ユニクロの内部を探る、世界に服を着せる日本企業のデザイン

ニューヨーク - マンハッタンのミッドタウン、厳しい寒さの午後、海外から訪れた観光客やニューヨーカーがこぞって、五番街のユニクロの店舗に押しかける。Tシャツからカシミヤのセーターや冬用ジャケットまで、無限にあるかに思える商品から品定めをしている。
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Kim Bhasin

ニューヨーク - マンハッタンのミッドタウン、厳しい寒さの午後、海外から訪れた観光客やニューヨーカーがこぞって、五番街のユニクロの店舗に押しかける。Tシャツからカシミヤのセーターや冬用ジャケットまで、無限にあるかに思える商品から品定めをしている。

有名なショッピングストリートで最大の小売店は、8千300平方メートルという広大なスペースを占めている。この店はたちまち、新たな市場を征服するために研究して拡大を続ける、日本小売業者の象徴となった。

ユニクロはジーンズ、スウェット、靴下、下着など日常着る服を販売している。値札を見れば、ユニクロの商売は倹約がすべてという印象を持つかも知れない。6ドルのTシャツ、わずか30ドルのカーディガンもある。しかし、ニューヨークのこの旗艦店には、ファッションのためなら喜んで、巨額を投じる買い物客も訪れている。彼らはバーニーズ・ニューヨークやフェンディ、バーバリーといった高級小売店のショッピングバッグを持参している。その一方、GAP やH&Mのような低価格商品を扱う小売店のロゴ入りトートバッグを持つ買い物客もいる。

これだけ多様な客層がユニクロに引きつけられるのは、全くの偶然ではなく、その用意周到な戦略が反映されている。巨大な魅力がユニクロのブランドに浸透しており、そのキャッチフレーズ「Made For All(あらゆる人のための服)」が、そのことをはっきりと示している。ブランドは、ハイファッションの感性をまといつつ低コストの衣服をデザインすることを狙っており、色あせたジーンズと2,500ドルするイタリア製スポーツコートの間を埋める衣服を生産している。また、ウルトラライトダウンヒートテックなど、冬の防寒のためにデザインされた特殊製品に魅力を感じている人々も惹きつけている。

世界に通じる魅力、実用性とユニークな素材は、ユニクロの創業者、柳井正氏がグローバル覇権という大胆な目標を、どのような形で追求しているかを理解するための鍵となる。

自動車業界の巨人トヨタと世界の電機メーカー・ソニーの後を継ぐユニクロは、ライバルたちをじわじわと苦しませている最も新しい日本企業だ。すでにかつてない規模に到達しシェアを獲得している。柳井氏の言葉によれば、ユニクロは10年後、世界最大のアパレルメーカーとなる予定だ。それまでに、ユニクロの親会社であるファーストリテイリング社は、年間売上500億ドルを、「楽々と」達成しているだろうと、柳井氏は語る。

「我が社はアジアにおいて、他を圧倒するナンバーワンのブランドとなり、大規模店舗の展開戦略を継続し、販売地域を拡大していきたい」「もちろん、可能であれば、アメリカでもナンバーワンを目指します」と、昨年4月の記者会見で述べた。

彼の目標とする売上を実現するには、劇的な成長が必要となる。ファーストリテイリング社はユニクロに加え、Theory や J BRAND といった比較的規模の小さい衣料ブランドを所有しており、今年は年間売上125億ドルを見込んでいる。しかしこの額でも、現在の世界的なアパレル界のトップ、人気のファストファッション・チェーンであるZARAを有する、スペインの巨大アパレルメーカーINDITEXの半分にしかならない。スウェーデンのH&Mと、世界展開をするアメリカのブランドGAPの両社も、基本的には長期支配を続け、依然として先を歩んでいるだろう。

ZARAは、6つの大陸の73ケ国で、1,800店舗を展開する広大な国を支配している。現在ユニクロは、アジアに加えアメリカ、イギリス、フランス、ロシアに限定されている。

