「遺伝学の観点からも、指導を受けられます」
子供を望んで病院を訪れたリアとジョセフの顔を見ながら、医師は言葉を続ける。「体外受精や着床前診断で様子を見る手もあります」
二人は低身長症の夫婦。ジョセフは、「病院の理想は"健常児"。どんな親も"普通"の子を望むはずだと彼らは思い込んでいる」と映画『いろとりどりの親子』で語る。
『いろとりどりの親子』は、世界24カ国で翻訳されたベストセラーを映画化した。自閉症やダウン症など、違いをもつ子供とその家族合計6組を、2年以上かけて追った。
11月17日の映画公開前には、東京都内の高校でレイチェル・ドレッツィン監督と、11人の高校生が語るトークイベントが開かれた。
「障がいを持っている人を見て、不幸だと思い込んでいませんか?」と問いかける監督に、「障がいを持った人の映画を作ることが差別にはなりませんか?」という質問をぶつける高校生。
違いの大切さを訴える監督に高校生たちは、何を聞いたのだろう。
■どうやったら、障がいのある人への偏見をなくせるのですか
高校生:映画では障がいを持った人たちが描かれていますが、違いを知るとかえって差別してしまわないでしょうか?
映画を通して私たちが伝えたいのは、「自分と違う人と親密になれば、差別感情というのは消えてなくなる」ということです。私自身も、撮影を通してそれを体験しました。
低身長症のジョーと初めて会った時、ものすごくぎこちない気持ちを感じました。(腕が短い)彼との握手の仕方に戸惑い、固まってしまったくらいです。
でも2、3回会ううちに、ぎこちなさはすっかり消えてなくなっていました。レストランで彼にビールを手渡した時に「ワオ!彼の手ってこんなに短かったっけ」と驚いたくらい、彼の見かけが周りと違っていることに気付かなくなっていました。友情は驚くような素晴らしい関係を生みます。
反対に、差別感情を作るのは思い込みや先入観、親密さの欠如だと思います。多様な環境を作って自分と違う人を知れば、差別は少なくなると私は信じています。
高校生:でもそのぎこちなさは、知らない人と会った時に、誰もが感じるものじゃないでしょうか?障がいを持った人だけにフォーカスをして映画にするのは、逆に差別になりませんか?
映画のメッセージは、障がいのある人に限らずどんなケースでも当てはまると思います。例えば、親が子供を理解しようとする時には、子供の気持ちや経験を知らなければいけませんよね。私たちが初めて出会った人を理解しようとする場合も、同じです。
大切なメッセージを多くの人に伝えるためには、極端なケースを取り上げた方がいい場合もあります。より多くの人に伝えるために、私たちは障がいを持った人たちをフォーカスしました。
私の住むアメリカでは、人種や国籍など様々なバックグラウンドを持つ人たちが暮らしています。でも多くの人が、自分と似た人と一緒にいたがる傾向があります。
私は自分の子供に、違う人たちと出会い、彼らをもっとよく知りなさいと伝えているんです。それは私たち全員にとって、大切だと思っています。
高校生:障がいのある人たちも、そう考えているんでしょうか? 映画では、自分と同じ障がいを持った人たちと一緒にいる方が居心地がいい、と言っている人もいました。
どちらかを選ぶ、ではなくて両方が大事だと思います。自分と似た人から得られる居心地の良さはとても大切ですし、一方で自分と違う人と時間を過ごすことも大事です。
障がいのある人の中には、そうでない人に恐怖心を持っている人もいると思います。だけど彼らはほとんどいつも、自分だけが周りと違うという状況の中で生きています。障がいのある人にとっては、周りと違うことが日常なのです。
私は撮影で訪れた低身長症のコンベンションで、自分だけが周りと違う経験をしました。とても意義深い経験でした。この経験、私たち全員にとって必要だと思います。
■ アイデンティティを決めつけない方法は?
ちなみに、皆さんの中で、自分を定義する一番のアイデンティティが日本人だ、という人はいますか?(顔を見合わせる生徒たちを見て)いない(笑)?
