安保法制は「廃止」ではなく「見直し」

一度成立した法律を廃止するというのは簡単なことではありません。
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 2015年9月19日の未明、参議院本会議で、いわゆる安全保障法制が成立しました。我々民主党は反対の立場で臨みました。努力された多くの仲間に、心から敬意を表したいと思います。

 出来の悪い法律だったので、党の意見が反対に集約できましたが、6月1日の国会質問でも主張したとおり、私は「憲法解釈の変更による集団的自衛権の部分行使」には賛成の立場です。民主党は「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使一般には反対」という意見集約をしました。「行使一般には反対」ですので、「認められるものもあり得る」という余地を残しています。

 昨年7月に閣議決定された自衛権発動の「新三要件」は、日本と「密接な関係にある他国」が特定されておらず、また存立の危機にあたる「明白な危険」という定義があいまいなため、政府の裁量の余地が無限に広がって「法的安定性」が崩れ、「憲法違反」との大合唱を生む結果となりました。なぜ「周辺事態と認定されている状況下で、日本の安全保障に資するために行動している米軍に対する攻撃が、日本に対する急迫不正の侵害と認定される時」と、集団的自衛権を行使できる対象国を唯一の同盟国であるアメリカに特定し、今までの自衛権発動三要件の第1要件をそのまま引用しなかったのでしょうか? もしこのような解釈変更であれば、状況は大きく変わっていたと思います。

 私が集団的自衛権の行使を一部認めるべきだと考えるのは、以下のようなケースです。例えば、停戦中の朝鮮半島で再び戦闘が起こり、米韓同盟に基づいて米軍が行動し、日本にとっても周辺事態と認定されるような状況になり、従来の周辺事態法に従って日本が米軍への後方支援を行っているとします。もし、日本が後方支援を行っている米軍に攻撃が行われ、それが「武力行使との一体化」と見なされれば、今の憲法解釈では日本の後方支援が集団的自衛権の行使にあたるため、中止せざるを得なくなります。米軍からすれば、大事な場面で「はしご」を外されるようなものであり、日米同盟は大きく傷つき、共同対処にも悪影響が出るでしょう。私が重視するのはこの点です。蓋然性が全くと言っていいほど考えられないような「ホルムズ海峡での機雷掃海」や「退避邦人を運んでいる米艦防護」ではないのです。

 従来の周辺事態法も「地理的概念ではない」と言っているのですから、わざわざ「重要影響事態法」に変える必要はありませんでした。政府が危機をことさら煽った南シナ海での事案も、もし何らかの活動を日本がするのであれば、従来の周辺事態法で対応は可能です。アメリカ以外にオーストラリアなどへの後方支援が必要であれば、周辺事態法を改正すれば良かったまでです。アメリカの軍事活動に対する後方支援を恒久化する新法(国際平和支援法)も、日米両国の国益が異なる場合があるのは当然ですから、これまでは「根拠法がないから断る」という対米交渉ができたのが、これからは「根拠法があるのに断る」という、より難しい対米交渉を自ら課すことになりました。自衛隊が事前に準備するためには、恒久法が必要だとの意見がありますが、どのような協力が自衛隊にはできて、どのような協力ができないかを事前に線引きしておくことは可能でしょう。必要ならば「特別措置法」の制定で良かったのです(なお、政府が行ったPKO法の改正には大きな異存はありません)。

 ところで、問題なのは安保法案の成立後、「安保法制の廃止」が声高に叫ばれていることです。「あれだけ一生懸命反対したのだから、成立しても廃止を言うのは当たり前」との意見も当然あるでしょう。しかし、いかに我々が強く反対したとしても、法案は成立しました。一度成立した法律を廃止するというのは簡単なことではありません。違憲かどうかの判断は、訴訟が起こされた時に最高裁判所が行うことになります。

 特に、今回の法律は日米間で合意された防衛協力の指針(いわゆるガイドライン)に基づいた国内法制の整備であり、単なる廃止ではアメリカと合意したガイドラインも反故にするということになります。私は、日米ガイドラインは日米政府間で確認したものであり、尊重すべきだと考えます。そうであれば、新たな法制をパッケージで提起する必要性があり、単なる「廃止」ではなく「見直し」、あるいは新たな案の「提示」でなければならないのです。

 民主党は2009年8月の総選挙で政権交代を実現しました。政権交代をしたのだからと、対米関係でも「テロ特別措置法」に基づくインド洋における給油活動の中止、普天間飛行場の代替施設の見直し(最低でも「県外」、できれば「国外」)、日米地位協定の見直しなどを主張しましたが、その後、現実の日米関係の狭間で「撤回」を余儀なくされたのは、拭うことのできない事実です。今なお混乱状況にある「辺野古」は言うまでもなく、給油活動の代替としての資金援助は約5000億円という高いものにつきましたし、地位協定の見直しは提示すらできないままでした。

 今でも思い出すのは、当時のアメリカ政府の主張です。「テロとの戦いにおける協力も、沖縄の基地問題の合意も、オバマ政権が決めたものではない。ブッシュ政権から受け継いだものだ。我々は政権交代後も日米政府間の合意だから引き継いだのに、日本はなぜ政権交代だからと言って日米合意を覆そうとするのか」。とても重い言葉でした。

 こういった考えを「対米追従」と批判される方々もおられるでしょう。しかし、戦後70年も経つのに、過去の自民党政権は自立を志向せず、インテリジェンス、防衛装備、敵基地攻撃能力をアメリカに依存し、日本の外交や防衛は日米基軸でなければならない状況ができ上がってしまいました。私たちが再び、政権の座に就く気がないのなら、できないことを叫んでいればいいのでしょうが、少なくとも私は、もう一度政権与党となり、この国の将来に責任を持ちたいと固く決意をしています。政権を再び握った時の対米関係を考えずして、成立した法律を単に「廃止に追い込む」と気勢を上げるだけでは、話になりません。

 ましてや「安保法制廃止」のみで、日本共産党と選挙協力するのは論外と言わざるを得ません。

  ・安保法制「廃止」の主張の中身が、一致しているのでしょうか?

  ・外交・安全保障の考え方が、一致しているのでしょうか?

  ・内政の考え方も、一致しているのでしょうか?

 全く違います。こういった政党と選挙協力するというのは、まさに「禁じ手」です。政党間の協力は、理念と政策の一致が必要条件です。その原点を踏まえた上で、野党の「大きな家」を作っていきたいと思います。

(2015年9月26日前原誠司の「日々是好日」より転載)