一部のアナリストは、ユニクロがその野心的な目標を達成できるか懐疑的である。

コンサルティング会社ACM Partners の共同創業者パートナー、Margaret Bogenrief氏は「グローバルな巨大企業になると、進化するのは難しくなるのです。成長することは、セクシーなのです。ただし、未成熟の間という条件付きでね」と、語る。そして、「拡大している最中に失敗するとすれば、その一番の鍵は、成長を導くすべての特徴が、いつまでも存在し続けると思い込んでいるところです」と続けた。

ユニクロはかつて、急速な拡大路線で失敗をしたことがある。2001年、アメリカとイギリスの顧客の取り込みに照準を合わせたが、1年半後の売上は悲惨なもので、その後新しい店舗の大半を閉鎖することになった。

「最大の要因は、ブランドに対する我々の認識不足だった」と、10年後、柳井氏はCNNに語った。「消費者は、我が社の製品とミッションを理解していなかった」

現在のユニクロは、次の挑戦に挑んでいるところだ。昨年の後期、アメリカに10店舗を新規開店した。サンフランシスコやニューヨークなどの主要マーケットに軸足を置き、今年の夏、5店舗以上の開店を目指す。オーストラリアにも出店の計画がある。

柳井氏の大風呂敷を広げたがる性格やアメリカでの苦い経験にもかかわらず、彼には目標を実現するチャンスがあると、多くのアナリストは予想している。

コンサルティングファーム A.T. Kearney の小売業部門のパートナー、ハナ・ベンシャバット氏(Hana Ben-Shabat)は、「まだ、わずか 12ケ国ですが、そこで成功する可能性は、非常に高い」と、ワールドポストに語った。

島国国家を飛び出して

ユニクロは1984年の日本で、ユニーク・クロージング・ウェアハウス(Unique Clothing Warehouse)として出発、アディダスやナイキのような人気の国際的なブランドを小売していた。柳井は2000年代初頭までに、ストアブランドの衣料を追加し、短く縮めた現在のブランド名を擁する自社チェーンを、日本列島津々浦々に行き渡らせた。

日本は、かつてない失業と財政難に見舞われることになる失われた10年の泥沼にはまってしまった。その時ユニクロは、安くてもおしゃれができる場所として、人々を招き寄せた。多くの顧客はこっそりと、ユニクロで買い物した。日本の小売業者にとって、価格を下げるということは時として、十分信頼に値する製品でないという、サインを送ることになったのだ。

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2012年3月16日(金曜日)、東京のユニクロ銀座店にて。

長い間、品質ではなく安さで評価されていたユニクロは、新しい戦略でそのイメージを変えようとしてきた。かつての手頃な価格と野心をそのままに、あらゆる魅力を備えたブランドとして、差別化を図ろうとしている。柳井氏は2012年、現状打破をすべく、東京でも最も贅沢なショッピング地区である銀座に、巨大な12階建ての旗艦店をオープンした。

しかしここ数年、日本でのユニクロの事業は頭打ちで、海外での新規マーケット開拓に重きを置いている。

ユニクロのグローバル展開の最新の波は、3年前に始まった。アジア全域に数百もの店舗を開店し、中国、東南アジア、韓国、台湾の買い物客へブランドを紹介した。まもなく、同じ地域にZARAのほぼ4倍の店舗を有するようになった。

2013年11月までのユニクロの海外営業利益は、中国、台湾、ヨーロッパ、米国での好調な販売高に支えられ、急増した。野村證券アナリスト、正田雅史氏は、「この海外での売上高が、日本での落ち込む売上を補填した」と述べた。

ユニクロの成功は、論争を巻き起こした。2011年、ジャーナリスト横田増生氏は、著書『ユニクロ帝国の光と影』で、貧困国の労働者を低賃金で搾取して、利益を上げている会社を痛烈に非難した。著書には、一部工場では「極めて過酷な、まるで奴隷のような労働条件」だと、記されている。

