サイボウズ式:後輩教育で自分の「個性の押し売り」は後輩をつぶしてしまう

後輩の育成において<個性の押し売り>はカタチを数多く変えてされている気がする。後輩の特性(個性の種)を生かした教育ではなく、自分が優位性を持っているものを基準とした良し悪しの判断だ。
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【サイボウズ式編集部より】

この「ブロガーズ・コラム」は、著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回は「My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only」のファーレンハイトさんが考える「理想の後輩教育」についてです。

会社のチームにおいて「後輩教育」は欠かせないものだ。

一般的には年次が低いメンバーは経験値が低いから、まだまだスキルが低いケースが多い。それゆえに彼らの伸びしろがチームの強化を担っているといえる。彼らが成長してくれることは、上の年次のメンバーを助けることに直結する。

さて、自分の教育にかかわってくれた先輩は何人もいるし、逆に自分が教育にかかわったことも何人かある。他の人が誰かの教育をしているのを傍目で見てきたこともある。そんななかで俺が感じたのは「自分のコピーを作りたがる先輩がメチャクチャ多い」ということ。

言葉を変えると、自分の得意な仕事のスタイルを仕込もうとする人が多いということだ。

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大前提として会社における後輩教育では、「トータルで育てる」ことを目標とするべきだ。背景となる業界の知識、業種に必要な専門的な知識、キーパーソンを中心とした内外の人間関係、そして仕事に向き合う姿勢そのもの。新人であれば社会人としてのイロハや飲み会での振る舞いも含まれるかもしれない。意識する/しないを横において、これらを吸収していくことで、ヒヨッコだったみなさんも「社会人っぽく」なっていったに違いない。

そして、徐々に自分なりの仕事のスタイルをつかんでいく。実直な仕事で信頼をつかんでいく人、圧倒的なプレゼン力でこまかいところは詰まっていなくても説得してしまう人、気合い一発でなんか数字は出していく人、徹底的な人たらしスキルを身につけて世渡りしていく人もいるだろう。これらは個性と言い換えて良い。

で、この個性に該当する部分の教育について、自分のスタイルを仕込もうとする人が多い。俺が新人のときの教育係は資料のレビューにおいて、全体をチェックする前に「ここの部分だけフォントが違う」と言いだし、全ページのフォントチェックからレビューがスタートした。当時、感じた「たしかに手を抜いたけど、ソコそんなに大事?」という感覚は今もおかしくなかった気がする。ダメ出しされるなら中身から入ってほしかった(ちなみに資料は客先に出す資料ではなかった)。

この人とはソリが合わなかったけど、仕事が"出来る""出来ない"で言えば、出来る人だったとは思う。細やかにチェックする目線が生きるシーンはいくつも見てきたし、それが「あの人がチェックしたなら間違いない」というメンバーからの信頼感にもつながっていた。

さて、彼の俺自身への教育の背骨は「ミスがないこと」であった。生来、勢いでこなしていこうとする俺は学生時代のテストでもケアレスミスで100点を逃すことが多く、そういう意味では弱点を指摘してもらえる良い機会だったのだけど、その1点で全否定されることが多かった。当時、まだ実務上では芽が出ていなかったけれど、メンバーと良好な関係を築くスキルや目上から可愛がられるキャラなんざはまったく認めてもらえなかった(余計なひと言だが、彼は「いまそれ言っちゃうの?」的な士気を下げる発言と小馬鹿にした態度をメンバーに対して連発するキャラであった)。

分かりやすく書けるエピソードだったため、新人時代に指導をしてくれた方の話を出したが、後輩の育成においてこういった<個性の押し売り>はカタチを数多く変えてされている気がする。後輩の特性(個性の種)を生かした教育ではなく、自分が優位性を持っているものを基準とした良し悪しの判断だ。これは後輩のモチベーションを下げ、後輩を潰しうる。

たとえば彼の「ミスに対する目線」は本当に素晴らしかったけど、業務上で絶対に必要なミスの排除では必ずしもなかった。また、そのノーミス信仰は後輩を育てるというよりも、腐らせる方に作用した。指摘してもらうこと自体は好きで、素直に聞くタイプの俺が辟易する窮屈さだったのだ。

自分と後輩の特性、個性はちがう。彼・彼女が生き生きと出来るスタイルは、自分と違うことを念頭に置いた上で接する必要がある。以前に書いた<チームワークとは違いと向き合う姿勢そのもの>と同じことだ。ましてや、自分の得意分野を優劣のジャッジの基準にして、それを仕込もうとしてはいけない。絶対的に正しいスタイルなんて存在しないのだから。

最後に。とはいえ、「仕込むべきところ」の目線は非常に重要だと思います。その後輩の特性(個性)に出がちな欠点を指導すること自体はすべきことでしょう。この数年後、俺は見積もりの作成で原価の計算を単純ミスすることで、100万単位の利益の損失を出してしまったことがある。こういったちょっとした注意で避けられる「あり得ないミス」については個性という言葉は免罪符にならない。(この当時の世話役の先輩は今でも尊敬している人なのだけど、落ち込んでいる俺に対して「ははは、とことん反省しろ。いい勉強したな」と声をかけてくれたのだった)

つまり、後輩の長所はそのまま活かした指導を心がける。長所の裏返しの短所は平均的くらいまでに上げる指導をする。それを支えるのは「コイツはどういう人間なのか?」をフラットに見る目線だと思う。この目線は失わないでいたいと俺も思う。そして、色んな特性・個性を持ったメンバーがそれぞれに出来ないことを、それぞれで達成してチームとして機能する。まさしく理想的なチームワークのかたちでしょう。

こんなことを、週末にスラムダンクを読みなおして感動した俺は思うわけです。

ファーレンハイトさんより

普段はブログ「My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only」、Web媒体「AM [アム] 」で恋愛・人間関係について書いています。サイボウズ式のブロガーズ・コラムでは、仕事・チームワークにおける他人との関係性について何らかの価値を提供できたらと思っています。

(サイボウズ式 2014年7月 7日の掲載記事「後輩教育で自分の「個性の押し売り」は後輩をつぶしてしまう」より転載しました)

イラスト:マツナガエイコ