敗戦から70年・日独間の安全保障論議の違い

今から70年前の夏、日本とドイツはともに第二次世界大戦に破れ、主要な都市は連合軍の爆撃によって焦土と化していた。敗戦から70年目の今年、2つの国が置かれた政治的な状況は大きく異なる。
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今から70年前の夏、日本とドイツはともに第二次世界大戦に破れ、主要な都市は連合軍の爆撃によって焦土と化していた。どちらの国も、勤勉さと物づくりに強い土壌を生かして奇跡的な経済復興を果たし、世界経済の中で重要な役割を演じる大国となった。

だが、敗戦から70年目の今年、2つの国が置かれた政治的な状況は大きく異なる。ドイツは欧州連合(EU)の中で事実上のリーダーだ。債務危機で意見の対立が尖鋭化したギリシャを除けば、ドイツは第二次世界大戦でナチス・ドイツが被害を与えた国から、一定の信頼を回復することに成功した。ウクライナ危機をきっかけに、ロシアとEUとの間の関係が悪化する中、ドイツに対してはバルト三国やポーランドから安全保障の面でも現在より大きな役割を果たすよう期待が寄せられている。

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局地紛争に備えて演習を行うドイツ連邦軍の兵士たち(筆者撮影)

これに対し、東アジアでは今なお緊張が続く。日本では集団自衛権の行使を可能にする安全保障法制についての議論が行われた。7月15日には、衆議院特別委員会で自民党が安保法制に関する野党との議論を一方的に打ち切って、強行採決。法案は衆院本会議で可決された。

敗戦から70年目の夏に、集団自衛権をめぐる議論が白熱化していることには、歴史のめぐりあわせを感じる。安倍首相がめざすのは、1945年に戦勝国から押し付けられた「戦後レジーム」つまりポツダム体制からの脱却である。彼は「安全保障に関する自己負担」を増やすことによって、アメリカとの協力関係を緊密にすることを狙っている。

この戦後レジームは、東西冷戦が続いていた間は、日本を超大国であるアメリカの核の傘の下で保護し、日本が「国際政治では小人、経済では巨人」という道を歩むことを可能にした。日本経済は朝鮮戦争による特需で潤い、戦後は巨額の防衛予算や徴兵制を持つことなく、GDP拡大に集中することができた。西ドイツがソ連を盟主とするワルシャワ条約機構軍の侵攻におびえ、北大西洋条約機構(NATO)という集団安全保障機関に加わり、若者たちに兵役を強いてきたのとは、対照的である。ある意味で、日本に徴兵制がなかったために、軍隊へ行かずに済んだ我々日本人は、幸運であった。

だが東西冷戦が終わって、アジアの安全保障をめぐる状況は大きく変わりつつある。アメリカはアフガニスタンとイラクでの戦争に疲弊し、「世界の警察官」の役割を演じなくなった。同国は巨額の公的債務と財政赤字を抱え、冷戦の時代のように防衛に巨額の予算を投じることが難しくなりつつある。「民主主義を守るために、外国に軍を送って、独裁者や非民主主義国と戦う」というスローガンは、もはやアメリカ国民に理解されなくなった。

オバマ大統領は「シリアのアサド政権が内戦で化学兵器を使ったら、許さない」と公言していたが、実際にアサド政権が毒ガスによって市民を殺傷しても、米軍は介入しなかった。アメリカは、張子の虎となったのである。将来局地紛争が発生しても、米軍が大規模な軍事介入を行わない可能性は、30年前に比べて大幅に高まった。

米国が内向きになりつつある今、安倍首相は東アジアの将来に強い懸念を抱いている。その最大の焦点は、中国の軍備拡張と北朝鮮の動向である。一党独裁の政治体制を持つ中国は議会制民主主義の国ではない。しかしその国内総生産が、米国を追い抜くのはそれほど遠い将来のことではない。過去において中国は、常に北方からの脅威に備えなくてはならなかった。そのことは、万里の長城や中ソ対立を見れば歴然とする。しかし今や中国はロシアとの間で友好関係を結ぶことに成功し、初めて北からの脅威を気にせずに「海洋国家」として南に進出することが可能になった。