ファーストリテイリング社は名誉毀損で出版社を訴えたが、結果は敗訴、現在、控訴中である。

昨年4月のバングラデシュの工場を襲った災害では1,100名以上が死亡、その後ユニクロは、INDITEXやH&Mなど欧州の小売業者の大半が署名した安全協定への参加に合意した。ユニクロによると、バングラデシュの他の工場とは取引していたが、崩壊した工場では一切、衣服は製造されていなかったそうである。

ユニクロは、今後、貧困国で衣料生産を行っていたという烙印の上に、低価格で大量生産の製品を販売するという別の落とし穴を避ける、つまりを質の悪い衣料という認識を打ち消すためにもがいている。

綿のTシャツを日常衣料品とみなす競合他社とは異なり、ユニクロは生地技術に多額の投資を行っている。この重点化は店舗に行くと明らかで、熱を発生し保持するヒートテックなど、ユニクロ独自の生地を説明する各表示が目立つところにある。それら衣料は、GAPなどで見かけられる標準的なアンダーシャツよりも、ナイキやアンダーアーマー(Under Armour)、ルルレモン(Lululemon)といったテクノロジーに精通したメーカーの製品に似ている。

ベンシャバット氏は、「ユニクロは当初、安い商品を扱う、もうひとつのGAPとして認識されていました。しかし実は、そうではなかったのです。彼らは技術、特に生地に関する技術に多額の投資を行っていました」と語った。

生地には市場で勝ち残るための仕掛け以上の意味があるということを声を大にして伝え、顧客を説得することは、世界的に拡大する計画には不可欠である。

ベンシャバット氏は、「ユニクロは、違いはどこかを明確に説明する必要があります」と主張する。

「共通項」

マンハッタンのスタジオに隠れるように並んで立つ、マネキン人形の大群には、ポロシャツからフリースのプルオーバーまで、さまざまなタイプのミニマルな服が着せられている。総じてマネキンが着ているのは、グローバルブランドを獲得するためにユニクロの戦略の中心となる衣服。ユニクロが「ライフウェア」と呼ぶ、昨年導入されたコンセプトを引き継ぐ2014年スプリング・コレクションである。日常衣料を改善する衣服として市場に投入されたものである。

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ニューヨークのインダストリアスタジオにて、ユニクロの2014年春夏コレクションを着用しているマネキン。

ユニクロはスタジオに、最新プロジェクトの11タイプを展示。初めて披露されるものもあれば、新シーズンに合わせてリニューアルされたものも含まれる。この中には、湿気の発散を想定した超ソフトな生地のエアリズム(AIRism)や、ブラなしでの着用を意図とした超軽量の女性用トップスなどが含まれる。

ユニクロのデザインディレクター滝沢直己氏は、多くの人々の好みを見極める責任者である。彼は、特定の年齢層や好みにではなく、誰もが着用したくなる衣服の生産を求めている。

滝沢氏は、日本語の通訳者を通じ、「世界の共通項を見つけること」「それが私の仕事です」と、語った。

推し進めたいアイデアはシンプルなスタイルを維持すること。ユニクロの衣服を、他のデザイナーによって造り上げられたアパレルとブレンドできるようにするため、と滝沢氏は語る。彼は、元スーパーモデルでパリジャン・スタイルのアイコン、イネス・ド・ラ・フレサンジュ氏とユニクロとの新しいコラボレーションが原型と指摘した。これら原型は、ミニマルで大量生産の可能性を残すことにより、その他多数のブランドを効果的に補っている。

滝沢氏は、「初めてド・ラ・フレサンジュ氏と会ったとき、彼女はユニクロのシャツとジーンズに、プラダのジャケットを羽織っていたのですよ」「着ている服の値段が高いのか安いのか、大した問題じゃないんです」と、言った。

滝沢氏は以前、日本のファッションブランドであるイッセイ・ミヤケのデザインをしていた。彼が現在、ユニクロで目指すものは、パリやロンドン、ニューヨークでのショーのランウェイには存在しない。滝沢氏が望むのは、ファッショントレンドを活発にすること。他のデザインを単に模倣することではない。ショーから数日のうちに商品を棚に並べるために、ハイファッションのランウェイからスタイルを簡略して持ち込むことを目的とする、超保守的ファストファッション小売店にジャブをお見舞いすることなのである。

