命からがらドイツへ逃げて来た『シリア難民の友達』にインタビューしてみた

日本にシリア難民が3人しかいないとしたら、日本でシリア人の友達がいるという人は雀の涙ほどでしょう。そこで私は、シリア人難民「P」に話を聞いてみる事にしました。

こんにちは、wasabi(@wasabi_nomadik)です。

主にベルリン移住情報や私のライフスタイルについて発信しているこのブログですが、今日はちょっと違うテーマでお届けしたいと思います。

それは私がかねてから気になっていた「難民問題」です。

きっと日本の多くの方がテレビやネットのニュースで、ドイツに流れ込んで来る大量のシリア難民の話を聞いた事があるかと思います。

私もドイツに住んでいる身として、身近に難民を支援したり難民について議論している友人達と接している中で「彼らはドイツに来て、今何を想うのだろう」と自分なりに興味を持つようになりました。

そんな中、日本ではシリアからの難民を3人しか難民認定していないというニュースを目にし、あまりの少なさに驚愕すると共に、私を含め日本人の多くがシリアという国に対してイメージが持てないが故に、身近に迫っている問題とは考えにくいのも頷けました。日本で本当にシリア難民が3人しかいないとしたら、日本でシリア人の友達がいるとか、個人的に関わりがあるという人は雀の涙ほどでしょう。

そこで、今回私は最近友達になったシリア人難民Pに話を聞いてみる事にしました。彼は私のパートナーが通う語学学校のクラスメートで、放課後に彼らが公園でピクニックした際に私もたまたま顔を出したのをきっかけに知り合いました。ドイツに住んでいることもあって私は彼と知り合う事になり、こうした形で難民問題というのが私にはとても身近に感じられます。「難民」という言葉を聞いても遠い国で起きている知らない人間の出来事にしか思えない、難民問題に意識はあるけど、彼らがどんな人達なのか見えないからコミットしにくいと感じている人に、私の「一友人」が話す言葉が届けば幸いです。

なお、彼は「反アサド」の反政府勢力派の人間で、平和的なデモをした事を理由に1年半もの間刑務所に入れられ、拷問を受け続けてきました。彼の身の安全のために、インタビュー内では顔はもちろん名前も伏せています。ちなみに、彼は「反アサド」という立場で彼のストーリーを話していますが、全てのシリア難民が同様の政治的意見や同様の経験を持っている訳ではないことを先にご理解いただいて、「私の一友人の意見」であることを前提にお読みいただければと思います。

インタビューを行ったのはベルリンのとある公園。彼の口から出る非現実的すぎる話と、お日様に照らされたこの美しい公園の風景が似つかわしくなく、世の中の不条理さに終止言葉にならない思いでした。

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:今日は協力してくれてありがとう。さっきまで授業だったよね、おつかれさま。最近ドイツ語はどう?順調?もうペラペラ?

シリア難民の友達P(以下略P):うん、まぁ最近は元気だよ。ドイツ語もまぁまぁ。(笑)

:そっかぁ、私もドイツ語まぁまぁ(笑)

(一同笑)

:ところでさ、Pはシリアにいたときは何をしていたの?学生?どうしてドイツに来る事に決めたの?

P:今、自分は25歳なんだけどシリアにいたときはドイツの大学に行くためにドイツ語を勉強してた。だから、学生だね。それで、ドイツの大学から入学許可をもらって、正式に学生としてドイツに来れるはずだったんだけどその矢先に内戦が激化した。全ての大使館が閉まってしまって結局ビザをもらえなくなっちゃって。

:それは最悪だね・・・。じゃあPは最初から難民としてドイツに来ようとしていたんじゃなくて、学生として普通に留学しに行くつもりだったんだ?

