日本人が知らない「布地の価値」−セコリ荘が起こす風−

中に入ると、そこには日本中から集められたたくさんの生地が…。
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東京の月島にある小さなお店「セコリ荘」。そこは職人とデザイナーがつながる、日本の繊維業の未来を切り開く人々が集うコミュニティスペース。

中に入ると、そこには日本中から集められたたくさんの生地が。

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その多くが国内では知られることなく埋もれていくかもしれなかったものだと語るのは、セコリ荘を立ち上げた株式会社糸編代表の宮浦晋哉さんです。

世界に出たことで再発見することができた、日本のものづくりの価値を伝えようと奮闘する宮浦さんに、繊維業界が抱える課題と、彼が見据える未来について話を聞きました。

イギリスで出会った日本の生地たち

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-この生地の山...お店の外見からは想像もできない光景ですね。

すごいでしょ、これ日本全国の工場を回って集めてきた「展示会に出していない生地」たちなんですよ。

-えっ?展示会に出していない、ということは商品にもならないんですか?

そう。本当に衝撃的だったんですけど、見本市に出ないけれども、原石みたいにすごい出来の生地が工場に転がっているんです。実は見本市に並ぶものって、職人さんが作れるレパートリーで作られた生地の10分の1ぐらいなんです...。

―そんなに、日の目をみない生地があるんですか!

そうなんですよ! 職人さんが本当に得意な作り方の生地がたくさんあるのに、工場に突撃しないと出会えない。そんな現実を発見したときに「この生地いいじゃん! 使いたい!」という思いで、そんな生地とデザイナーを結びつける事業を始めていったんです。良いものを作っているのに報われない工場に化学反応を起こして、爆発させていくイメージかな。

―その触媒としてセコリ荘を立ち上げた、と。なぜ始めようと思ったんですか?

この物件を借りる前、半年ほど日本全国の生地の工場に訪問していたのですが、行った先々でテキスタイルサンプルをいただいたり、買わせてもらっていたんです。セコリ荘は、そのサンプルを共有する場所が欲しくて作りました。

-元々服好きだったんですか?

はい、服飾系の大学に行ったり、専門学校の夜間に通ったり。色んなファッション好きの人々が集まるコミュニティーに顔出したりしていたくらいに。

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そんな中で、縫製工場のバイトで出会った職人さんやその仕事に惹かれたんですが、当時は大学4年生だったので就職に悩んでしまって......。そしたらたまたま、ある企業の奨学制度で留学するチャンスを得たので、イギリスに留学したんです。

―イギリスではどんなことをしていたんですか?

メディアやPRなどを学ぶ専攻に入って、色んなファッションスタジオやブランドに顔を出していたら、日本の生地がたくさんアトリエに並んでいたんです。「日本の素材が、どうしてこんなところに」と質問したら「日本の素材は世界トップレベルなんだけど、分からないの?」と返ってきて。その経験は驚きでした。

―日本では知られていない素材が海外で評価されていたんですね。

その通りです。日本でファッションの勉強をしていたのに全く知らなくて。調べれば調べるほど日本の生地製品はパリやミラノ、イギリス、ニューヨークなどで評価されることがわかって、「繊維産業の実態を知らないまま、アパレル業界に携わる事はできない。帰国して工場を見てから人生考えよう」と思い、2012年の秋にイギリスから帰国しました。そこから日本全国の工場を見て回り始めたんです。

―そうして冒頭の出会いにつながるわけですね。何か全国を回るきっかけになったことはあったんですか?

イギリスで悩んでいたときに、日本でトップレベルと言われていた八王子の「みやしん」という織物工場が廃業するニュースが大きな話題になっていて「今調査しなければ」と。すぐ日本に戻って、みやしん代表の宮本さんにお会いしたんです。

宮本さんから「工場に興味があるんだったら、産地と何かやりたいんだったら、全国を相対的に見ないと駄目だ。交通費も時間もかかるけど、全部を見れば、きっと道が開ける」とエールをいただいて。そこから、ずっと週に1回工場を回って今に至ります。

本気の職人にとって「モチベーション」をつくること

―全国の工場を見てきて、何が見えてきましたか?

