伊藤忠の打ち出した業務朝型化は成果主義が日本で定着しないことの裏返し?

伊藤忠商事は8月2日、社員の朝型化を目指して、勤務体系の見直しを行うと発表した。夜10時以降の業務を禁止とし社内を完全消灯する。また割増賃金の適用範囲を始業時間前の午前9時まで拡大し、社員の早朝出勤を促す。
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伊藤忠が取り組む業務朝型化の本質は、フレックス制度の廃止にある

伊藤忠商事は8月2日、社員の朝型化を目指して、勤務体系の見直しを行うと発表した。夜10時以降の業務を禁止とし社内を完全消灯する。また割増賃金の適用範囲を始業時間前の午前9時まで拡大し、社員の早朝出勤を促す。

このような制度の変更に踏み切ったのは、深夜に行われる残業が非効率になっているからである。同社はこれまで夜10時以降の残業を原則禁止とし、残業を減らす取り組みを実施してきた。だが一定の効果が見られたものの、それ以上の残業削減は難しい状況にあったという。

残業を早朝に誘導すれば、9時には通常業務が始まるため、何としてもそれまでに業務を終了させるよう努力することになる。結果として総残業時間が減るという仕組みである。

ただ同社の取り組みには別の側面も垣間見える。同社ではこの制度の導入とセットで、顧客対応重視という観点からフレックスタイム制一律適用の廃止も検討している。フレックスタイム制はある意味で成果主義人事とセットになっているものであり、この制度の廃止は成果主義人事が日本では定着しなかったことの裏返しともいえる。

成果主義は、日本企業のグローバル化という流れを受けて、1990年代に相次いで各社が導入を決定した。だが、成果の定義があいまいで恣意的な評価になる、社員の相互協力が希薄になる、などの弊害が指摘され、事実上各社は成果主義人事の撤回に追い込まれている。

欧米や中国の企業は多くが成果主義人事を導入しているが、日本に比べるとうまく機能している。その理由は、報酬を自由に設定できることや、解雇が容易であることなど制度面の状況が日本とは大きく異なっているからである。また目標の設定や評価基準などが厳密で論理的であることも、うまく作用していると思われる。

一方、日本企業の意思決定や評価は情緒的であることから、こうした制度は機能しにくい。ある著名な米国企業では、若い社員の将来のポテンシャルすら厳密に定義が決まっており、その条件を満たす社員は、ポテンシャルが高いと判断され評価がプラスとなる。だがその内容はというと「挨拶を積極的にしている」といったものだったりするのだが、こんなところにまで統計を駆使してポテンシャルを数値化し、評価に取り入れるというあたりはかなり徹底している。おそらく日本であれば「挨拶を積極的にする」ことをもってポテンシャルが高いと会社が定義したら、各方面から大きな反発が出て制度が機能しなくなる可能性が高い。

各人が自由な時間に勤務できるフレックス制度も、こうした徹底した成果主義が実現してはじめてうまく機能する。成果主義を事実上廃止した日本企業では、フレックス制度はややもすると、社員が好き勝手な時間に出社して生産性を下げるという事態にもつながりかねない。同社の決定はこのあたりを危惧したものと思われる。

一方でフレックス制度の廃止は労働スタイルの多様化という点では逆行する動きともいえる。ただ成果主義人事にしてもフレックス制度にしても、硬直化した雇用制度のもとではうまく機能しないことだけは確かなようである。最終的には、雇用は不安定だが自由な働き方ができる社会がよいのか、雇用は安定しているが画一的な働き方しかできない社会がよいのか、という選択になる。

日本企業は一時、前者に向けて舵を切ったかに見えたが、今回の伊藤忠の決定は、日本はやはり後者に戻ろうとしていることを象徴しているのかもしれない。

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