「NO VOICE → ONE VOICE その一声で、政治は変わる」を掲げ、2013年にネット選挙解禁を実現させた「One Voice Campaign」。その発起人で、編集者・ジャーナリストである江口晋太朗さんは、今も街づくりや社会の問題に向き合い、さまざまな形で情報発信をしています。その活動のポリシーは「自分にしかできないことをやる」。ユニークな歩みを続けてきた江口さんのこれまでを振り返りながら、政治や街づくり、これからの未来について聞いてみました。
■コミュニティの力が日本を変えると早くから予感
―プロフィールを拝見すると、ユニークな歩みをしていらっしゃいますね。
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊しましたが、社会のありようをもっと勉強してみたいと思い、自衛隊を辞めて大学へ入学しました。ちょうど東ティモールへのPKO派遣やイラク派遣などが行われる時期だったこともあり、社会の大きな問題の当事者の一人であることを強く感じる体験でした。そこから政治や社会問題について強く関心を持ち、自分自身が社会とどう向き合っていくべきかを強く考えるようになりました。
大学2年の頃、友人の紹介で若者と政治を結ぶNPO法人「ドットジェイピー」の存在を知り、2カ月間、民主党(当時)の国会議員のもとでインターンをしました。仕事は地元まわりがほとんどでしたが、何よりドットジェイピーの同期が120人ぐらいいたことが大きいです。社会問題や政治について議論できる仲間ができたのがうれしかったですね。
―インターンを通じて政治の世界へ進もうとは思わなかったのですか?
インターンをしていた2008年頃はアメリカ大統領選が行われていました。当時のオバマ候補のスピーチ原稿を書いたのが同世代の若者だったり、若者が政治に関心を持って行動したりするなど、国全体で若者が盛り上がっている様子を日本に居ながら感じました。
対して、日本の政治に対する不信感や、社会への不満を抱いているにもかかわらず何も行動しない様子など、日本の閉塞感や日米の対比を強く感じました。しかし、一方では日本でもソーシャル・ビジネスの動きが出てくるなど、市民発で社会を良くしていこうとする動きが出てきました。こうした市民コミュニティの力で、日本を変える動きがもっと出てくるんじゃないかと考えました。
当時の社会状況を見ると、ソーシャルメディアが浸透してきた時代でした。マスメディアだけではない"個の発信"がきっかけで社会に問題提起を起こしたり、発信や情報がきっかけで人と人がつながってコミュニティが生まれたり。そうしたボトムアップで社会を変えていく仕掛けが自分自身もできたらいいなと思い、Twitterやオンライン動画配信サービス「Ustream」などで情報発信をするようになったんです。
例えば2009年8月頃に知人と「世界同時Twitterゴミ拾い」というソーシャルアクションを立ち上げました。ゴミ拾いの写真と位置情報、ハッシュタグ「#gomihiroi」を添えてTwitterに投稿してもらい、ゴミ拾いの様子を地図上にマッピングする取り組みです。Twitterというソーシャルメディアを通じて、一人ひとりの小さなアクションがつながり、大きなムーブメントになっていくことを実感しました。
またNPO法人「カタリバ」とのつながりで内閣府が開いた「新しい公共円卓会議」の会議の様子をUstreamでライブ中継もさせていただいたこともあります。一個人が政治の現場に入り込み、会議の様子を伝える。開かれた政治を実践する側になったことで、個人の発信で社会に対して何かしらのインパクトを与えられる可能性を感じるようになりました。
このような経験から、発信だけでなくメディアを通して人をつないだり場づくりをしたりすることで、新たなコミュニティやネットワークができると考えました。そこで、「84ism」という同世代の友人たちとウェブマガジンを作り、情報発信やコミュニティ作り、イベント企画や商品プロデュースなどを行うようになったんです。
企画や編集、取材、記事の執筆はこの頃から独学で覚えていきながら、コミュニティメディアが持つ可能性にも大きく気づかされました。インタビューしたことが縁で、コスプレファイターとして知られる格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎選手とAR三兄弟とともに、K-1史上初の「AR入場」を企画したこともあったんですよ。
