モディ・インド首相が掲げた新たな産業政策といえば、「メーク・イン・インディア(インドでモノづくりを)」だが、製造業よりも一足早く、米アマゾンやマイクロソフト、フェイスブック、そしてソフトバンクなど世界的なIT企業が、eコマースやクラウド・コンピューティングといった分野でのインドへの新規投資を相次いで表明している。
背景には、スマートフォンの爆発的普及などに後押しされたIT環境の急速な進化があることが挙げられるが、雇用拡大や技術移転が期待できる製造業の誘致を目指すには、電力などインフラ整備や土地取得問題といった難題が依然未解決。その点、ネット通販や各種情報サービスなど、外資規制がほとんどなく迅速な事業展開が可能なIT関連部門は、手っ取り早いインド経済のけん引役として期待できるかもしれない。
「第2のアリババ」探し
ソフトバンクの孫正義社長は10月末、印ネット通販大手で2500万人以上の会員を持つ「スナップディール」に約680億円を出資して筆頭株主になると同時に、スマホを活用したタクシー配車予約サービスを手掛ける「オーラキャブス」(社名はANIテクノロジーズ)に、他の投資家とともに約230億円を出資することを決定した。今後10年でインドに約1兆円を投資する考えも表明している。
ソフトバンクのインド投資は今回が初めてではない。2011年には携帯電話プロバイダー首位の「バルティ・エアテル」との合弁会社を設立、ネット広告の「インモビ」(本社はシンガポール)に2億ドル、メッセージング・アプリの「ハイク」に1400万ドルをそれぞれ出資している。孫社長いわく「インドは今やターニング・ポイント。我々はその成長性を確信しており、今後も積極的な大型投資を実行していく」とのことだ。
その一方で孫社長は、「インドで第2のアリババを見つけたい」と述べ、ベンチャー企業を支援する「エンジェル」としての横顔も見せる。インドで無数に誕生する起業家の中で誰が孫社長のお眼鏡にかなうのかも、今後要注目だ。
インドのネット通販はまさに花盛り。印商工会議所協会(ASSOCHAM)によると、今年8-9月のネット通販売上高は、前年同期比200%の増加を記録。既存のスーパーやショッピングモールなどの売り上げを侵食するほどの成長ぶりを見せているという。
いくつかのシンクタンクや経済団体などの予測を総合すると、インドのネット通販などいわゆる電子商取引(EC)部門は年40-50%のペースで成長し、2020年には300億-400億ドル規模に達するとみられている。孫社長は「今後10年で(インドのeコマース市場は)5000億ドル規模に達する」とはるかに強気の予測を示している。
流通の主導権握るネット通販
今回ソフトバンクが出資したスナップディールは9月、タタ・グループ傘下の家電量販店クロマと提携。10月にはカーオーディオ購入者に対する取り付けサービスまで開始した。スナップ社と並ぶネット通販大手のフリップカートも、ファッション通販会社を買収したり独自の調理家電ブランドを立ち上げるなどの動きを見せている。各社とも、追加料金を払えば「即日配送サービス」にも対応。「営業所留め」など通販ならではのサービスが好評で、最近ではアダルト・グッズの販売も伸びているという。
こうした動きを見て、メーカーや大手小売業の側もネット通販への態度を変え始めた。「ビッグ・バザール」などで知られる流通最大手フューチャー・グループは10月、アマゾン・ドットコムとの戦略的提携を発表。紳士服大手のレイモンド、大手財閥系リライアンス・リテールをはじめ、家電大手などが続々とネット通販事業に乗り出している。
既存小売業界との摩擦も表面化している。今年10月には、ネット通販大手フリップカートが不当な値引き販売を行っているとして小売業界が商工省や財務省などに提訴、規制強化を求めるロビー活動を開始した。日本の公正取引委員会に相当するインド競争委員会(CCI)も調査に乗り出している。
カリスマ創業者らが続々訪印
世界的IT企業の超大物CEO(最高経営責任者)も相次ぎインド入りしている。マイクロソフトを率いるインド出身のサトヤ・ナデラCEOは9月末に訪印。2015年までに、インド国内に3カ所のクラウド・コンピューティング用データ・センターを設立する、と表明した。
