イラクに日本は何をもたらしたのか 映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」の監督、綿井健陽さんに聞く

イラク戦争開戦からの10年間を描いたドキュメンタリー映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」の監督・撮影を務めたジャーナリスト綿井健陽さんにインタビューした。
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イラク戦争は2003年3月、大量破壊兵器保有を口実に、アメリカ軍などによる首都バグダッド空爆から始まった。開戦からイラクを取材し続けてきたジャーナリストの綿井健陽(たけはる)さん(43)が監督・撮影を務めたドキュメンタリー映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」が、10月末から公開される。

作品は、開戦から10年間の戦乱のイラクを描いた。現地はいまなお混乱は収まらず、さらにはイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」が攻勢を強め、アメリカが2014年8月にイラク北部を再び空爆した。ハフポスト日本版は綿井さんにインタビューし、日本も支持をしたこの戦争がイラクに何をもたらしたのかなどを聞いた。

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インタビューにこたえる、映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」監督の綿井健陽さん=東京都新宿区

作品のあらすじはこうだ。2003年4月、チグリス川周辺を連日襲った激しい空爆の翌日、綿井さんはバクダッド市内の病院で多くの空爆犠牲者たちと出会った。全身血だらけの娘シャハッド(当時5歳)を抱きかかえるアリ・サクバン(当時31歳)。彼はこの空爆で3人の幼い子供を失った。同世代のアリに魅かれ、その後もサクバン一家を追い続けた綿井さんは、開戦からちょうど10年目に再会するはずだったのだが……。

「爆弾テロでイラク人が何人死亡」とだけ報じられるニュースの向こう側で、かつての少女は大人になり、ともに戦火をくぐりぬけ、親交を深めた友は命を落としていた。開戦当時三十代だった綿井さん自身が不惑を過ぎた。生き残ったイラクの人々は、終わることのない戦乱に疲れ果てていた。それでもなお、「戦争の日常」を懸命に生きる彼らの姿と表情と言葉を映像に刻みつける。

――この作品に取り組み始めたきっかけを教えて下さい。

イラク戦争開戦から10年を迎え、現地がどうなっているのか見たかった。目的は二つあり、ひとつはテレビで取り扱うこと、もうひとつは映画として公開すること。(2005年に監督したドキュメンタリー映画)「Little Birds イラク 戦火の家族たち」の続編を頭に思い描いた。これまでに取材した人たちのその後はどうなっているのかを、伝えたかった。

――撮影を始めたのは開戦の時です。そこから10年間、どのくらいの時間を取材に費やしたのですか。

撮影時間は全部で200何十時間になる。特に2003、4年にはイラクに行ったら1、2カ月滞在するなどして断続的に滞在した。2004年10月に日本人青年(当時24)が殺害されてから治安悪化が不安視され、日本の多くの大手メディアはイラクから日本人スタッフを撤退させ、現地はイラク人スタッフだけになった。

2006、7年は内戦状態で一番治安が激しく、撮影時間は少ししか取れず大変だった。結局、2008年から2012年の間にはイラクに1回も足を運ばなかった。別な取材をしていたということもあるが、入国ビザが発給されなかったこともある。大手メディアは問題ないが、(日本の)外務省や大使館から横やりが入ったのだろう、ビザが出なくてとても困った時期があった。

――治安は2005年ごろから悪くなっていたのですね。

今よりも(イスラム教シーア派とスンニ派による)宗派対立がひどく、日本の大手メディアは2005年以降は護衛を付けていた。様々な組織が乱立していた。この10年で一番つらかった時期はいつだったかのかとイラク人に聞くと、みな2006、7年と答える。NGOイラク・ボディー・カウントによると、民間人の死者数は2010年から減った。久しぶりに訪れた2013年は、それよりはましになっていた。

この10年の死者数は、イラクボディーカウントの推計では15万から18万人くらいとされている。実際にはもっと多いという説もある。

――作品中で、中心的に追いかけていたアリ・サクバンさんが殺害されていたことを2013年にイラクを久々訪れたときに知り、綿井さんが驚く場面が印象的でした。

アリ・サクバンさんの死亡は、昨年(2013年)3月、6年ぶりにイラクに入って初めて知った。ずっと連絡が取れなくなっていたが、生きているものだと信じていた。イラクで10年来一緒に仕事をしてきた通訳にも、その連絡が入っていなかった。しかも5年前(2008年6月)にすでに(銃撃されて)亡くなっていたという。衝撃的だった。

だが、アリさんの追悼ドキュメンタリーにはしたくなかった。今を生きている人たちや、アリさんの残された家族たちの表情や姿、思いを中心に描こうと思った。

――アリさんの年老いた父親は、紛争で4人の息子を亡くしていますね。つらいですよね。

息子のうち2人はイラン・イラク戦争で死に、アリ・サクバンさんら2人は宗派抗争で死んだ。いま、息子は一人だけ残っており、ほかに5人の娘がいる。イラクでは、親族の誰かが紛争で命を落とすことはまれなことではない。