P:そうだよ!本当に、今まで勉強して来たのに学校に行けなくなってショックだ。

:それにしても、なぜドイツを選んだの?学校が無料だから?(※ドイツは基本大学が無料)

P:それもあるけど、自分の叔父さんがベルリンに長く住んでいるからってのが大きい。

:あ〜なるほど。たしかに頼れる人がいるってのは大きいね。

P:自分は、学校に行けなくなって本当に希望を失った。そんな中、政府が自分の住んでいる地域に爆弾を落とし始めて人を殺し始めた。自分の友達や家族がそれで死んでいったり家が破壊されていくのを目の当たりにするんだよ。失った物が多すぎてもう自分には何も失う物はないと思った。だから、政府の暴挙を止めるために自由シリア軍に入った。

:・・・そうだったんだ。

P:分かるだろ?もうそれ以外選択肢がなかったんだよ。黙っていたって殺されるし、政府軍は自分の住んでいるエリアの人間を遊びで撃ち殺したりし始めた。

:・・・ちなみにPが自由シリア軍に入ったのはいつ頃のこと?

P:2013年かな。自分たちは平和的なデモをしたんだよね、政府に対して。でも政府は反政府軍をかなり恐れている。それで、自分は政府軍に捕まって1年半牢獄に入れられた。そこでは本当にひどい、あまりにもひどい拷問を毎日受け続けた。

:ごめん、言いたくなかったら全然言わなくてもいいので具体的に何をされたのかできる範囲で話す事はできる?

P:色んなことだよ・・・毎日2時間以上殴られ続けたり電気を流されたり・・・ある人は腕や足を切断された。自分は、舌を切られた。ほら。(舌を見せる)

:・・・本当に、ありえない。

P:拷問の様子は、Youtubeに上がっている。見たかったら検索できるよ。後で検索のキーワードを送るから、コピペして見てみて。

:分かった。見てみるよ。話してくれてありがとう。

(※拷問の様子をこのブログにアップするか迷いました。あまりにもショッキングな動画です。ただ、私はアラビア語が分からないこと、確実な情報の裏がとれないことから今回はアップはしないことに決めました。ただ、このビデオの内容は本当にシリアで行われていることだと思います。もし現実を直視できる方であれば、ご自分で「التعذيب حتى الموت في سوريا」とYoutube上で検索してください。)

P::もっと、話すことはいっぱいあるけどね。ひどいのは、政府のやつらは自分たちを殺しはしないんだよ。苦しめるために生かしておく。ご飯はパンとじゃがいもだけで小さな狭い部屋に200人以上の囚人が閉じ込められて。毎日体育座りで寝ていたから背中が今でも痛い。

:・・・1年半それを耐えてきたのか・・・もう、本当に言葉にならない。

P:シリア内のメディアは、空爆をしたり市民を殺しているのは「テロリスト」たちで自分たちではないと言ってる。空爆したのは政府なのに、獄中で「空爆をしたのは自分です」という書類にサインを強要された。これが奴らのやり方だよ。

:もう秩序も何もない。めちゃくちゃだ。

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:ドイツまで来た経路を教えてくれる?どうやってここまで来たの?

P:まず、シリアから車でレバノンまで向かった。そこからボートでリビアに向かい、リビアからアルジェリアへ歩いた。そしてアルジェリアからゴムボートでイタリアへ渡った。そこからドイツに来た。

:そんな長い道のりを・・・

P:そう、一気に5カ国も旅してることになるね。

:壮絶すぎる・・・逃げるにもお金が必要だからお金がないシリア人は国外逃亡ができなくてシリアに留まってるってニュースで見た。逃亡するにはいくら必要なの?

P:毎回違う国からボートに乗る度に違うディーラーにお金を払うんだけど、一般的にヨーロッパに渡るまでに全部で5000ユーロ(約67万円強)かかると言われてる。

:それはかなり高いね。というかそんな船を扱うディーラーがいるんだね。

P:うん、彼らはこれをビジネスにしているからかなり儲っているだろうね。小さな船に人を押し込めるだけ押し込むから。船にはオプションがあって、1回の船の平均価格は1000ユーロで、安い船だと300ユーロから乗れるけどこれは途中で沈んで人が死ぬ船。VIP用の船もあってこれは1回で5000ユーロする。

(Pからボートの様子を携帯で記録した以下動画を見せてもらう。)

:こんな小さな船にこの人数が何日もかけて航海するなんて・・・危険すぎる

ーー(ここで他のクラスメートが公園に来た)ーーー

M(ギリシャ人女性):・・・その話ね。ギリシャでは難民のボートは沈まなければ追い返されるという話もあるよ。

:え、どういうこと!?

