アメリカとアラブ諸国の多国籍軍は9月23日、シリア領内のイスラム教過激派の「イスラム国」の拠点を空爆した。イスラム国はイラクからシリアにまたがる広大な範囲を占領しているが、実際にはどれくらいの広さなのか。日本地図と比較してみた。
イスラム国は最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディ容疑者が率いる組織。6月29日にイスラム国家を樹立を宣言した。6月上旬にはイラクとシリアの一部のみが勢力下に置かれていただけだったが、9月には両国にまたがる広い地域に支配地域を拡大している(下記地図の黒い部分を参照)。
イスラム国の9月時点での支配地域は、本州の半分程度の広さになる。イスラム国の地図を回転して日本地図に重ねてみると、岩手県の久慈市から福井県の小浜市までをカバーするほどになる。
シリアの都市ラッカ(上記地図の岩手県・平泉の位置)は、イスラム国の「首都」だとされる。2013年3月にシリアの反体制派が政府軍を撤退させて制圧。その後、勢力を拡大したイスラム国が、安定的に支配してきた。ラッカやその周辺には、イスラム国がシリア軍などから奪った大量の武器を保管する倉庫や兵士の訓練施設、司令部などがあるとみられ、今回の空爆の対象ともなった。
■世界的に知られることになったイラクの「モスル」占領
イスラム国の前身である「イラクとシリアのイスラム国」(ISIS)が世界的に知られるようになったのは、2014年6月10日にイラク第2の都市モスル(地図上の千葉県茂原市の位置)がイスラム国によって占領されてからだ。6月11日にはサダム・フセインの故郷であるティクリートも制圧し、首都バグダッドに迫った。イラク警察と軍の兵士たちは、自分たちの軍服や装備、下着までも床に置き捨てて真夜中に逃亡したという。
郊外にあるモスル・ダムは、モスル周辺の地域に電気と水を供給しているが、8月はじめにイスラム国に占拠された。ダムが決壊すると、下流にある地域で50万人の死者が出る可能性があるといわれていたが、後にアメリカ軍による空爆などの支援を受けたイラク軍とクルド人部隊が、同ダムの奪還に成功した。
■欧米企業も進出する「アルビル」にもイスラム国が迫る
イラク北部のアルビル(地図上の千葉県館山市の南の位置)はバグダッドなどと違い治安が良いため、最近ではヨーロッパやトルコなどの外国企業の進出が相次いでいるクルド人自治区の中心都市だ。しかし、郊外の油田がイスラム国によって襲われ、この都市にはアメリカの総領事館もあることから、アメリカ軍は8月にこの都市の郊外を空爆した。
この空爆は、一定の効果は出たとされるが、この時のアメリカ国内の世論調査では「空爆に長期的な戦略性が見えない」などとの反対も大多数を占めた。8月後半には、アルビルが自動車爆弾によって狙われた。
アルビル郊外には、戦闘から避難してきた難民85万人を抱えるキャンプがあり、国連などが支援を行っているが、迫りくる冬に対して、ビニール製のテントでは寒さを逃れられないのではないかなどの懸念の声も出ている。
街の一部が世界遺産にも登録されているシリア北部のアレッポ(地図上の岩手県久慈市の位置)でも、戦闘が続いている。時事ドットコムによるとアレッポは主に東部を反体制派、西部を政府軍が掌握して争っており、「反体制派が地下トンネルに爆発物を仕掛け、歴史的建造物が次々破壊されている」という報道もあるという。
アメリカのケリー国務長官は9月22日、ニューヨーク市のメトロポリタン美術館で講演し「最悪の文化的野蛮」と述べ、イスラム国による文化財の破壊を激しく糾弾した。しかし政権側も、たるに爆発物や金属片を詰めた「たる爆弾」を、ヘリコプターから投下してきた。
なお、8月中旬に千葉県の湯川遥菜さんが拘束されたのも、アレッポだった。