自分にしかできないことは何か。それを考えたとき、自分の場合は政治の世界にそのまま身を置くのではなく、いろいろな領域の人との出会いやつながりを広げていきながら、また、テクノロジーやデザインなどの武器で新しい考え方や環境を切り開きながら、政治の世界も含めて社会の仕組みやあり方をアップデートする役割が良いのではないか、と。そのような役割は次の時代に必要だし、自分としてやるべき価値があることだと考えるようになりました。
―時代の流れに乗って、ものすごく幅広い活動をされていたんですね
当時は世界を見ても、アメリカ大統領選だけでなく中東や北アフリカで起きた革命「アラブの春」、オキュパイウォールストリートなど、声なき声や、いままさに起きている現状がインターネットを通じて市民の声が可視化されている社会になってきていました。市民の声はもはや無視できない存在になっているし、インターネットがもはやバーチャルのなかで閉じこもるのではなく、現実の世界を変える一つの"装置"になるのは明らか。
だからこそ、ネットもリアルの融合した次なる社会構造が必要となるし、そのために必要な仕組みや思想がより求められてくるはずだ、と。
そうした新たな価値観やあり方が求められている時代に、自分が少しでも貢献していけたらと考えたんですね。
■「ワンボイス」で法律も変えられる!そのロールモデルを示したかった
―2012年に立ち上げた「One Voice Campaign」では、翌年にネット選挙運動の解禁を含めた公職選挙法の改正法案も実現させています。その後はいったん活動を閉じられていますが、これはどうしてですか?
「One Voice Campaign」はネット選挙の解禁を目的に、メンバーが集まりました。法改正が現実になったことで一定の成果を上げました。だからこそ、それ以降は関わったメンバーがそれぞれの道で活動を進めるべきだと考えたからです。
このキャンペーン活動では、インターネットという僕たちの生活に当たり前のようにあるものが、政治の世界では当たり前でない状況が「おかしい」と声をあげることから始まったものでした。政治の世界が普通の人たちとの距離が遠いのは、そのつながり方やコミュニケーションのあり方自体がアップデートされていないから。であれば、その仕組みをアップデートすることで新しい社会のあり方が見えてくるのではと考えました。
同時に、インターネットを通じて私たち自身がもっと社会に対して声をあげられる環境になってきました。だからこそ、僕たちはこれからももっと声をあげていくべきだし、僕たちだけでなく多くの人たちが自分たちなりの「ワンボイス」を掲げれば法律や社会だって変えることもできる。そのロールモデルを示したかったんです。だから、法改正を実現したあとの「One Voice Campaign」のHPには、「これからが始まりだ」というメッセージを残したんです。
今回は一つのあり方としてネット選挙の解禁を実現しましたが、そもそもとしての公職選挙法の抜本的な見直しとか、政治の側がもっと開かれた政治へ大きくシフトしなければいけないと思っています。もっと言えば、時代の変化に合わせて社会の仕組みや街のあり方も、私たちの暮らしや文化に寄り添いながら変わっていかなければいけないはず。
One Voice Campaign後には、テクノロジーを軸に市民参加型のコミュニティ運営を通じて、地域の課題を解決する「Code for Japan」を立ち上げたり、オープンデータやオープンガバメントを推進する「Open knowledge Japan」のメンバーとして参加したり。ウェブメディア『マチノコト』の運営といった活動も、さまざまな地域や社会に対する問題解決社会構造の変革を図るアプローチの一つです。
社会の仕組みやあり方をアップデートするという大きなビジョンのもと、都市や街のあり方について自分なりに研究や情報発信をするようになり、新しい地域の社会構造などを考えるようになりました。2015年に「TOKYObeta」という自身の会社を作ったのも、個人の活動だけでなく企業体としてさまざまな企業や団体、NPOらと協働しながら社会に対する新たな価値づくりや事業創造を提供できるような仕組みを作れたら、と願ったからです。
そこには、政治だけでなくビジネスやテクノロジー、デザイン、アート、メディア、クリエイティブなど、さまざまな領域を横断することで社会を変えていくアプローチがよりできるようになる。そのための持続可能な形を作りながら、新たなビジネスや社会に対する価値提案を仕掛けていくことで、より大きなスケールとして社会を変えていけると期待しています。
■5年後、10年後を見据えて誰もやっていないことをする
