ネットサービスに不可欠の『動員』の新しいあり方

日本のインターネットに関わるユーザー像やユーザー行動が急激に変化しているとの認識は昨今現場の関係者なら多かれ少なかれ共有するところだが、これまでのところまだこの状況を説明してくれる『通説』と言える分析や仮説にはお目にかかっていない。

▪変化するネットサービスのユーザー像

日本のインターネットに関わるユーザー像やユーザー行動が急激に変化しているとの認識は昨今現場の関係者なら多かれ少なかれ共有するところだが、これまでのところまだこの状況を説明してくれる『通説』(ないし、今後通説として受け入れられるであろう説)と言える分析や仮説にはお目にかかっていない。そのせいとばかりは言えないが、今でも夢よもう一度とばかりに、旬が去ってしまった『場』で奮闘を繰り返している人たちや、若干古めの参考図書を読んで遅れて市場に参入してきているのに、周囲がもっと無知なおかげで鼻高々な感じの痛い人たちなど、まだ市場に溢れている。それでなくても技術レベルで言えば日本は世界においていかれつつあるのは明らかなのに、こんなことでこの先どうなっていくのか、少々心配になってくる。

そう言う私自身、昨年12月にはこの『ユーザー像』と今後の見通しについてある程度まとめてみたのだが*1、半年過ぎて見て、やや楽観的に過ぎたのではないかと思えてきた。もう少し厳しめに現状を見直しておく必要があるのではないかと感じるようになった。

▪ニートが支えたインターネットサービス

日本のインターネットの黎明期には、まず技術に詳しいエンジニアが参入して自らの意見を発信しつつ仲間内で意見交換を繰り返すような交流が始まり、ほぼ同時に親の庇護の元に引きこもって、有り余る時間を持て余す若者(ニート)が大量の発信を始めるところからスタートした。その後も、このニートがKADOKAWA・DWANGOの川上会長が『ネット原住民』と呼ぶ日本のインターネットアクセスの中心となった。前回の記事でも川上会長が監修する『角川インターネット講座 (4) ネットが生んだ文化誰もが表現者の時代』*2を参照しながら記事を書いたが、その部分をご参考に引用しておく。

■ネット原住民の特徴

•非リア充である

リア充とは友達や彼女がいたりして現実での人間関係が充実している人のことを指すが、非リア充とはそうではない人のことで、人間関係の構築が不得手なため、現実社会から逃げ出して、新大陸に安息の場所を見つけた人たちが『ネット原住民』である。だから、世の中への恨みという負のエネルギーを潜在的に持っていて、攻撃対象への怒りという一時的な負の方向での連帯を生むが、コミュニケーション能力や社会性が欠けているため、仲間同士の助け合いなどは苦手だ。概して、コンピューターゲーム、アニメ、ライトノベルといった『オタク』コンテンツを好む

•ニート(若年失業者)が供給源

ニート(若年失業者)がネット原住民の大きな供給源となった。他国では失業者はネットにつながる経済力も持てないことが多いが、日本のニートは親に経済力があり、ネットにアクセスすることはできた。ヒマで一日中ネットにアクセスしていて、通常のネットユーザーよりネットにおける存在感が桁外れに大きい。

▪『ニート』を支える経済力の衰退

日本のインターネットの性格を良くも悪くも特徴づけた大量の『ニート』は、インターネットだけではなく、2000年以降のアイドル文化等サブカルチャー全般の興隆にも大いに貢献したと言える。評論家の宇野常寛氏は、この日本のサブカルチャーやインターネット文化を『夜の世界』と呼び、ゆくゆくは『昼の世界(=政治や経済)』を圧倒し、21世紀の原理になる、として『夜の世界』が生むコンテンツや想像力を高く評価している。この点、広義では私もその視点を是として、何度かその趣旨のブログ記事を書いてきた。

ただ、2010年代も半ばにさしかかった今、何が起きているかというと、『日本のニートを支えた親』は続々と定年を迎え、日本の経済力は衰退の一途をたどり、若年層の雇用情勢も昨今若干は改善したとはいえ、日本企業の成長力や将来性を冷静に見れば、雇用全般が中長期的に改善するとの見通しは楽観的に過ぎるを言わざるをえない。いずれにしても、『ニート』を支える経済力は日に日に衰え、今後とも改善する兆しはない。

