内向型人間と外向型人間、個人モードと集団モード~リーダーはどっちだ?~

人間は、集団に入ると、スイッチが切り替わるのだと思います。それは、個人モードから集団モードに切り替わるスイッチです。
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Indian statesman and activist Mohandas Karamchand Gandhi (1869 - 1948) at Birla House, Mumbai, August 1942. (Photo by Dinodia Photos/Getty Images)
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内向型人間の時代」(講談社刊)という本をご存知でしょうか? 少し前に全米でベストセラーになった書籍です。米国では外向型人間こそ、成功をつかむ人、との固定観念があり、誰も彼もが外向的になるように圧力を受け続けている。一方で内向型人間は、空気に流されず思考を誤らないなどの持ち味があり、米国でも内向型人間をもっと尊重することが社会にとって有益である、というような趣旨の本です。特に、欧米に比べて、アジアに内向型人間が多く存在するという実例も紹介されています。

少々長いのですが、この書籍で触れられているガンジーのくだりを紹介します。

ガンジーの内気さから生まれた「抑制」という財産

 自伝によれば、ガンジーは生まれつき内気で無口だった。子供のころはいろいろなものを怖がった。盗人、幽霊、ヘビ、暗闇、そして、人間がとくに怖かったそうだ。彼は本ばかり読み、誰とも話をしたくないので授業が終わると一目散に家へ走った。青年になって、菜食主義者協会の委員という指導的立場に就いて、毎回の集会に出席するようになったものの、人前で話すのは苦手だった。

 委員のひとりが困惑して、「僕とは普通に話せるのに、集会でなにも発言しないのはいったいどうしてだ? それでは怠け者だぞ」とガンジーに詰め寄ったほどだ。委員会内で政治的な衝突が起きたとき、ガンジーは断固たる意見を持っていたが、怖くて口を開けなかった。(中略)

 ガンジーは長年にわたって内気な性格を直そうとしたが、とうとう克服しきれなかった。彼は即興では話ができなかったし、スピーチの機会をできる限り避けた。(中略)

 もしここで、ガンジーの名前や後年の業績にまったく触れないでこんな話をしたら、なんだか言いなりになってばかりいる男だと思われるかもしれない。そして、西洋では受け身に徹することは罪なのだ。辞書によれば、「受動的」とは「外部からの働きかけによって行動する」という意味である。また、「隷属的」という意味もある。ガンジー自身は最終的には「受動的抵抗」という言葉を否定し、「断固として事実を求める」という意味の「サチャグラハ(不服従)」という表現を好んだ。

 だが、サチャグラハという言葉が示すように、ガンジーの無抵抗はけっして弱腰ではなかった。

 究極の目標に向かって進み、その過程で不必要な小競り合いにエネルギーを費やすことを拒絶することを意味している。抑制は自分が持っている最大の財産のひとつだと、ガンジーは信じていた。そして、それは彼の内気さから生まれたのだ。

 ここからは私の考えですが、人間は、集団に入ると、スイッチが切り替わるのだと思います。それは、個人モードから集団モードに切り替わるスイッチです。集団に入ると、集団とできる限り協調しようとして、個人ではしない行動や、しない発想が出てきます。一方、個人に戻ると、集団では取らない行動や思考が出てきます。人間にはそれぞれ持ち味があり、個人モードが得意な人もいれば、集団モードが得意な人もいます。

 内向型人間と外向型人間とは、前者が個人モードでより力を発揮し、後者が集団モードでより力を発揮する傾向にあるのではないでしょうか。

 リーダーは、どちらかといえば、外向型人間が向いている、と思われがちですが、私は一概にそうとは思いません。集団の空気を読んで、集団を動かしていくという能力は重要ですが、空気を読み過ぎると、集団にただ、乗っかって流されるということになりかねません。

 内向型人間は、自分でじっくりと思考し、信念を腹に落としぶれずに、一つの方向に進んでいく。それにひとり一人が共感して、大きなうねりになっていく、まさにガンジーのようなリーダー像も必要なのではないでしょうか。

 私は、どちらかと言えば、内向型人間と思っています。その持ち味にこだわり、その持ち味を最大限発揮して、社会を引っ張っていくことができるように精進して参ります。