―最近は街づくりに関心が高いようですね。
そもそも、政治や行政だけが街のすべてを担うことはできません。そこに住む人たちも街を構成する一員であるからこそ、市民がシビックプライドを持ってほしいと思います。政治家に多くの期待をするのではなく、市民が能動的に街づくりに参加したり、市民自体が街を面白がるための動きを起こしたりしていかなければいけません。
その代わり、政治家は市民の側から起きているボトムアップの動きをとらえつつ、国全体、社会全体のアーキテクチャを再構築してほしいです。政治家は国や地域の仕組みやフレームを作ることが仕事であり、市民の活動を支えバックアップする存在なはず。もっとメタの視点で社会構造のあり方を考えることが政治家としてやらなければいけません。
自治体の職員もその地域に住んでいる一員です。だからこそ、当事者意識を持ち、この地域がどうあるべきか市民と一緒になって考えてほしいですね。こんなふうにして、それぞれができる新たな価値づくりに取り組むようになれば、今とは違う街や社会が生まれてくるのではないでしょうか。
―著書『日本のシビックエコノミー』も拝見しました。
シビックエコノミーの考え方は民主主義な活動の一つであり、ひいては地域や社会に対する新たな循環を生み出す概念です。こうしたシビックエコノミーの考え方を参照することで、社会にとって価値あるものが生み出されたらと思います。
シビックエコノミーな活動について全国で活動している方にお話を伺いながら、その活動を発信したり、その意義をまとめたりしてきました。けれども、本は出版して終わりではなく、出したあとにそれをどう活用していくかが大切です。そこで、書籍を片手に全国を巡りながら、一緒になってその地域でどんな活動ができるのかを考えたり、「あなた自身が次にできるアクションは何ですか」と問いかけたりする取り組みを通じて、自分でも何かアクションしたいと思う人を一人でも増やそうと取り組んでいます。
こうした活動も、書籍を出させていただいたからこその責任であり、かつ自分に与えられた役割の一つだと捉えています。自分だからできること、自分自身にしかできないことだからこそ、それが社会全体に対して価値を提案できる。その考えの根底には、これから5年後、10年後に必要とされる概念や仕組みを考察しながら、未開な領域や思想を構築することが自分の役目だと思っています。そのために必要な組織や団体、コミュニティを作ろうとしています。
―最後に、どのような人に政治家になってほしいか、お考えをお聞かせください。
政治家はすべての物事を一手に決めるのではなく、市民一人ひとりがプレーヤーになるファシリテーションをする立場であるべきだと思います。そのうえで、先の社会を見据えて、人々のニーズをくみ取りながら、いまはまだ見えていないもの、埋もれているものをどう作り出すか。そんな「デザイン思考」を持った政治家がこれからますます求められてきます。
その意味でも、政治の領域しか経験していない人よりも、民間で働いた経験のある人や海外経験のある人、さまざまな領域やジャンルにつながりをもち、それらを有機的につなげて物事を見据えられる視野を持っている人に政治家になってもらいたいですね。
あと、「政治家になること」が目的になっている人は難しいと思います。政治家は一つの立場ではあるけれど、職業になってしまうとその地位に固執してしまいがちです。もちろん政治家としての責任は必要ですが、別に政治家をやめても活躍できる人がいいですね。
政治家にならず、民間にいても社会を変えられる道筋があればいいだろうし、民間と政治を行ったり来たり。自由に出入りできる人も面白いと思います。そうした自由さを持っている人こそが、より本質的な政治を見出だせるのではないでしょうか。
プロフィール
江口晋太朗(えぐち・しんたろう)
1984年生。福岡県出身。TOKYObeta Ltd.代表取締役。メディア、ジャーナリズム、情報社会の未来、ソーシャルイノベーション、参加型市民社会などをテーマに企画プロデュース、リサーチ、執筆活動などを行う。「マチノコト」共同編集、NPO法人マチノコト理事、アートプロジェクトを推進するNPO法人インビジブル理事、インディーズ作家支援のNPO法人日本独立作家同盟理事などを務める。Open Knowledge Japan、Code for Japanのメンバー。著書に『日本のシビックエコノミー』(フィルムアート社)『ICTことば辞典』(三省堂)『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』(ミニッツブック)ほか