M:無事にギリシャにたどり着けてしまったら、命からがら逃げて来た訳ではなくて不法に船で入国したと見なされるから追い返さなくてはいけないらしい。でも船が沈めば人命救助する必要がある。変な話でしょ?

P:そういうこと。自分の船もイタリアに行く途中で沈んだから、イタリアの船が助けに来るまで泳がなければならなかった。

:・・・(言葉を失う)

P:この旅は全部で1ヶ月22日間かかったよ。イタリアからのゴムボートの航海には3日間費やした。リビアではシリア人を狙ったマフィアがいてさ。シリア難民はボートのためにお金を持っているのを知っているから彼らに会ったら最後。金を出せと言われて、持っていないと言えば銃で撃たれておしまい。自分もマフィアに会ったけど上手くお金を払わずに、どうにか切り抜ける事ができた。

:・・・本当に、今ここでPがこうして野原に座って私と話しているのが奇跡としか思えない。

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:ずっと難民のニュースを見続けて来ていて一番気になったのは、実際Pのような難民は今ドイツに来てみてドイツのことをどう思っているの?ここは好き?

P:分かって欲しいのは、自分を含めた大多数の難民はドイツに住みたくないんだよ。誰だって自分が難民として、かわいそうな目で扱われるのは嫌でしょ?自分だってシリアの状況が良くなり次第今すぐにでも帰りたい。そもそもドイツは自分たちの慣れてきた文化と違うし。

:そうなのか・・・ドイツに住むにあたって文化的に馴染みにくいと思うのはどんなところ?

P:う〜ん・・・本当に何もかも違うから・・・。ドイツに住む、要するに生きているのは難しくないよ。ドイツは安全だし。自分たちを受け入れてくれてサポートしてくれるドイツには本当に感謝している。

:ドイツが今Pにしてくれているサポートの内容を教えてくれる?

P:今自分は住む家をもらって、毎月無料で語学学校に行く権利交通費がタダになる権利、そして無料の健康保険をもらっている。それにプラス毎月399ユーロ(約5万4千円)を受給している。

:そうか、それなら生きていくには十分だね。それを3年間もらえるんだよね?このサポートを受けて3年間のうちにドイツで何をしたいとか、目標とかあるの?また学校に行くとか考えるの?

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Pいや、ないよ。何もできない。学校に行く気になるわけない。今や自分は多くの家族や友達を失いすぎた。希望?見えないよ。今はただ、戦争が終わるのを静かに待つことしかない。そして、何より早くシリアに戻りたいだけ。

:そうなのか。よく難民を受け入れると難民がその国の労働力となって国に貢献するとか言うけどPにとってドイツは一時的に戦争が終わるのを待つ場所にしか過ぎないってこと?

P:そうだよ。そもそも難民って言われるのも好きじゃないよ。ドイツには感謝しているけれど、シリアに帰れると分かればすぐに帰る。

:そうだよね、Pは普通にシリアで生活していただけだもんね・・・

P:お願いがある、もっとこうした難民が早く自国に帰れるように手助けをして欲しいと、日本政府に要請して欲しい。アサドを止めて欲しいと。

:分かった。政府にメッセージを送るよ。この記事も。約束する。

P:一番、自分が分からないのはなぜアメリカやドイツ、日本などの力がある国がこの戦争を止めないのかだ。難民を受け入れてくれるのは感謝しているけれど、こんなに力のある国が協力してくれればシリアで起こっている戦争を止めるのなんて簡単なはずなのに・・・。

:Pは難民受け入れよりも、これらの国々が協力して戦争を止めて欲しいと思うってこと

P:うん、そうだね、そう思う。だって、ほとんどのシリア人は自分の国で普通に生活したいだけなんだよ。戦争がなければドイツにそもそも来ないよ。ほとんどのシリア人は海外で暮らしたい訳じゃないから。

:なるほど。そう言われてみればそうだよね。ドイツに来たくて来た自分とは話が違う。

P:逃げるのは本当に危険だよ。ボートで命を落とす危険があるだけでなく国を出ようとすれば政府が自分の家族を人質に捕まえて、帰ってこなければ殺すと脅したりする。

:・・・ひどすぎる。電話はあるよね?家族とは毎日連絡をするの?

