【3.11】「避難者、帰れ」落書きから2年 チェルノブイリを参考に始まった、いわき市民による取り組みとは?

「避難者、帰れ」。福島県いわき市役所の玄関でショッキングな落書きが見つかってから2年3カ月。地元住民の中から、避難者に対する理解をうながす取り組みが生まれている。
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いわき市と福島第一原発の位置関係図

「避難者、帰れ」。東日本大震災から1年半経った2012年12月、福島県いわき市役所の玄関でショッキングな落書きが見つかった。福島第一原子力発電所から約30km南に位置するこの街には、事故による避難者を含めた約2万4000人が避難。 賠償金格差などが原因で避難者と地元住民との間に軋轢が生まれ、避難者の自動車が何者かによって破壊されるなどの問題が、センセーショナルに報じられた。

あれからさらに2年3カ月。震災から4年が経過した今、地元住民の中から、原発避難者に対する理解をうながす取り組みが生まれているという。いわき青年会議所(JC)のメンバーに、1月下旬、話を聞いた。

■「表には出なくなった。しかし、根は深い」

震災直後、いわき市では、原発被災地からの避難者が集中、交通渋滞が起こったり、医療機関が混雑したりしたため、いわき市住民から不満が出た。

さらに双葉郡住民といわき市住民には賠償や待遇に違いがあったこともあり、避難者に対する偏見も発生。「避難者は賠償金をパチンコに使っている」「賠償金で高級車を乗り回している」などと言う人がいることも報じられた。

しかし、それも今は報道されることもなくなった。

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野木和洋さん

「車が傷つけられるなどの報道があったときに比べると、今は(避難者に対するバッシングも)落ち着いてきています。表立っての問題はないんです。しかし、問題はより内在化してきていると思います」。

そう話すのは、いわき市に住む会社員、野木和洋さん(39)。いわきJCで2014年、住民と避難者の相互理解を促すことを目的とする「心の復興推進委員会」委員長を務めた人物だ。

確かに大きく報道されることはなくなった。それでも、双葉での生活を諦め、いわき市で生活を再建するために家を建てた避難者に対し、「ああ、あの人は賠償金をもらっているからね」と話す人や、旅行に行った避難者に「高速、無料だもんね」と言う人は、まだいるという。

問題は「より根深くなり、心の問題になってきている」と野木さんは述べた。

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赤津慎太郎さん

2015年のいわきJC理事長を務める赤津慎太郎さん(35)は、自身が経営する保育園の例を紹介した。

「2014年に採用した職員の一人は、仕事でのミスを『避難者だから』と言われたことが原因で、前の職場を辞めてきました。全く違うところですよ。避難と仕事は関係ないのにそういう方向に勝手に持って行かれる。実際にそういう目にあった職員の話を聞くと、悲しくなります」

■「チェルノブイリでは、子供や孫の世代に、うつの人が多くなった」

このような問題を解決しようというのが、「心の復興推進委員会」だ。2014年のいわきJC理事長を務めた渡辺大輔さんの発案で、2014年1月に発足した。野木さんによると、渡辺さんはチェルノブイリ視察がきっかけで、このプロジェクトを立ち上げようと思ったのだという。

「渡辺はチェルノブイリに行ったときに、現地の方から『避難した方と今住んでいる方との間に、必ず“軋轢”が生まれると思います』というような話を聞いたそうです。避難した方の子供さんとかお孫さんの世代に、うつ病などを発症する割合が多いというようなことが、研究データとしてあった。

その後、いわき市の問題も報道されて。そうした軋轢が子供の世代に与える影響を考えたら、今のうちにいわき市からなくしておきたい。未来を担う子供たちが、ふるさとにわだかまりを持ったまま大きくなっていいわけがないんです。避難された方も胸のつかえなく生活してほしい、いわき市民としても、良き隣人として接していきたい、そうという思いがあり立ち上げました」