▪『オタク』から『マイルドヤンキー』へ

2011年3月の東日本大震災は、そんな時代の転換点を象徴する出来事であったことが、今になるとはっきりわかってくる。。日本の経済力の衰退がこのまま続けば、この傾向は一層はっきりとしてくるであろうことは間違いない。加えて『オタク』コンテンツは、もはや『オタク』だけのものではなく、広く大衆文化として誰もが受容するものになって、逆にかつての先鋭的なパワーは影を潜めてきているし、一方、経済力のある『オタク』のサークルもどんどん輪が狭まってきている印象がある。

▪動員のパワーの再発見の必要性

これに呼応するように、日本のインターネットサービスも家族や仲間内の閉じたコミュニケーションツール(LINE等)や、より直感的にその場で感じたことを共有するタイプのサービス(Instagram等)以外には、大きな成長ポテンシャルを感じさせてくれるものがほとんど見あたらなくなってしまった。

思えば、2000年半ばの『ウェブ2.0』以降、日本のインターネットサービスは、ユーザーの爆発的な動員によってエネルギーを溜め込み、賑わってきた。そして、その中核に『オタク』『ニート』がいた。時に炎上して大騒ぎになるものの、立ち上がったばかりのサービスを大きく伸ばしてくれるありがたい存在であり、直接の課金は難しくても、ページビューを伸ばしてサービスのプレゼンスを高めてくれる(=宣伝費を稼いでくれる)存在でもあった。

もちろん、『オタク』『ニート』以外にも、女性の口コミの力を最大限活用してサービスを拡大した、レシピ共有サイトの『クックパッド』や化粧品の販売を手がける『アットコスメ』等、別の動員パワーを引き出し、『ニート』が減っても今後とも伸び続けるであろう優良なサービスはある。だが、逆に言えば、サービス設計者はかなり慎重かつ意図的に、動員パワーの出どころを見つけ出していく必要があるし、競争は激化することが予想される

▪爆発的な技術進化とのシンクロが不可欠

爆発的な成長という意味では、今は技術の方が旬だ。人工知能、自動運転、ロボット、ドローン、生体医療、DNA解析等、まさに目の眩むような成長が期待できる(もうすでに始まっている)。。爆発的な技術進化にどう乗っかっていくか、その上でユーザーの動員パワーをどうすれば最大限引き出せるのか、そういうタイプの想像力/創造力が不可欠になってくると考えられる。

例えば、ソフトバンクの提供するロボット『Pepper』などうまく運べばそのプロトタイプになりそうな一例だ。単にスタンドアローンのロボットを販売するのではなく、ネットに接続していて、ユーザーの『感情』情報を大量に収集/分析して、その結果をロボットの新しい行動としてフィードバックする。家族やご近所づきあい等のコミュニティが縮小していくところ、すなわち、孤独感や不安感というような感情が大きくなり、愛情の発露がなくなっていく中、感情という不確かな存在を可視化して、それをベースにロボットの先にいる大量のユーザーを結びつけることができれば、新しいタイプの『動員のパワー』を開拓することに成功する可能性はありうる。しかもこのシステムを支える人工知能やクラウド分析等の技術はこれから爆発的な成長が期待できる。こんなふうに考えることができれば、これから先に開かれている未来は非常に豊穣だ。しかも、そのような市場は常に世界に開かれている。

『オタク』『ニート』が垣間見せてくれた『夜の世界』の潜在力は決して消え失せたわけではない。ただ、引き出し方は工夫していく必要がある。この『夜の世界』、突然変異的に出現したというより、日本人の心の『古層』に潜在していた要素が縁を得て引き出されたと考えるほうが納得がいく。技術の探求と同時に、あらためてこの『古層』を研究して両者を結び付けることはできないだろうか。それがうまくいけば、それこそ日本のインターネットサービスも新たな飛躍の時代を迎えることができるはずだ。

*2:

角川インターネット講座 (4) ネットが生んだ文化誰もが表現者の時代

作者: 川上量生

出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版

発売日: 2014/10/24

(2015年6月15日「情報空間を羽のように舞い本質を観る」より転載)