朴槿恵政権の「崔順実ゲート」は、確かに興味深い。独身の女性大統領が女性シャーマンに操られていたという怪しげな物語。日本のワイドショーで連日映しているように、商業放送のネタとしてこれ以上魅力的なものはないだろう。
しかしこの奇妙な「ふたりの女の物語」は、あくまでも症状であり、問題の本質ではない。今の事態の根底にあるのは、政治、司法、財閥、言論、宗教、教育など、あらゆる領域を複雑にまたがりながら、数十年間韓国社会を動かしてきた権力そのものである。その権力こそ、この信じがたい物語の演出者であり、その深い奥に寄生しながら利益を得てきた抱え主なのだ。
したがって「崔順実ゲート」は、たんなる唐突なアクシデントというより、むしろ権力の不正と腐敗によって溜まってきたエネルギーが爆発した、必然的な出来事に近い。またそういう意味で、2016年の11月は、1960年の4月に似ている。
あの時も韓国社会は、ひどく苦しんでいた。国民の大半が貧困状態にある中、独裁権力による不正と腐敗は後を絶たなかったし、李承晩(イ・スンマン)大統領とその下の李起鵬(イ・ギブン)による「ふたりの男の物語」は、暴力と野蛮で点綴されていた。そこで立ち上がった市民の手で、李承晩を下野させ、政権を倒したのが、「四月革命」である。
あの時も今も、その中核には10~20代の若者がいる。「李承晩下野」を叫びながら全国を制服の色で染めていた1960年4月の学生たちは、少女時代の「また巡り逢えた世界(Into the New World)」を歌いながら「朴槿恵下野」を唱える学生たちに生まれ変わって、悲劇と希望のあいだを歩いている。社会に失望した若者を中心に、「ヘル朝鮮」という言葉が流行している今、二つの時代は、デカルコマニーのように重なるのだ。
2016年の11月を通過し、またどのような世界と巡り逢うのか、誰にもわからない。1960年4月に市民が勝ち取った「春」が、わずか一年で軍事クーデターによって転覆されたことを、韓国社会は覚えている。だから今大事なのは、「崔順実ゲート」の症状に振り回されずに、問題の本質を見つめ続け、共に闘い続けることだ。数十年間洗練されてきた2016年の権力は、1960年の権力よりはるかに手強い。