『森田一義アワー 笑っていいとも!』フォーエヴァー

政府はタモリさんに国民栄誉賞を贈呈してほしい。25年以上の長寿番組3本を務めた司会者は、今後現れないはず。
|

フジテレビの看板番組、『森田一義アワー 笑っていいとも!』が2014年3月31日で32年の歴史に幕を閉じた。私はこの番組を31年見たが、その回数は約半分(4000回)にも満たない。

私の記憶に残る『笑っていいとも!』を振り返ってみたい。

■気がつけば、"いいとも!"にハマっていた

私が初めて『笑っていいとも!』見たのは、放送開始1年後の1983年だと記憶している。たまたま『笑っていいとも!』を見ていたら、面白かったことや、「タモリ」、「いいとも青年隊」、「青空のセット」、「友達の友達はみな友達だ。世界に広げよう、友達の輪。WA!!」が斬新に映った。その後、社会人になるまで、祝日、病欠、春休み、夏休み、冬休みはほぼ見ていた。

実は『笑っていいとも!』開始当初、フジテレビ系列二十数局でしか放送されていなかったが、番組の人気とともに放送地域を拡大し、いつのまにか全国ネットになっていた。

■『笑っていいとも!』は、放送回数10000回を目指していた?!

放送回数2000回を突破した1990年、各曜日の生放送中に『We Are The いいとも!』(『We Are The World』の替え歌)のレコーディングを行なった。歌詞の中に「目指せ10000回」というのがあった。当時、私は本気で10000回を目指していると思っていた。仮に現在も続いている場合、年間約250回放送で計算すると、10000回達成は2021年となる。

さて、民放の番組で10000回突破をしそうなのは、テレビ朝日の『世界の車窓から』だ。『笑っていいとも!』のあとに始まったが、2013年春までほぼ毎日放送していたため、いつの間にか追い越していた。2013年春以降は月~金曜日の放送に縮小されており、10000回を突破するのは2016年となる。

NHKについては、『NHKニュース』を1日数回放送しているので、10000回どころか50000回を超えているのではないだろうか。

■約20年前のタモリ語録を思い出す

1990年代前半のテレフォンショッキングで、タモリが当時20代のゲストに発した言葉が印象に残った。

「30から40までは、あっという間だよ」

この当時、私は中高生だったので、30歳、40歳というのは、遠い先だと思っていた。だが30歳を過ぎてからは急速に1日が進み、正直生きているのが恐ろしい。

その後、タモリは「40から50までは、あっという間だよ」と言っていたので、肝に銘じる。

■2010年頃から迷走

『笑っていいとも!』は本編終了後、なぜか出演者がどんちゃん騒ぎをするスポンサー紹介シーン、次回予告の順で番組を終わらせていたが、2000年頃からなのか、オープニングソングの大幅カット、オープニングコーナーの新設、テレフォンショッキング以降のコーナー数を見直し、時間にゆとりを持たせた(放送終了時間は12時58分30秒であることに変わりない)。

2010年に入ると、テレフォンショッキングに変化があった。お友達紹介をしたあと、ゲストみずから電話をかける方式に変更されたのだ(ただし、以前はゲストみずから電話をかけることも可能だった)。ある日、ゲストのYOUはこのやり方に不満をもらしていた。コードレス電話が特殊な仕様らしく、使いにくいようだった。

2011年3月11日、東北地方太平洋地震(東日本大震災)が発生した影響で、翌週は放送休止となった。同年3月21日に放送が再開されると、テレフォンショッキングについては、タモリと観客のキャッチボール、「こんにちは」、「そうですね」を自粛。のちにタモリがゲストを紹介する際の「x年ぶり」、「初登場」がなくなってしまった。

同年夏季に入ると、コーナーの順番が中盤か後半に変更された。私はコーナーの開始時間をずらしたのはよくなかったと思っている。ゲストの都合で遅らせていたことがあったとはいえ、観客や視聴者はオープニング後のコーナーという認識があったのだから。

この頃は視聴率低下による番組打ち切りがささやかれていた。日本テレビ『ヒルナンデス』の視聴率が『笑っていいとも!』を抜いた報道があったものの、放送終了時間が異なるため、参考にもならない(『笑っていいとも!』は12時58分30秒で放送が終わるため)。

番組開始から30年目を迎えた2011年10月からセットが変わり、番組の音楽も初めてリニューアルされた。テレフォンショッキングもオープニング後のコーナーに戻ったが、一時的だった。

2012年3月のある日、とんでもないことが起こる。

テレフォンショッキングのゲストに出演した矢田亜希子が"お友達"として紹介した大竹しのぶに「はじめまして」と言ったのだ。

実は2011年秋、西田敏行が次回のゲストとして、なでしこジャパンの澤穂希選手を紹介。本人は「会ったことがない

とタモリに告げていた。しかし、この日は重要試合の練習中で澤選手が電話に出られず、西田はガックリと肩を落とした。それ以前にも「面識がない」とタモリに断ったうえで、お知り合いになりたい人を紹介した芸能人もいる。

