リオデジャネイロ・オリンピックは8月16日(現地時間)、シンクロナイズドスイミング・デュエット決勝があり、日本の乾友紀子、三井梨紗子ペアがフリールーティンで94.9333点をマークして銅メダルに輝いた。金はロシア、銀は中国のペアがそれぞれ獲得した。
乾・三井ペアはテクニカルルーティンでミスが響き、ウクライナペアに0.0144点差の4位でフリーに進んだが、力強い演技を息を合わせて次々にそろえ、逆転で3位となった。
時事ドットコムによると、乾はこう語った。
逃げたくなる時もあったけど、五輪でメダルを取りたいという気持ちを思い出して頑張ってきた。思いがかなってうれしい。
三井は以下のように話している。(スポニチ)
五輪のメダルのためにここまできた。取れて本当に良かった。いいデュエットにできた。今まで毎日が地獄のような日々を過ごしてきて、大丈夫かなと思った日もあったが、その日々が報われた。
シンクロナイズドスイミングのデュエット予選。フリールーティン(FR)の演技を終えた乾友紀子、三井梨紗子組を笑顔でねぎらう井村雅代ヘッドコーチ(中央)=14日、ブラジル・リオデジャネイロ
「逃げたくなる」「地獄のような」日々は、3大会ぶりにヘッドコーチに復帰した井村雅代氏(65)のスパルタ式練習がもたらした賜物だった。1日12時間に及ぶ厳しい練習。「絶対にメダルを取らせる」「日本のシンクロがまた強くなったと、五輪で証明する」という井村氏が、選手たちを容赦なく鍛えた。
シンクロが1984年ロサンゼルス大会で正式種目になってから、日本代表は2008年北京大会までメダルを獲得してきた。熱血指導で「シンクロ界の母」と呼ばれた井村氏は、2004年アテネ大会を最後に退任。中国代表やイギリス代表を指導した。井村氏のもとで、中国代表は世界トップの強豪に名を連ねるようになったが、井村氏が去った日本は逆に低迷が始まり、2012年ロンドン大会は初めてメダルなしに終わった。
井村氏は毎日新聞に対し「ぼろくそに書かれましたわ。あんたも書いたんと違うか(笑い)。国賊、裏切り者。敵国に技術を売りに行くのか、とか。お前、私の契約金知っといて書いてるんか、ってね」と振り返るが、以下のように復帰の理由を語っている。
「腹立つ時に、エネルギーがいるじゃないですか。私の大事なエネルギーをどこに使うか。そんなくだらないところに使わないで、選手のために使おうと思った。だから、腹も立ちませんでしたよ」
(Features:熱き人魚の血潮再び 10年ぶり代表指導復帰 シンクロ・井村雅代ヘッドコーチ(65) - 毎日新聞より)
日本水泳連盟には指導者の若返りを望む声もあったが、2020年東京大会でお家芸のシンクロでメダルを逃せないという事情が、井村氏の10年ぶりのヘッドコーチ復帰を後押ししたという。
井村氏は競技終了後、3人で並んで記念撮影し、以下のように話した。
私によくついてきた。日本の選手にメダルを戻してやりたい気持ちがあったので、少しだけ役に立てたかなと思う。
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