例えば低身長症の人と出会ったとします。私たちは、一番最初に目に入ってくる低身長症を、その人のアイデンティティだと勝手に思い込んでいないでしょうか? 私もそうでした。
低身長症は、もしかしたらその人にとって最大のアイデンティティかもしれないけれど、女性ということを一番のアイデンティティだと感じているかもしれません。パンクロッカーかもしれないし、親という可能性だってあります。
低身長症は、その人のアイデンティティの一つにすぎません。
だから、私たちが今すぐできることは、障がいのある人のアイデンティティを、勝手に決めつけないことなのかもしれません。私たちは、違う部分より共通する部分の方が多いんです。それは、一緒に時間を過ごすとすぐにわかります。
私たちもこうして話しているうちに、日本人、アメリカ人という国籍以上のアイデンティティをお互いに発見していますよね。
高校生:映画を見て、障がいは"害"じゃなくて単に"違い"なんだと気づきました。でもそう気付ける人はあまりいないと思います。
障がいは害だという見方をしてしまう人の多くが、近くに障がいを持った人がいないことが多いと思うんです。私だって、映画を撮る前はそう思っていましたから。
私たちは、障がいを持っている人を見て、つらい人生を送っているじゃないだろうかとか、生きたいように生きられていないんじゃないだろうかと、勝手に思い込んでいないでしょうか?
もちろん障がいで生きにくさを感じる場合もあるでしょう。でも、障がいがコミュニティを作るためのアイデンティティや、その人にとっての誇りになっている場合も多いのです。
アイデンティティは私たちそのものです。私たちは、自分のアイデンティティを根本から変えようと思いませんよね。
障がいは害でないと気がつけば、障がいを持った人に対する先入観はなくなると思います。私たちは相手を知らないから、恐れたり先入観を持ったりします。それを捨てるための一番の方法は、相手を知ることです。
もし障がいを害と捉えているのであれば、先ほども言ったように、まずは自分と見た目や考え方が違う人たちと親密な時間を過ごしてみてください。きっと、驚くような経験ができると思います。
高校生:より多様な社会にするために、社会の一員として、個人として、そして高校生として私たちは何ができるのでしょうか?
一つ皆さんに聞きたいことがあります。日本の学校では、障がいを持った生徒たちは一般の生徒たちと同じクラスで授業を受けているのでしょうか?
映画に出てくる自閉症のジャックを覚えていますか?彼は6年生まで特別支援教室で授業を受けていました。両親は、彼が言葉を話せないので、授業を理解できていないと思っていました。
ところが、ジャックとコミュニケーションする方法を見つけて、両親は彼が全てを理解していたことを知ったのです。上級レベルの算数も本も、同年代の生徒たちに負けないくらい理解していました。
幸いにもジャックを受け入れる学校があり、彼は今一般のクラスで勉強しています。今でも言葉は話しませんが、成績はオールAです。
私たちは自閉症やダウン症のある人たちはいい成績を取れないと思い込んでしまいがちです。でもそれは、間違っていることが多いんです。
だから、高校生として何ができるかという質問への答えの一つとして言えるのは、障がいを持った学生と一般の学生が一緒に学ぶことじゃないでしょうか。一緒に学ぶと、障がいのある人に対する差別は減るんじゃないかな。
それに一緒に学ぶことで恩恵を受けるのは、障がいを持った生徒ではなく一般の生徒たちであることが多いんです。一般の生徒の多くが、偏見がなくなった、すごく良かったと話してくれます。
私たちの社会は今、自分と違う人を恐れています。それを変えるのは、皆さんのような若い世代です。見た目や行動の仕方が異なる人たちが住み、人種のるつぼと言われるアメリカも、うまくやれていません。
そんな時代だからこそ、自分と違った人を受け入れることが、今までにないくらい世界中で重要だと思います。ぜひそういった考え持って、未来に向かって下さい。
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『いろとりどりの親子』は11月17日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開