スタッフは矢田の行動を問題視したのか、4月上旬に入るとテレフォンショッキングの基本も変わってしまい、タモリが次回のゲストを紹介する方式に変わった。この影響で前回出演したゲストのメッセージも紹介されなくなる。2013年に入ると、ゲストがポスターを持ち込まなくなった。加えて、ここ数年レギュラーの入れ替わりがほとんどないので、私は"『笑っていいとも!』はこの先、長く続かない"と感じた。

■『笑っていいとも!』終了

2013年10月23日、タモリが『笑っていいとも!』終了を公表すると、日本中が騒然となった。私も衝撃を受けると同時に、どこかほっとした。タモリは1945年8月22日生まれの68歳。以前から"2015年に古希を迎えるので、『笑っていいとも!』が続くのか、それとも後継の司会者が新しい『笑っていいとも!』を作るのか"と気になっていたからだ。

それと同時に、テレビ朝日の『ミュージックステーション』、『タモリ倶楽部』も終わるのではないかと思ったが、2014年4月以降も放送を継続する。

 私は翌日以降、在宅していないときは録画して、後悔しないことを心がけた。この半年間、『笑っていいとも!』を心ゆくまで楽しんだ。

■最終回で2つの金字塔

2014年3月31日正午、ついに『笑っていいとも!』最終回が始まる。夜に『森田一義アワー 笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』があるので、いつも通り進行するかと思いきや、タモリは年末の特大号でしか見られない神父姿で登場。その後、オープニングソングが流れ、久しぶりにオリジナルを聴いた(特大号は歌詞が異なる)。タモリは照れながら歌い、有終の美を飾るにふさわしく、観客150人、無数の視聴者(1%あたり15万人と言われている)、新宿スタジオアルタに集まった約3,000人にとっては感無量のはずだ。

エンディングでは、ギネス世界記録公式認定員の女性が登場し、タモリと番組スタッフが表彰を受けた。

「本日2014年3月31日、同一司会者による生放送バラエティー番組のエピソード数、最多としてギネス世界記録更新となりました。タモリさん、おめでとうございます」

タモリのギネス表彰は、同一司会者による生バラエティー番組5000回以来、2回目となる。

「こちらは『笑っていいとも!』という番組として、同チャンネルによる生放送バラエティー番組の最多エピソード数として、ギネス世界記録達成となりました。おめでとうございます」

『笑っていいとも!』という番組自体も表彰され、プロデューサーをはじめ、番組開始当初から携わった方々もステージに登場した。

私はこの表彰式を見て、亀山千広フジテレビ社長が頭に浮かんだ。『笑っていいとも!』放送終了公表後、タモリに対し、感謝と尊敬のコメントを多数述べていたからだ。"ひょっとするとギネス世界記録申請を提案したのは、彼なのかもしれない"と。

 0時58分、終了の時間がやってきた。すでに述べたとおり、夜に特大号があるので、タモリは「今夜も見てくれるかな?」で締めくくると思っていたが、後継番組『バイキング』をさりげなくPRするかの如く、「明日も見てくれるかな?」で新宿スタジオアルタの生放送を終えた。

 夜の特大号はお台場で生放送され、オープニングは初代のセットを再現し、タモリが登場。さらに「森田一義」のスーパーも初期の手書き表示で、オールドファンにとってはうれしい演出だ。

観客は現レギュラー、歴代レギュラー77人、アナウンサー、スタッフという、打ち上げのような雰囲気。タモリ憧れの人、吉永小百合は都合により映画のロケ先での出演だった。仮にお台場に駆けつけることができたら、2013年特大号以来となるスーパーテレフォンショッキングをしていたかもしれない。

最後も「明日も見てくれるかな?」で締め、32年間の歴史に幕を閉じた。

■タモリさんに国民栄誉賞を

まず、ここまで敬称略で書かせていただいたことを御容赦願いたい。

 タモリさんのレギュラー番組は長寿が多い。『笑っていいとも!』は32年8054回(増刊号、特大号も含めると9000回以上)、テレビ朝日の『MUSIC STATION』、『タモリ倶楽部』も1000回を越えている。

テレビ朝日の2番組も含め、25年以上続いていたので、タモリさんの偉大さを感じるし、68歳で生放送の番組を2つこなしていたのは、強靭な肉体、足腰によるものだと思う。

25年以上続く長寿番組を3つ持っていた司会者というのは、日本ではタモリさんだけだと思う。タモリさんは"国民的ヒーロー"といっても過言ではない。

政府はタモリさんに国民栄誉賞を贈呈してほしい。25年以上の長寿番組3本を務めた司会者は、今後現れないはず。長く続いたということは、視聴者に愛されていることでもある。