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どこの産地も簡単に言うと、高齢化・後継者不足に悩んでいます。原料費は高騰しているのに、工賃設定は昔のままで、かなり苦しい生活を職人さんが強いられていますね。多くの工場では閑散期が明確に出ています。またクローズドな空間なので、なぜ今服が生地が売れなくなっているのか考えられてない。外部との交流も足りていないとか、そんな中で自分がやるべきことも見えてきました。

―やるべきこととは?

外的要因として新しい風になることです。繊維業界は分業制なんですよ。下請けや孫請けという工場だと、一つの商社の担当者としか会わないところもあるんです。そうなるとお金の問題以上に、モチベーションが続かなくてやめるケースが多い。

でも良い物を作って熱い想いがある工場に、僕やライターが押しかけてブログやSNSで発信すると、職人さんのモチベーションを上げることができる。そして新しいデザイナーを連れていったり循環をつくる。それが、僕たちがやるべきことの一つかなと思っています。

―熱量のある人にきっかけをつくっていく、70seedsのコンセプトとも重なるなと思いました。

全国で話を聞くと、職人さんは「やりがいのある仕事をしたい」と言うんです。でも、言われたことをその通りやる工賃仕事でそれは難しい。それに対して、職人さんは皆モノづくりが好きだから、デザイナーと向き合って作ることに喜びを感じてくれるんですよね。そんな職人さんが全国にたくさんいるんです。

一方セコリ荘は、デザイナーのたまり場みたいになっていて(笑)。そこで産地ツアーを始めたり、職人さんをセコリ荘に呼んだり、飲み会を開催したりしして、職人とデザイナーの接点をつくっていったんです。これらが職人のモチベーションにつながりつつ、出会ったデザイナーとやりたいことをやって売れたら仕事にもなる、という小さな取り組みになっています。セコリ荘の第2ステップです。

―第2ステップとしての成果は何かありますか?

表に出ない仕事ですけど、今60社弱の工場と連携しながら、年間80ブランドくらいに橋渡しています。それらの工場に対して常に良い仕事を入れるようにする。そうして培った関係性の中から、生地を発注する以外にも「こんなことをしたい」「困ってるから助けてくれ」という声が生まれたり、その課題を解決するプロジェクトを一緒に動かしたり、若手を探して紹介したりと、今は第3ステップに移ったかなと思います。応援したい工場の分母を広げて、より良い仕事を増やすことが今のミッションです。

ー4年弱で活動をそこまで広げられたこと、日本の繊維業界にとって有益だと思います。

もし僕がデザイナーとして自分のブランドをやったら、現状のような発注ができなかったと思うんですよね。できても年間1000万円を3~4社くらいの規模。だけどデザイナーとつなぐ役割を担うことで60社に対して、それぞれへの発注ができているんです。

―黒子の役割ですね。

そうなんです。僕らにしかできない守備範囲だと感じてるので、そのボリュームを増やしつつ、工場に対してきちんと仕事をお願いすることで貢献していく。やはり工場や職人さんたちに売り上げが出ないと、人も雇えない。人を雇えないと、その工場はいずれ技術継承ができなくなってしまうので。

-宮浦さんの原動力になっているのは工場や業界を助けたい、という想いなんですか?

いえ、実は僕は伝統とか歴史が大切だから残そうとかはあまり考えていないんです。やる気のない工場は淘汰されてしょうがないと本当に思っていますし。そうではなくて、職人のエゴがないか、歴史に胡坐をかいていないか、開発や技術のアップデートを行っているかなどを常に気にしています。だから工場へ通い詰めてコミュニケーションを取ることが基本となっています。

服飾学校の存在意義が揺らぐ、業界のこれから

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―第3ステップに移ったセコリ荘のほかにも、いま様々な活動に取り組んでいますよね。

はい、1つは「テキスタイル・ジャパン」という新しいプロジェクト。日本ならではの生地を、海外向けにキュレーションして発信していきます。2つ目は、繊維産地の活性を目指して人を育てる場所として2017年5月に開校した「産地の学校」です。

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―産地の学校は、生徒の皆さん本当に熱心だったのが印象的でした。

「学校」と言っても現場感がありますからね。運営メンバーの一人が「EVERY DENIM」というジーンズのプロダクトブランドをしていて、僕の考えていた「日本の工場と良い関係性を気づきながらプロダクトを作るモデル」に近かったので声をかけました。

-というのは?

