アメリカは「パンドラの箱を開けた」 池上彰氏に聞く"トランプ大統領の世界"

「悪夢のシナリオ」もありうると予想する池上氏に、大統領選の様子を振り返り、今後を展望してもらった。
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Kazumoto Yoshida

ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任したら、世界はどう変わるのだろうか。大統領選前からアメリカで現地取材を重ねてきたジャーナリストの池上彰氏は、トランプ氏の登場で国内問題や対日関係の「パンドラの箱」を開けたと指摘する。

「悪夢のシナリオ」もあり得ると予想する池上氏に、大統領選と今後の展望について聞いた。

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――今回の結果を予想していましたか? それはどのような理由からですか?

10月中旬までは「結局はヒラリーが勝つだろう」と思っていましたが、下旬になって、FBIが再捜査宣言をして以降、まったく読めなくなってしまいました。投票日当日の段階では、「どちらが勝つか予想できない」というのが正直なところでした。

民主党の支持者たちの中に積極的にヒラリーに投票しようという動きがなく、支持者を拡大するという動きが全く見えなかったからです。

その一方、民主党支持者以外の「ヒラリー嫌い」は大変なものでした。ニューヨークの空港の入管で「大統領選の取材に来た」と言ったら、中年の白人男性の入管職員が「くたばれヒラリー」と言ってのけたのです。

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クリントンの政治集会に集まるのは中高年ばかり。若者の熱気あふれるバーニー・サンダースの集会や、「現状への破壊願望」を持つ人々のトランプ陣営とは迫力が違いました。

――今回の大統領選を受けて、マイノリティーへの危険な言動が相次いでいます。また、政権中枢に登用される要人の、マイノリティーへの排他的な言動も問題視されています。

実に危険な兆候だと思います。マイノリティーに転落しようとしている白人たちの焦りが、こうした現象を引き起こしていると思いますが、排他的な言動をしている人たちが、やがてマイノリティーに転落することは明らか。長い目で見れば、「ヒスパニック化」「イスラム化」が進むでしょう。

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――アメリカでは選挙結果に抗議する人々のデモも続き、トランプ支持の人々との深刻な対立も報じられています。

アメリカ社会の分断は解消できないでしょう。トランプは、自分が当選さえすればいいのだと「アメリカ・ファースト」ならぬ「トランプ・ファースト」を展開。これが分断を招きましたが、トランプはまとめることができないでしょう。トランプは「パンドラの箱」を開いたのです。

――大統領選の結果は、世界にどういった影響をもたらすでしょうか?

トランプは「アメリカ・ファースト」、つまり、アメリカさえよければ、他の国なんてどうでもいいと主張しています。

さらにトランプは、ロシアのプーチン大統領を尊敬していると明らかにしています。クリミア半島の併合にも反対していません。「シリアはプーチンに任せる」とさえ言っています。

民主党大会の直前、民主党全国委員会内部のメール約2万件がウィキリークスによって暴露されるという事件が起こりました。トランプ大統領の誕生を望むプーチンの意を受けた、ロシアの連邦軍参謀本部情報局(GRU)の関与が疑われています。

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とくにバルト三国(リトアニア、エストニア、ラトビア)が大きな影響を受けそうです。トランプは「アメリカ以外のNATOへの費用拠出が少なすぎる。加盟国が攻撃されてもアメリカが助けるとはかぎらない」などと言っています。

バルト三国は歴史上、ずっとロシアの脅威を感じながら対峙してきました。クリミア半島が併合された今、次はバルト三国ではないかと恐れています。バルト三国にはソ連時代に移住してきたロシア系住民が大勢住んでいます。こうした住民との対立が起これば、ウクライナと同じように、「ロシア系住民の保護」を口実にロシアが介入してくる可能性があります。それを防ぐためにバルト三国はNATOに加盟したのです。

以前、リトアニアに行って知ったのですが、リトアニアにはNATOの一員のイタリア軍などが駐留して守ってくれています。その代わり、リトアニア軍の兵士がNATO軍の一員としてアフガニスタンに派遣され、犠牲者が出ています。

しかし、トランプは、リトアニアがNATOのために犠牲を払っているなんて知りません。平気で「助けないかも」なんて言います。

――環太平洋経済協定(TPP)や安全保障政策といった対日政策は大きく変化するでしょうか。

トランプの当選で、TPPは死にました。さらにトランプは、東アジアの安全保障について不勉強です。「アメリカ・ファースト」のトランプは、「米軍が他国を守るために、なぜ費用を負担する必要があるのか?」と考えています。「日本が在日米軍の駐留経費の負担を増やさなければ、日米安保条約を見直し、米軍を日本から撤退させる」と発言しました。

ただ、実際に米軍が撤退したらどうなるのかをトランプは知りません。日本は「思いやり予算」で、在日米軍で働く日本人従業員の給料を支払っています。もし米軍が日本から撤退し、たとえばグアムに移転すれば、基地で働く従業員の給料をアメリカ政府が支払うことになります。アメリカの負担は大きく増えるのです。トランプは韓国についても「自分の国は自分で守ればいい」と発言し、在韓米軍の撤退をほのめかしています。

これからどんな人材が集まるかによって、日本への対応は変わるでしょう。ただし、これまで以上に日本に対して「応分の負担」を求めてくるでしょう。

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トランプ大統領の誕生は、在日米軍の撤退、日本の軍備増強、東アジア情勢の緊迫化という悪夢のシナリオへとつながっていく可能性があります。

今回の大統領選の中で、トランプによって「日本は米軍に守られているだけで、十分負担をしていない。なんてずる賢いんだ!」という印象が広まってしまいました。中東から日本へ石油を運ぶタンカーの航路、シーレーンを守っているのも米軍です。南シナ海で中国と対峙しているのも米軍です。「日本が攻撃されたらアメリカが助けるけれど、アメリカが攻撃されても日本は助けない」という関係を、多くのアメリカ国民が知ってしまったのです。

――その結果、日本はどのような対応を迫られるでしょうか。

くしくも2016年3月には、日本でも「安全保障関連法」が施行され、自衛隊が「集団的自衛権」を行使できるようになりました。

仮に南シナ海で中国とフィリピンが衝突した場合、米軍はフィリピンを助けに赴きます。そのとき米軍の艦隊が中国の攻撃を受けたら、自衛隊が助けに行くことになります。日本は安全保障に対する態度をはっきりさせることを求められそうです。

これに呼応して、日本ではここぞとばかりに軍備増強へと突き進もうとする勢力が台頭するかもしれません。安倍政権下で、防衛費は着々と増え続けています。憲法改正への動きもじわじわと現実味を増しています。

2016年の大統領選は、日本にとってもパンドラの箱を開けてしまったのです。

日本とアメリカの関係はどうあるべきか、日本はどんな姿勢で外交や防衛に臨むべきなのか、あらためて考える時期が来ています。

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池上彰著『アメリカを見れば世界がわかる』PHP研究所刊。定価1300円(税別)