中国と日本の間の最大の対立点である尖閣諸島問題、さらに中国が南沙諸島の暗礁を埋め立てて軍事基地を建設してフィリピンと対立している問題は、中国が海洋国家への関心を強めていることの表われである。

日本政府はアメリカから「軍事貢献を増やさなければ、アメリカは東アジアへの関与を減らす」と言われているのだろう。

いま日本で安保法制が批判される最大の理由は、その手続きだ。集団自衛権の行使は、戦後の防衛政策を根本的に変える問題だ。さらに国民とくに自衛隊員の生命と安全に直接かかわる問題である。こうした重要な問題については、国民投票という形を取って議論を尽くすべきだった。政府による一方的な解釈変更、そして強行採決という強引なやり方は、「安部政権は市民の懸念を無視した」という苦い後味を残した。首相自身、「集団自衛権について国民の理解が十分深まったとは思えない」という感想を語っている。「集団自衛権の行使は、憲法違反だ」という意見は、市民だけでなく憲法学者の間にも残っている。

ドイツは、過去50回以上にわたって憲法を改正してきた。彼らは、憲法が現実政治から乖離している状態を受け入れられないのだ。少なくとも連邦憲法裁判所からお墨付きを得ようとする。

ドイツが集団安全保障の原則に基づいて武力行使を行う前提条件は、国連安全保障理事会の決議と、連邦議会の承認である。ドイツは1995年から2004年まで、国連決議に基づきボスニア・ヘルツェゴビナの停戦を監視する平和維持軍に参加した。

当時野党が「ドイツ空軍の要員が旧ユーゴ上空でNATOの電子偵察機に他の国々の兵士とともに搭乗するのは憲法違反ではないか」と主張。この問題は、連邦憲法裁判所に持ち込まれた。同裁判所は、「軍事同盟の連帯を乱すべきではない」という政治的な理由で、搭乗を合憲とする判決を下した。この判決は、ドイツ軍のNATO域外での軍事作戦を実行するうえで、重要な役割を果たした。

ことほど左様に、ドイツは法治国家としての建前を守ることに多大な精力と時間を投じる。

21世紀になると、ドイツは第二次世界大戦後初めて、本格的な地上戦に参加した。2001年にアメリカがアルカイダによる同時多発テロに襲われたため、NATOは初めて「集団安全保障体制」に基づく防衛措置を発動。ドイツは2002年からアフガニスタンに地上軍を派遣し、タリバンと戦った。ドイツ連邦軍はアフガニスタンに約5000人の将兵を駐屯させ、55人が戦死した。ドイツにはこのことを問題視する動きはない。いわんや「アフガニスタンでの参戦は違憲だ」とする政党やメディアは1つもない。

「NATOの結束を守るためには、ドイツからはるか離れたアフガニスタンで参戦し、ドイツ兵の間に戦死者が出るのはやむを得ない」という国民的合意ができているからだ。

われわれ日本人は、そのような覚悟を持っているのか。

日本の集団的自衛権をめぐる議論では、まだそこまで合意が固まっているようには思えない。

もしもドイツ政府が安全保障に関する議論で、7月に起きた強行採決のような態度を取ったら、有権者が次の選挙で罰するだろう。国民を無視する態度をとる政党は、次の選挙で負ける。ドイツでは、二大政党制度が、日本よりも有効に機能しているからだ。日独間の、民主主義に関する態度の違いを強く感じざるを得ない。

国民の安全に関する問題だからこそ、議論を途中で打ち切らずに、国民的合意が得られるまで、話し合いを続けるべきではないだろうか。

ニュース・ダイジェスト掲載の原稿に加筆の上、転載。

筆者ホームページ:http://www.tkumagai.de