同じく9月末には、アマゾン・ドットコムのジェフ・ベゾスCEOがインドを訪問。フリップカートなど地場勢との競争に備え、インドのネット通販事業に20億ドルを投資する計画を表明した。ベゾス氏は「インド市場は予想を超えて成長している」と指摘し、インド事業を強化する考えを強調。インドにおけるM&Aの実施や、映画・テレビなどエンタテインメント事業への進出、ドローン(無人機)を利用した配達なども検討していることを明らかにした。アマゾンは12年にインドに進出し、翌13年からマーケットプレイス事業を開始。すでに1700万社以上が出店している。
そして10月中旬には、米フェイスブックの若き創業者マーク・ザッカーバーグCEOが訪印し、モディ首相らと会談。インド政府が進めるデジタル・インディアへの支援を表明した。インドのフェースブック・ユーザーはすでに1億人を超え、選挙などでも大きな影響を与えたのは周知の事実だ。ザッカーバーグ氏は、「インド国内でインターネットにアクセスできるのは人口の約17%しかいない」と指摘。他の新興国でも提唱している「モバイル・ファースト」戦略の下、データ通信料なしでネットにアクセスできるアプリ「インターネット.org」や、フィーチャーフォン(いわゆるガラケー)でもフェイスブックが使えるアプリ「フェイスブック・フォー・エブリー・フォーン」などを、ヒンディー語やタミル語、ベンガル語などインドの主要ローカル言語でも提供していく考えを明らかにした。
IT環境も徐々に改善
こうした外資の相次ぐ進出に加え、国内でもIT産業振興のための環境や基盤が徐々に整い始めた。メッセージング・通話アプリサービスのLINE(ライン)は10月中旬、インドにおけるユーザー数が3000万人を超えた、と発表した。
背景にあるのがスマートフォンの爆発的普及だ。IT専門の調査・コンサルタント会社IDCによると、マイクロマックスやカルボンといった地場廉価版メーカーの躍進もあり、携帯電話端末の2014年4-6月の出荷台数はフィーチャーホン(いわゆるガラケー)が約4479万台と前年同期より10%以上も減少したのに対し、スマホは1842万台と同84%もの大幅増となった。年間7000万台を超えるペースで売れている計算で、ガラケーを追い越すのも時間の問題だ。
14年9月には1台1999ルピーというインド最安のアンドロイド・スマホ「Jivi JSP20」が発売された。こうした格安端末は低価格の中国製半導体を使用しているケースが多く、通信速度や処理速度が遅いとの声もあるが、ユーザーはおおむね満足しているようだ。
また、米国発の決済システムに対抗するため、インド決済公社(NPCI)や商銀最大手の国営ステイト・バンク・オブ・インディア(SBI)などが開発した"国産"電子決済システム「ルペイ」は10月下旬、アマゾンや民間航空大手のジェット・エアウェイズとの提携を決めた。ルペイはすでに大手ネット通販などでの利用が可能となっており、ルペイカードの発行枚数も3000万枚を超えている。
そして、政府が補助金や年金などの直接払いや配給、雇用保障事業などに活用する「国民総背番号制度」も着々と準備が進んでいる。12ケタの識別番号や顔写真、虹彩や指紋を登録した「アーダール(基礎)・カード」はすでに約7億人への配布が完了。世界最大の生体認証式IDカード・システムが完成しつつある。同カードの活用によって、銀行口座開設や各種行政サービスの提供が容易になるため、ここでもITの出番が一気に増えそうだ。
大規模改革にも着手
こうした「メーク・イン・インディア」を旗印にした産業振興と同時に、モディ政権はいくつかの改革にも着手している。たとえば、防衛部門などでの相次ぐ外資規制の緩和や、プロジェクトのコストを大きく押し上げることで批判が高まっていた土地収用法の見直し、硬直的で被雇用者に手厚い労働法の改正、さらには懸案だった間接税における国税と地方税の一本化といった大規模な税制改革などに、かなり本気で取り組んでいる。
しかし、即断即決で数十億ドル単位の投資を発表してメディアを賑わす名物経営者という点では、やはりITなどサービス業界がより注目されるのは致し方ない。「モディノミクス」に呼応した対印投資の第1波は、ひとまずIT業界に集中しているが、政府としてはこれを呼び水にして、製造業の誘致にも本腰を入れたいところだろう。
緒方麻也
ジャーナリスト
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(2014年11月6日フォーサイトより転載)