P:電話はあるけどシリアは12時間停電になったりするから毎日は話せない。今は自分の家族がどうなっているか分からない。心配な毎日を送っている。

:ここまで、色々話してくれて本当にありがとう。少しでもシリアの様子が日本の人達に伝わる事を私は願っている。Pの協力、本当に感謝してる。

P:まだ話し足りないくらいだけどね。いつでも協力するよ。

[終]

(Photo by Hiro Kirk)

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インタビューの最中、印象的だったのはPが冗談まじりに彼の体験してきたことを話す場面が見られたことです。

彼がここに来るまで経験してきたことが、あまりにもひどすぎて非現実的な話に聞こえる程でした。聞いている側がそう感じるのであれば、それを経験してきた彼はもう一周廻って悲しいとか、辛いとかそんな次元を超えてしまっているように見えました。そうでなければ、こんな経験を笑いまじりで話すことなど不可能です。彼自身、何が起こったのか受け入れられていないのかもしれないと。

確実に、彼の心的ダメージは私の想像できないくらい深いものです。正直このインタビューを文字起こししてみて、彼の静かな気迫がどれだけ伝わるか不安です。実際に話していて、彼はもはや言葉では語り得ない経験をしてきたのだということを感じるほかありませんでした。

それほど、シリアの状況には悲壮感しか漂っておらず、八方塞がりな状況である事は容易に想像できます。

死んでいても生きていても同じような、そんな悲壮感でしょう。

私は恥ずかしながら、今まで「難民を受け入れているドイツは素晴らしい」という観点でしかこの問題を見れていなかったように思います。そして多くのメディアでも難民問題について難民の側からではなく、受け入れる国からの目線で語られています。

しかしこうして、難民となってしまった彼の話を聞いていると「ドイツが難民を受け入れてくれる懐の深さ」よりも「心も体もぼろぼろになった彼らのダメージの大きさ」の方が最も語られるべきことなのではないかと思うのです。

彼らの痛みを同じように感じる事はできないけれど、彼らの経験してきたこの悲惨な状況を少しでも、一人でも多くの人が想像できれば、彼らの側に立った「支援」に繋がるのではないかと思いました。

興味深かったのは、他のクラスメートが集まってきてPの話を聞いていると、ギリシャの女性が「ギリシャでも昔このような戦争があった」と言い出し、アフリカ人の男性も「アフリカでも似たような戦争があった」という話になったのです。

私もこの話を聞いていて「ドイツでもナチスに始まり、東西の冷戦があった。まるで似たような話を聞いているようだ」と気づいたのです。拷問の話など、強制収容所に入れられた精神学者の書いた本、『夜と霧』を彷彿とさせるような話です。これはどこの国でも起こりえる(そして起こった)話なのだと直感的に思いました。

だから、この話は誰にでも関係のある、世界中の皆で考えるべき問題なのだと強く思います。私はこの彼のインタビューをきっかけにドイツに住む難民と言われるシリア人達をもっと取材してみたいと思っています。近いうちドイツにある難民キャンプへ行くことも検討しています。

このインタビューはPのことを、皆さんの身近な友達と話しているような感覚で読んでもらえたら嬉しいという思いで書きました。いつもの私のブログとは全く違った内容になってしまいましたが、これも私の頭の中で考えているトピックのひとつだと思って頂ければ嬉しいです。

6500文字超えのこんなに長いインタビューをここまで読んでくださってありがとうございました。

このインタビューが一人でも多くの方に読まれる事を祈っています。

(このインタビューは後日英語に翻訳して私の別のサイトとWSBIにて再掲する予定でいます。)

Special Thanks to My Friends from Syria and Hiro Kirk for Coordination.

(2015年9月20日掲載「WSBI」より転載)

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