――作品では、綿井さんが現地の家族にとても溶け込んでいて、そのため取材がスムーズにできていたように見受けました。特にイスラム教国では、女性への取材は簡単ではないと思いますが。

アリさんの娘は幼いときから知っていたから。でも、さすがに10年経って17、18歳になり距離を感じた。アリさんという父・夫を亡くした家族でもあるし。

もちろん、いきなり取材に入ったら難しかったと思うが、10年の蓄積があったので、なんとか撮影できた。しかし、家の外での取材はやはりやりづらかった。街中では、外国人は狙われてしまうし、現地の家庭を外国人が訪れるだけで周りのうわさになったりもする。首都ではスンニ派とシーア派とが入り乱れていて、近所でも「あいつが敵だ」とかうわさになる。だから、なるべく目立たないようにした。

――日本人は、この作品のどこに注目すればいいのでしょうか。

「この戦争を日本が支持したことを憶えていますか?」という言葉を映画のキャッチコピーにした。日本は(人道復興支援活動と安全確保支援活動のためとして)自衛隊をイラクに派遣した。在日アメリカ軍基地から兵士や武器が現地に送られた。

作品に、車いすの女性のテニス選手が登場する。アメリカ軍の砲弾の被害を受けた。彼女は「アメリカだけじゃない、それを支援したすべての国々にも責任がある。日本にも」と、静かだがきっぱりと言った。

一方、サダム・フセイン(元大統領)の銅像が倒されたときに現場にいた若者だった男性は、その後、顎を撃たれてしまった。彼は「すべての人に責任がある。話すことを恐れて黙っていたからこんな状況になってしまった」と語った。

日本では現在、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈見直しが閣議決定されるなど、心配な状況になっている。その男性が、日本人はそれでいいのかと問いかけているように感じた。この作品が、もう少し深く問い直す契機になってくれればと思う。

――2014年に入り、過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大させ、これに対してアメリカが空爆を始めるなど、状況が急変しています。アメリカのオバマ大統領が「イラク戦争終結」を宣言し、2011年末にアメリカ軍が完全撤退しましたが、これが現在の「イスラム国」の跋扈に結びついているということではないのですか。

「イスラム国」は、4月ぐらいまではイラク西部で活動しており、まだ首都には影響していなかった。しかし6月から一気に勢力を拡大した。これほどまでに拡大し、活動を誇示するとは考えていなかった。

アメリカ軍の撤退については評価が分かれる。アメリカ軍がいなくなり、逆に民兵の力が増した。イラク側から撤退を要求したわけだが、もっと早く去った方が良かったという意見も少なくない。イスラム国については取材していないので、何とも断言できない。

――大手メディアの記者は先に紛争地から去り、後にはフリーばかりが残ると指摘されます。

イラクには、攻撃を受ける側の様子も把握したいと思って取材を始めた。ビザを取って入国したのが開戦10日前の3月10日だった。フセイン像が倒されるのも間近に見た。その時、現地に残っていた日本人はフリーランスばかりだった。ただし、大手メディアでも、現場の記者は残りたいと思っているものだ。しかし、東京(本社側)は「危ないので引き揚げろ」と言う。記者は、後ろ髪引をかれる思いになるだろう。

マスメディアとフリーランスとでは、取材の仕方が違う。私は、現場に様々な人が入って取材をするのが一番いいと思っている。現地からたくさん伝えられるし、多面的に報じられるからだ。

――「イスラム国」を取材したりするため、再びイラクに行きますか。

昨年(2013年)は、ぎりぎりなんとか取材できたと思う。でも、いま取材したいと言ったら、私の通訳は「昨年と状況が違うので待ってくれ」と言うかもしれない。取材をさせてくれたアリさんの家族も「いまは嫌だ、来ないでくれ」と言いかねない。見極めは難しい。

――今後、どんな作品に取り組みますか。

戦争、そして戦争の被害の実態を伝えたい。そこに暮らす人々と、現実に何が起こっているのか、地べたから伝えたい。日本は来年(2015年)、第二次大戦敗戦から70年を迎える。戦争の実態や、戦争とメディアをテーマにしていきたい。

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綿井健陽(わたい・たけはる) 1971年生まれ。映像ジャーナリスト、映画監督。1997年からフリージャーナリストとして活動。1998年から「アジアプレス・インターナショナル」に参加。これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、マルク諸島(インドネシア)宗教抗争、アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタンなどを取材。国内では、光市母子殺害事件裁判、和歌山太地町イルカ漁、福島第一原発事故などを取材してきた。

イラク戦争では、2003年から空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから映像報告・テレビ中継リポートを行い、それらの報道活動で「ボーン・上田記念国際記者賞」特別賞、ギャラクシー賞(報道活動部門)、「JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞」大賞などを受賞している。

著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『イラク戦争―検証と展望』(岩波書店)など。

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映画「イラク チグリスに浮かぶ平和」は、10月25日から東京・ポレポレ東中野を皮切りに全国で順次公開される。

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