、私はLGBTというくくりに距離を置いています。
■LGBT自身がLGBTという呼称の由来を知らない
――しかし、LGBTという言葉はセクシュアル・マイノリティが権利を求めて共闘する中で出てきた言葉であって、そういう歴史を尊重するべきという考え方もあります。
それはもっともですが、そもそもLGBTと言っている当事者自身がその言葉の起源を知らないことが多いですね。ある時、メディアの人にいつからLGBTという言葉が使われ始めたか質問されたのですが、LGBTと言っている人は誰もこれについて書いていなかった。
仕方なく自分で調べたところ、1980年代にセクシュアル・マイノリティの権利を求める活動家がゲイとレズビアンをGLと呼んだのが起源のようです。そこにBとTが加わって4つになるのは90年代に入ってから。しかしその頃はまだ並びが固定していなく、GLBTと書くこともありました。それがLGBTとなったのは、活動が男性優位だという批判に対して、名前だけでもLを頭に持ってきたのだという説があります。
その後、2000年代に入ると、LGBTは次第にパブリックな用語になっていきます。公的な文書で使われた最初は、2006年の「レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの人権についてのモントリオール宣言」だと言われています。
日本に入ってきたのは2000年代後半でしょう。書籍名に「LGBT」を使った最も早い例は2007年出版の 『医療・看護スタッフのためのLGBTIサポートブック』(メディカ出版)です。ただこれは例外的に早いです。そして2012年夏に『週刊ダイヤモンド』と『東洋経済』がLGBTを特集します。そこが起点になり、爆発的に使われるようになったのは2015年からです。
じつは、LGBTが2000年代に欧米で公的な用語になった時点、ですでに様々な問題が指摘されていました。性的指向(Sexual Orientation)の問題であるLGBとジェンダー表現(Gender Expression)の問題であるTが一緒にされていることや、LGBT以外のセクシュアリティが含まれていないという点などです。LGBTという言葉が日本に入ってきたとき、そうした疑問点への認識が薄かった感じがあります。で、今になってやっと気づいたという感じ。
ゲイやレズビアンへの問題提起をする三橋さん
■「ブーム」以前の10年間、日本のアクティビストは何をしていたのか?
――日本では10年遅れてその議論をしているわけですね。
きつい表現かもしれませんが、この間、日本のゲイやレズビアンの人たちはなにをしていたのかと言いたくもなります。メディアへ積極的にコンタクトして自分たちが社会に伝えたい情報を出すという努力を怠っていたのでは。
「LGBTブーム」以前のことですが、ストックホルムのゲイパレードの記事が朝日新聞の全国版に大きく載っているのに、東京のパレードの記事が東京版にも載らないということがありました。そういう状況になぜ疑問を持って働きかけなかったのか。
トランスジェンダーはそれぞれの立場で、自分たちが取り上げてほしい情報をニュースにしてもらうための働きかけを1990年代からメディアに対してやってきました。その努力があったから、これだけの社会的認知がある。
日本のゲイ、レズビアンの運動が停滞していた時代に、欧米ではシビル・ユニオン(法的に権利を認められたパートナーシップ関係)や同性婚の法制化が進んでいきました。なのに、どうして日本では議論が高まらなかったのか。
――それは時代の流れということもあるのではないでしょうか。日本では1990年代にゲイブームがあって、府中青年の家裁判(※2)など権利を求める動きが出てきた。
しかし、その後、ブームは終息してしまい、日本全体も自己責任論が蔓延するような人権が軽視される風潮になったと思います。
府中青年の家裁判というのはまさに人権の主張で、日本における性的少数者のアクティビズムの出発点としてとても大きな意味のあるものだったはずなのに、その流れがなぜか続かなかった。
そして2012年に始まる現在のLGBTの動きというのは、きっかけが経済誌であったことに象徴されるように経済主導なのです。そのあとから法整備のような運動が出てきて、徐々に追いつきつつありますが。人権より先に経済的側面が注目されたことの悪影響はやはり残っていると思います。
取材後、戦前は遊廓、戦後は「赤線」(黙認買売春地区)だった新宿二丁目の一角を歩く(写真撮影:波多野公美)
■LGBTのマーケットは期待できるのか?
――広告代理店などがLGBTマーケットの可能性についてずいぶん喧伝しています。
広告代理店の仕事は学術調査ではありません。そういうところがマーケティング戦略として出してきたLGBTの割合が何%というような数字を、なぜ簡単に信じてしまうのか。あれは学術的には意味のない数字です。
――どこが問題なのですか?
