インド見聞録(その3)-"多様性の国"からの示唆:研究員の眼

インド旅行から強く感じたことは、われわれがもっと社会の多様性に目を向けるべきではないかということである。
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これまで2回にわたり"多様性の国"インドの素晴らしい世界遺産と衝撃的な貧困問題について紹介した。良い意味でも悪い意味でも、インドは驚きに満ちた国だ。

日本とインドの間には文化・宗教・習慣以外にも様々な社会経済上の違いがあるが、何かインド社会から日本への示唆はないだろうか。

インドでは道端などで大勢の人が賑やかに話しながら食事をする光景がしばしば見られる。数人の家族がオートバイに乗って一緒に移動する風景も日常茶飯事で、家族や地域の人と人とのつながりが大変強く感じられる。

また、インドは少子高齢化が進む日本とは異なり、高齢化率が5.4%と非常に低く、お年寄りが少なく子どもや若者がとても多い社会だ。

インドの2014年の一人当たりGDP(国内総生産)は1,627ドルと日本の20分の1以下だ。インド社会では中間層が薄く、貧富の差は大きい。所得税の納税者は極めて限られ、一部の富裕層が納める税金で社会全体が運営されているのだろうか。

イスラム教などでは、富む者が貧しい者を助けることは当然の義務であり、「喜捨」と呼ばれる寄付は街のあちこちでみられる。

インドの観光地を訪れると多くの物売りに取り囲まれる。土産物の値段には特に定価はなく、相手と交渉して決める。お金がある外国人観光客が、高く売りつけられることはよくあることだ。

しかし、現地の人からすれば、同じものでも金持ちが高く、貧しい人が安く買うことは決して不当なことではないようであり、むしろ応能による「共助社会」が指向されているようにみえる。

都市化や少子高齢化・人口減少が進み、コミュニティの希薄化や社会的孤立が深まる日本社会では、人のつながりが「しがらみ」となるのか、支え合う「絆」となるのか。

格差と貧困にあえぐインドだが、そこには人と人とのつながりが生む共助社会や経済格差を埋める互助の考え方が窺える。われわれは今後の日本社会に相応しい新たな「人と人とのつながり方」を模索することが必要ではないだろうか。

インド社会には多くの宗教が共存し様々な戒律がある。ヒンドゥー教徒は牛肉を、イスラム教徒は豚肉を食べない。頭にターバンを巻くシーク教徒は、オートバイに乗る時もヘルメットを装着しない。

"多様性の国"インドでは合理性を超越した戒律が、時には法による判断に優先して社会を統治しているのかもしれない。

異文化を理解し共生することは本当に難しいが、今後は訪日外国人も急増し、異文化に対する理解と寛容性がますます重要になるだろう。

今回のインド旅行から強く感じたことは、われわれがもっと社会の多様性に目を向けるべきではないかということである。(おわり)

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(2015年10月27日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 主任研究員