戦後70年首相談話に期待する

「硬性憲法中の硬性憲法」である日本国憲法の改正は実質上不可能であるが、日本を取り巻く国際情勢は著しく変化している。
|

安保法制、集団的自衛権をめぐる議論が飛び交っている。軍事も安全保障も法律も専門外の私は黙ってみているのだが、ただ母校である早稲田大学が「安全保障関連法案の廃案を求める早稲田大学有志の会」発として、「安倍政権による憲法無視・国民無視の暴走に抗議し、安全保障関連法案の廃案を求めます」という声明を出したので、フェースブックの片隅に「付和雷同」とだけ書いた。

早稲田大学の長谷部恭男教授が衆議院憲法審査会で「安保法制は憲法違反」との見解を述べたことが世論に強く影響を与えたようだから、他学よりも早稲田のなかは熱しているのかもしれないが、声明に名を連ねておられるさまざまな分野の研究者は、「学の独立」にふさわしい信条を揺るぎなくされているのだろうか。早稲田大学の声明には「日本を戦争する国に変えようとしている」と書かれてあるのだが、今の日本に武力をもって出ていく対象と狂気があるだろうか。自衛権の在り方をめぐる議論をそのように解釈するのが、彼らがいう「学の独立」なのか。私は、60年安保闘争は間違いだったと考えている。あの運動が安保条約改正の中身と意味を十分理解して展開されたものとは、到底思えないからである。同じ誤りは繰り返したくないものだ。

集団的自衛権は必要である

私は、一昨年にアルジェリアでイナメナス人質事件が起きて10名もの日本人が犠牲になったことの衝撃をまだ引き摺っている。アフリカのようなところを専門にしていると、基本的に世界は危険なところだという認識になる。たとえば、もはや崩壊国家と化した南スーダンで自衛隊になんらかの活動が下令されたら、紛争国に選挙監視団が派遣されたとして彼ら彼女らの生命を守れといわれたら、国際PKOが一体となって行動するしか方法はないのである。つまり集団的自衛権だ。

軍事バランスの変化と安全保障装置の不在という点では、東アジアは世界でもっとも危険な地域だろう。東アジアでの軍事的衝突を回避するのは日本一国の力ではおそらく不十分で、国際協力が必要だ。日本には中国が暴走する事態を抑止するという身に迫った必要があるし、北朝鮮の冒険主義はさらに危険度が高い。また、グローバル化は経済だけで起こっているのではない。テロ組織や犯罪組織もグローバル化して、強力化している。

まず憲法を改正するのが法治国家としての順序だという意見はよく分かる。憲法学者が安保法制を違憲とするのも、専門家の意見として尊重したい。だが、現実問題として現行憲法の改正は可能だろうか。高校で日本国憲法は「硬性憲法中の硬性憲法」だと習ったが、高校時代の私は、憲法改正は実質上不可能なのだと理解した。一方では国際情勢が著しく変化し、日本人の活動域が格段に広がったいま、憲法が変えられないならほかの方法で国民の生命と財産を守るしかない。私はそう思っている。

歴史に向き合う必要性

国際関係に善意が働かないとまではいわないが、善意で決まるものではない。国家としての総合的力量がまずベースにあって、国際関係の力学が生じる。自国の力量と意思を相手にうまく認知させることが外交の要諦だ。安保法制によって日本が発揮できるようになるキャパシティを示し、そのうえで友好と協力の意思を伝達することが重要であり、どちらが欠けてもいけないのだと思う。中国の外交スタイルを、アフリカという日本とは反対側から見続けているが、中国の国益追求は一貫している。いったん方針を固めたら、勉強を積み重ねて方法論を練り上げ、できることはなんでもやってくる。

歴史教育にしても、共産党の自己保身くらいで片づけられるものではないと思っている。歴史に向き合わない国家はダメになる。中国がアヘン戦争以後に味わった屈辱は、国家解体の危機であっただけに、世代を超えて伝えていくだろう。中国共産党は共産主義イデオロギーを捨ててナショナリズム政党になっている。したがって、毛沢東時代の階級連帯的国際主義はもうないのである。

私の研究テーマにはもうひとつ、援助がある。援助を案件レベルや国際開発イデオロギーでみるのではなく、戦後の世界史の一環として歴史的に捉えるという研究である。その観点から日本の援助政策史をみると、日本が早い段階で援助国になったことで敗戦の記憶が希薄化したのではないかと思えるのである。

ドイツの復興が西欧という巨大地域市場を舞台にすることで初めて可能になったように、日本の復興も東南アジアという地域があってこそ実現した。だから、西独による旧仏領・旧英領アフリカの経済支援も、オランダとイギリスが撤退した後を埋める日本によるアジア経済支援も、戦後復興のためのいわば条件であった。「戦災の焼け跡から立ち上がって他国を援助できるまでになった」という論理は、実は逆さまなのである。

アジアで支持された村山談話

そういう役回りを与えられたことは日本にとって幸いだった。1940年代には東南アジアで強かった反日感情、日本に対する強い警戒心は、この役回りを見事に演じきったことでだいぶん癒された。しかし、日本人がみずからのイニシアティブで日本帝国の末期に決算処理を済まさなければ、国際社会における道義的優位をえられないのではないか。20年前の村山談話を屈辱と感じる人々がかなりいるようだが、そのようなか細い自尊心の在り方にこそ危うさを感じる。謝ることのできない自尊心は単なるコンプレックスである。

八紘一宇であれアジア解放であれ、当時どのようなイデオロギーを掲げていたにしても、武力をもって異民族の居住地に侵攻し、兵站線が伸びきって物資供給も統制もとれなくなった軍隊に略奪と殺戮を行わしめたことは事実である。1995年の村山談話がアジアの有識者をうなずかせ、日本に対する信頼につながったことは記憶しておきたい。いまこそ、アジアでの確固たるポジションが必要なときなのだ。安倍談話はきっとそれに貢献してくれるものと信じたい。安倍談話作成のために置かれた21世紀構想懇談会には、私が働いている研究所の白石隆所長も、敬愛する北岡伸一教授や川島真教授もおられる。報告書が8月6日にできたばかりだが、一読してさすがだと思った。これを基に優れた談話がつくられれば、アフリカ政策にもかならずよい影響がでる。

学ぶべきこと、教えるべきこと

今年もおそらく終戦記念日には、戦争被害者としての悲しいドラマが各局で流されるのだろう。だが、日本人は戦争加害者として国際的には認識されていることを、肝に銘じておきたい。勝ち目がないと分かっていた戦争に一か八かで乗り出して、国家存亡の危機にまで日本を追いやった政治と組織を、当時の日本人はどうして支持したのか。2度とあのような国家的民族的自殺行為を行わないためには、なにを警戒し、なにを心掛けておかなければならないのか。8月15日は毎年、その課題を我々に問うているのだと思う。私たちは学ぶべきことをちゃんと学んできただろうか。子供たちに教えるべきことを教えてきただろうか。

平野克己

1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETROヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、現在、上席主任調査研究員。最新刊『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。

関連記事

(2015年8月10日フォーサイトより転載)