「ショーでのスタイルに反応しているなら、デザイナーの辞め時だと思う」と、彼は言った。

大衆に日本を持ち込む

五番街の巨大な旗艦店は、ピカピカ光る装飾物のような外観をしている。地下鉄を降りてイーストリバーを渡り、ブルックリン周辺の新しい店舗に来ると、はるかに小さい規模ではあるが、外観と雰囲気は同じである。ユニクロが強く細部にこだわる理由である。

すべての店舗は清潔で整然としていて、全く同一でなければならない。恐らく、大量生産の小売店とは矛盾した概念である。大量生産の小売店は、通常、荒れた店舗となり、販売高が減少してしまう。

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厳密に色分けされ並べられた衣服。ニューヨークのブルックリン、ユニクロ店にて。

「店頭で行われていることは、一から十まで一貫していることが大切なのです」と、ユニクロU.S.Aの最高経営責任者ラリー・マイヤー氏(Larry Meyer) は語る。彼はかつて、フォーエバー21の経験豊かな社員で使い捨てファッションのトレンドを構築した「重要なアーキテクト」だった。「すべてが日本発です。すべてが、私たちの行為を決定する文化に根付いています」

従業員は、合理的に整備された日本的センスを維持するために日常業務に備えて設計された、二週間の厳しい研修プログラムを受けることになっている。彼らは姿勢や服装、そして笑顔での応対を教え込まれる。アメリカの従業員の服装はすべて、黒と決められている。初日、従業員は、顧客に対し常に使用される「6つの標準フレーズ」を暗記しなければならない(「お待たせしました」や「こんにちは、ビルです。ご用の際はいつでもお声をかけてください」など)。

特に、服のたたみ方テストに合格しなければならない。各従業員は、ユニクロの厳しいガイドラインに従って、服をたたんで積み重ねることができるようになる必要があるのだ。すべての部分が身頃で重ならないように折り畳まれ、できるだけまっすぐ上に積み重なるようにするのだ。積み重ねの結果は、AからDまで、順位が付けられる。

店員のシャンデール・ピンキーさん(Shandale Pinckey)(25才)は、研修プログラムを受けてげっそりしたそうだ。

「まるで軍隊みたいだった」と、ため息交じりに言った。

「クレジットカードをお返しするときには、両手で行います」と、ブルックリン店のマネージャー トム・オマリーさん(Tom O'Malley)は語る。そして、いろんな決まり事を一気に並べた。「備品は一直線に並んでいなければなりません。私が列を見下ろした時、まっすぐでなければなりません。ラベル貼り機は右に置かなければなりません。サイズ順に並べなければなりません。色も決められた順序で並べなければなりません」

ユニクロの色配列は、店舗全体ではっきりとしている。服のすべてのディスプレイは、明るい色から暗い色へとなっている。一体ずつ服を着せているマネキンも、同じパターンに従わなければならない。

ブルックリン店で働く元気な19歳 リン・ドマーカント(Lynn Domercant)は、日々の仕事は以前ホリスターで行っていた作業と似ていると言う。しかし、ユニクロの基準の方がより厳しいそうだ。

「もしこのテーブルにシャツが載っているのに、私がそのまま通り過ぎてしまえば、それは大問題となるのです」と、ドマーカントさんは言う。「あなたは責任を負っているのです」

ストックルームのスーパーバイザー、クアンデル・ブレイクさん(Quandell Blake)(24才)は、その考えに賛成する気持ちを言い始めたが、途中で言葉を切った。

「見てこれ。ここが間違っている!」彼は移動して、ダークグリーンのダウンベストが掛かっているハンガーをひっくり返し叫んだ。「ミディアムサイズは、エクストラスモールの後ろに並べて。それにハンガーの形はハート型じゃないよ」

[(English) Translated by Gengo]

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