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いわき青年会議所が発行する「心の復興推進委員会だより」

委員会では、座談会や有識者によるシンポジウムを開催。避難に関する正しい情報を掲載した広報紙を新聞に折り込んだり、仮設住宅に置いてもらったりしてきた。

避難者への偏見は、たとえば「避難者はいわきのインフラにタダ乗りしている」などの間違った情報による誤解から生まれていることが大きい。ゴミ処理などの費用は、避難者ひとりひとりの分が国から自治体へ分配されているが、それを知らない人も多い。そのような間違いを正すような情報を、広報紙に盛り込んだ。野木さんは活動を続けるにあたり、次のように話した。

「2014年に、心の復興委員会で福島第二原発や避難者が住んでいた地域を視察しました。もし第二が第一と同じ状況になっていたら、いわき市民も双葉郡の人たちと同じ状況になっていたかもしれなかったんです。避難者を理解するには、その気づきが必要だと感じました」

■「行政では、まだ手が回らない」

これらは本来、自治体などが行うべきものだ。ところが、現在のいわき市には、これらの活動を行政に任せにはできない事情も存在する、と野木さんは分析する。

原発避難者が全ていわき市に避難したわけではない。福島県内でも郡山市や福島市など、他の地域に避難した人もいた。しかし、郡山市や福島市などは福島第一原発からは60km以上離れており、また、海にも面していないため津波被害もなかった。

一方でいわき市は、福島第一原発まで30kmと近く、津波で避難しなくてはならなかった人もいた。いわき市としては、まず自分の市民のために手を尽くさなくてはいけない。復興への道程はまだまだ長く、行政側としてもとてもではないが「我々は、双葉郡の人々のために手を尽くします」とは、すぐには言えない状況があったのではないかという。

「行政を待っている間に、どんどん溝は大きくなります。それなら、自分たちでできることをやろうと。それで、心の垣根を取り払うことから始めました。これは自分たち、そして、自分たちの子供の未来につながることでもあるんです」

東日本大震災で津波の被害を受けた福島県いわき市の久之浜付近(2011年5月13日撮影)

■「商業の共生は、なかなか言い出せない」

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橘あすかさん

活動を続けていく中で新たな課題も見えてきた。それが、「共に稼ぐ」という問題だ。いわき市で市場調査会社を営む橘あすかさん(33)は、ただ、公営住宅を立てればいいわけではないと指摘する。

「まだまだ福島第一原発に近い自治体では、避難指示は解除されていません。避難している人は避難先の町で、生活再建をしていくということを考えるわけです。公営住宅も建てられます。

ところが住宅だけで良いのかという問題が出てきます。震災前に商業を営んでいた人たちは、避難先でも商業再開についても希望を持っていて、役場や住宅の周りで店舗再開の見通しを立てたいと感じると思うんですね

ところが、避難先の地域にも同様の商売をされている方がいらっしゃる。競合になってしまうのではないか。商業者同士の共生となると、住宅を建てることよりもさらに、地元の方に限らず避難者のかたも、なかなか言い出せない状況もあるのではないかと思います。今、お互いが歩み寄るような前向きな取り組みが、ようやくはじめられところです」

■「乗り越えなければ、街の発展はない」

赤津さんは、地元住民が避難者の商業再会を受け入れることで、街の発展につながると話す。

「『新規参入は困る』など言っていると、街が向上していかないのではないのではないかと私は思うのです。世間では地方創生という言葉も聞かれるようになりましたが、新規の参入を止めてしまうと、街づくりも止まってしまうよなと。もちろん、そこにずっと根ざしてやってきた方々にとっては、不安なも思いもあると思います。しかし、福島を復興したい、街を発展させたいという思いは、どちらも同じなんです。お互いが相互に努力しあうことで、より良いサービスが生まれると思います」 

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議論を交わす赤津さんと橘さん

橘さんは、まずはこの問題が震災の問題だけでなく、地方創生の問題であるとの認識を皆が共通で持つことが必要だと指摘する。

「エリア全体をボトムアップするんだという意識を、皆が共通で持てるかというところが今の課題だと思います。そのためにはまず、糸口を作る必要がある。委員会では2015年は、さらなる情報発信などを行いたいと考えています」

野木さんは、いわき市に人が集まることを、逆にチャンスと捉えたいと話した。

「今は少子高齢化の時代です。そんななかで、いわき市には人が集まってきた。双葉の人と同じ街を盛り上げるのだという考えで、やっていきたい」

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