何をもってLGBTとするかがとてもあいまいなのです。たとえばトランスジェンダーについて「なんとなく自分の体と心の性がズレてるように思いませんか?」というような緩い設問にすればイエスと答える人は多くなります。
でも、それはあくまで弱い性別違和感がある人です。そういう人はけっこう多くて、自然に解消することもあり、違和感を持ったまま生き続ける人もいます。本来はトランスジェンダーとしてカウントしないのです。
――広告代理店はマーケットを大きく見せようとしますし、政治的な活動をする人もLGBTが大勢いるといったほうが影響力を示せますね。
14人に1人なのか30人に1人なのか分かりませんが、そこに本質的な意味はないと思います。結局、マイノリティであり、それに対して社会がどういう形で人権を認めていくかという問題なのです。
数字的な問題だけでなく質的にも事実と言い難い部分があります。たとえば最近、LGBT向けのお墓というのが話題になりました。もし、今までLGBTがお墓に入ってなくて、これからはそうなるのなら新規需要でしょうが、そうではありません。ホテルの宿泊プランにしたって、今まで世間をはばかって「シングル」2部屋を予約していたゲイ・カップルが「ダブル」1部屋になったら減収でしょう。
女装コミュニティの昔を知る人に話を聞いたり、二丁目の歴史地理を調べている三橋さん(写真撮影:波多野公美)
■人権という基本に立ち返ることの大切さ
――LGBTの雇用はダイバーシティ化であり企業にメリットがあるという主張も目立ちます。
雇用は大事だと思います。とくにトランスジェンダーは、これまで就労の際にほとんど門前払いでしたから。企業が求める才能のある人が、それを活かせる場所に入れるようになるのはとても良いことです。
しかし、そのことで企業の論理で求められる人材と、そうではない人材とにLGBTが階層化させられてしまうかもしれません。資本主義社会ではある程度、仕方ないことなのかもしれませんが、いかにそこを乗り越えてLGBTというまとまりを保つのか。そのためにはやはり基本に立ち返って人権ということを大切にすべきでしょう。
■FtMをめぐるグレーなビジネスと就労問題の深刻さの関係
――とはいえ、「LGBTブーム」によって可視化は進み、今週末に東京代々木で開催される東京レインボープライド2017のようなセクシュアル・マイノリティのイベントが全国で開催されるようになりました。
もちろんそれは良いことなのですが、少し気がかりなことも出てきました。あるイベントのブースで、性別移行について無料相談をうたっているのに、肝心な情報は有料でしかも法外と言えるような金額を取っているという話です。しかもターゲットは中学生など若い人たちです。
――中学生が高額な料金を払えるのですか?
お金を出すのは親なのです。「性同一性障害」が先天的な障害であるという説があるので、自分のせいだと思い悩んでしまう親も少なくなく、そういう親が罪滅ぼし的な感覚でお金を払うわけです。
海外での性別適合手術のアテンド(紹介・斡旋)を行う業者にも、無資格だったり質が伴わない会社が横行しています。こういった問題がある事業に関わっているのは、なぜかほとんどFtMなのです。ただ、本人たちはあまり悪気がなく起業のつもりでやっている。
背景にあるのはFtMの就労環境の悪さだと思います。日本では戸籍性別変更をしたトランスジェンダーは、比率で言うと1対3くらいでMtFよりFtMが多いのです(※3)。そしてそれは20代、30代の比較的若い世代に集中しています。うまく就労できないかなり大きな集団があるのに、それが社会的に認識されていないのです。
MtFの場合、水商売やセックスワークという選択もありえますが、FtMにはそれもない。だから行き場がなくてFtMには起業する人が多いのです。「LGBTブーム」をビジネスチャンスと捉えるのは悪いことではありませんが、やはり仲間を食い物にするようなことはしてほしくありません。
さまざまなセクシュアリティの人々が行き交う新宿ニ丁目の風景(写真撮影:波多野公美)
■基金を作って恒久的に活動できる環境を
――起業して成功している人も多いのですか?
ビジネスとして成功させるには、もう少しコンプライアンスをしっかり考えないとダメでしょう。ビジネスで成功してコミュニティのためにポンと1億円くらい寄付してくれる社長がいたらと思いますが(笑)。企業からお金をもらってイベントをするのもいいですが、寄付をもとに基金にして恒久的に活動できる環境を早く作るべきだと思います。
レインボーウィークには「性をめぐるアーカイブの世界」というトークショーに登壇します。セクシャル・マイノリティに関する書籍など、資料の保存について考えるイベントです。本当はこういった資料は国が国会図書館などで保管してくれるのがベストだと思いますが、今の状況だとそれは難しい。新宿2丁目にあるLGBTコミュニティスペース「akta」のような既存の施設を拡充して、資料を蓄積していくしかないと思います。
※1
MtF Male to Femaleの略。トランスジェンダーのうち出生時に割り当てられた性別が男性であり性別表現が女性のケース。この逆はFtM(Female to Male)。
※2
府中青年の家事件 1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の育成に悪影響を与える」として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。
※3
海外ではMtFがFtMより多いのが一般的だが、日本では少なくとも00年代後半から受診者レベルでFtMがMtFより多くなっている。日本精神神経学会の調査(2017年3月)でも戸籍を変更した人はFtMがMtFより約3倍多いと推計している。
三橋順子(みつはし・じゅんこ) ジェンダー・セクシュアリティ史の研究者。自身がトランスジェンダーであり、性別越境の歴史について文献調査などの歴史学的手法とフィールドワークなどの社会学的な手法を用いて意欲的な研究を行っている。著書に『女装と日本人』 (講談社現代新書)などがある。
(取材・文 宇田川しい)