球界再編問題の103日間の闘い【「日本プロ野球選手会」結成30周年特別対談②】

球団合併という重要なことを、選手会との話し合いもないまま、そして球団維持の努力が何もなされないまま、一方的に決めていいのかと...。
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結成30周年を迎えた日本プロ野球選手会をふりかえり、労働組合の原点について森忠仁新事務局長と神津会長が語り合った。

日本のプロ野球を守ったものは? 〜そこに労働組合の原点がある〜①から続く。

球界再編問題と103日間の闘い

「メジャーに行くとき、日本の選手会は何もしてくれなかった。」

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―選手会事務局に入られたのは?

 2000年です。私は1981年に阪神に入団し6年間在籍しました。退団して会社勤めをしていた頃、松原さんに声をかけていただきました。当時はフリーエージェント(FA)制の獲得、最低年俸、追加報酬額引き上げの実現など、今思えば、選手会として一つの転機を迎えていた時期でした。

神津 球界再編問題などもあり、その時期は特に大変な思いをされたと思います。選手の皆さんも、野球をしながら労働組合としての活動もしなければならない。

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 1998年に、第5代選手会長に就任した古田敦也さんは、プロ野球界全体のために選手会は何をすべきかという問題意識を強く持っていました。翌年12月には「プロ野球の明日を考える会」というシンポジウムを開催したのですが、その中で野茂選手から衝撃的な発言があったんです。

「僕がメジャーに行くとき、日本の選手会は何もしてくれなかった。選手が一人で悩んでいるときに、力になるのが選手会の役割。何かを打破するには団結して行動しなければいけないのに、今のままだと組合が弱くて対等な立場にならない」と。

神津 野茂選手自身、海外への道を切り拓き、世の中を変えていった方ですから、そう言われては労働組合として忸怩(じくじ)たるものがありますね。

 この発言が選手会の転機になりました。古田会長も松原事務局長も、その言葉を受け止めて、以来、対話を重視し、選手を一人にさせないという強い意識をもって活動するようになったんです。

神津 「一人にさせない、みんなで助け合う」は、まさに労働運動の原点です。皆さんの取り組みは、その後大きな感動を呼びました。

―2004年、球界再編問題が起きます。

 シーズン中の6月13日、近鉄・オリックス合併というスクープ記事が出て、本当に驚きました。選手会は、単に球団数が減るとプレーする機会が減るからということだけで、合併に反対したわけではありません。どの球団にも長年のファンがいて、支えてくれるスタッフがいる。それを簡単につぶしていいのか。

せめて1年間あらゆる手を尽くして存続の道を探るべきではないかと訴えたんです。

神津 球団合併という重要なことを、選手会との話し合いもないまま、そして球団維持の努力が何もなされないまま、一方的に決めていいのかと...。

 球団が合併するとなれば、私たち選手だけの問題ではありません。球団には選手会に所属していない、「裏方」に徹してくれている大勢のスタッフがいて、球界を支えています。近鉄の礒部公一選手会長も、「自分たちは1年勝負だからいいけど、裏方さんはどうなるのか」と、真っ先に気にかけていました。

神津 メンバーシップだけでなくて、ファンやプロ野球に関わるすべての人を含めて考えようという姿勢は非常に重要なことです。だからこそ、ファンの共感を呼び、世論の圧倒的支持を得ることができたんですね。合併は、経営判断に属する事項であったとしても、選手やスタッフの雇用・労働条件と密接不可分に関わる問題です。

連合も、誠実な協議・交渉を求める選手会を支援しようと呼びかけました。そして古田選手会長が、ストライキについて教えてほしいと、ここ連合本部に当時の笹森会長を訪ねて来られました

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 笹森会長からは「一人の脱落者もなしに、心を一つに」とアドバイスされました。古田会長は、何のために闘うのかを問い続けていました。辿り着いた答えは、「球団数が減れば、プロ野球への門戸が狭まる。それはプロ野球の衰退を意味する。