一般的なコレクションブランドは、例えば、1回の展示会で10社の工場に細かい仕事を10種類頼みます。市場は多品種小ロットの時代なので、工場側からするとしんどい仕事になっていることが多いです。その解決作として、僕は1アイテム(特化型)のものづくりが1つのテーマになると思っています。EVERY DENIMのデニムは結構理想的なことをしていて、型を絞って毎シーズン同じものを作るから、生地屋も繊維工場も洗い加工場も生産効率が良いんです。

-コンセプトもプロダクトも尖っていますね。

EVERY DENIMを運営する兄弟なんですが、実は服飾学校を出ていないんです。「専門知識がなくてもできる」という姿は、業界に携わる分母が増えて、若い人たちが新しいビジネスモデルを生み出すことにつながるんじゃないかと思っています。そうなったらおもしろくなりますよね。

―従来のファッション学校が持つ役割が揺らぎますね。

学校は学校で役割を持っていると思います。僕も当時の出会いとか、横のつながりは大切にしていますし。だけど学校に行かなくてもコミュニティーは獲得できるし、知識も無料で獲得できる時代になってきました。それでいうと、アパレル業界におけるデザイナーという仕事が、今デザインできてないっていう問題もあって...。

―どういうことですか?

MD(商品企画)の方が強いんです。さらにMDは、もう数年でAIにとって代わられていくんじゃないかなと思っています。売れる商品の形と色と、投入すべき時期、数量が明確になります。絶対的な存在になりますよね。そのとき、デザイナーの仕事って存在ってなんだろうと考えることが重要ですよね。

-そうなると、今の業界のあり方も激変していきますね。

残念ながら産業規模でいうと、デザイン的な感性が必要な産業じゃなくなりつつあるんですよね。だから今、デザインではなく製造を担う繊維産業に就職したいという学生の割合が少しずつ増えてきているんですよ。彼らは感性を使って触感のある仕事をしたいんです。でも学校の先生は、繊維産業とのネットワークがどれだけあって、どこまで最適なマッチングができるかという課題が浮上してきます。

―学校の先生がネットワークを持っていないのは意外です。

セコリ荘では、学生の就職サポートもしてきました。でも学生は繊維の知識が全くないから、受け入れ先の企業も悩ましい。採りたいけど、教育できるかなって。

―今まで業界を見てきた宮浦さんだからこそ、教育と産業それぞれの課題を元につなげていける知識とか、つながりを持つ人をどんどん増やしていく役割を、ますます期待されそうです。

4年もやっていると、僕の記事を見て就職した職人さんと出会うこともあります。また転職エージェントを利用していた人が、エージェントに産地の学校を勧められていたことを知ったり、職人希望で応募してきた人に「産地の学校というのがあるから経由してから来てくれ」と言ってくれた職人が出てきたりしたのは、すごく嬉しかったですね。

―これまでの取り組みが確実に次につながっていっていると実感できるエピソードです。

僕は、産地の学校がこれから業界に入る人にとっての優しい窓口になったらいいなと思っているんですよ。いきなり現場に飛び込むと、もしかしたら怒鳴られながら学ぶ感じになり兼ねないから。職人さんも教え方が分からず、悪気がないのに冷たくしてしまうので、傷つくじゃないですか。でも産地の学校は後から悩んだときも相談に乗れますよね。今後、相談できる関係性が残る場になったらいいなって思っています。

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【取材後記】

今年鴨川和棉農園を取材してから、衣食住の「衣」に関わる業界の今をきちんと取り上げたいと強く思うようになりました。その中で出会った宮浦さん。その活動は、世界で評価される日本の繊維産業の職人達の意思を繋ぎ合わせ、新しい風を吹き込むものでした。

宮浦さんの活動は、必ず日本の服飾史で語られる事になる。私はそう思います。