選手会は、将来の子どもたちのために闘おう」。選手会が最終的な合意までの103日間を闘い抜くことができたのは、その答えを全員で共有し、心を一つにできたからです。近鉄とオリックスだけでなく、すべての球団の選手が当事者意識を持っていたからです。日本プロ野球選手会が労働組合でなければ、12球団・2リーグ制は守れなかったと思います。

神津 自分たちの労働条件だけでなく、球界全体の発展のために行動する。それができるのが労働組合の重要な役割ですね。連合に加盟する労働組合も、労働条件交渉はきちんとやりながら、企業や産業全体の発展のための提言を続けています。

 選手会の活動には、大義がなくてはいけない。ファンが球場に来てくれてこそ、自分たちがある。ファンを大切にし、個々の選手に寄り添い、そして球界全体の発展を考えていく。あの時、あるオーナーに「たかが選手ごときが口を出すな」と言われましたが、球団と選手は対等なパートナー。しっかり口を出していくのが選手会の役割だと思っています。

神津 実際、東日本大震災が起きた2011年の開幕問題やWBC(World Baseball Classic)出場問題でも、選手会は大きな存在感を示していました。

 大震災のとき、球団側は西日本を中心に予定通り開幕しようとしました。しかし、新井貴浩選手会長は、楽天選手会から深刻な被災状況の報告を受け、開幕は困難と判断し、コミッショナーに談判したんです。新井会長のリーダーシップはその後のWBC出場問題でも力を発揮しました。

神津 「社団35周年・組合30周年記念感謝祭」で歴代選手会長が語る30年の歩みを、現役選手の皆さんがしっかりと受け止められたとお聞きしています。安全対策に始まり、生活保障、経営対策、産業対策と、選手と対話し思いを汲みながら着実に前進してきた30年に、労働組合の進化の歴史が凝縮されています。

 毎年2月にキャンプをまわって新人研修をしていますが、最近は10年以上前のストライキを知らない選手が増えているんです。先輩たちが何を求め、どう行動したのか、しっかり語り継いでいかなければと思っています。

夢が持てる魅力あるプロ野球界へ

―松原前事務局長から受け継ぎつつ、これから力を入れたいことは?

 松原さんは、とにかく寸暇を惜しんでいろいろな人に会い、いろいろなことを吸収されていた。そこは見習いたいですね。

代理人制度や戦力外選手の合同トライアウトなど、大きな問題が一段落した中で、これから力を入れたいのは、選手の社会的地位の向上、セカンドキャリアの支援です。選手の多くは若くして現役を引退し、一般社会に出ていく。「野球しかできない」ではなくて、野球を極めたのだから、新たな世界でもやっていけるという自信と誇りをもって次に踏み出せる環境をつくっていきたい、選択肢を増やしてあげたいと思っているんです。

神津 それは大変重要な取り組み課題ですね。野球を通して学んだことは、一般の社会でも活かせることが多い。そこは連合も連携できるかもしれません。さまざまな産業の労働組合が加盟しているし、全国47都道府県の地方連合会はさまざまなかたちでの就労支援に積極的に取り組んでいますから。

 ありがとうございます。もう一つ、「野球の楽しさ」を伝える活動でも連携できるとうれしいですね。連合メーデーでは、子どもキャッチボール教室やキャッチボールクラシックを開催していますが、カギは女性の参加です。最近は女性ファンも球場を盛り上げてくれていますし、キャッチボールクラシックも男女混合チームにするなど、女性が参加しやすい工夫をしていきたいですね。

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神津 それはいいですね。連合には野球ファンが多いんです。これからも、いろいろな形で連携させていただきたいと思います。

―本日は、「メンバーシップだけでなく、関わるすべての人のために」という、労働組合としての活動の意義を再確認する良い機会となりました。ありがとうございました。

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[進行/山根木晴久 連合総合組織局総合局長]

※こちらの記事は日本労働組合総連合会が企画・編集する「月刊連合 2016年3月号」に掲載された記事をWeb用に編集したものです。