イチローの偉業を振り返る。振り子打法、メジャー年間最多安打、そしてWBCのあの一打。

日米通算4367安打。28シーズンの輝かしいキャリアをプレイバック。

現役引退を発表したイチロー。これまでにグラウンドに残してきた偉業と伝説の数々を振り返りたい。

■ドラフト4位でプロ入り 振り子打法が話題に

イチローは愛知県出身。地元の名門・愛工大名電高で投手として甲子園出場を果たすと、1991年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブ(当時)から4位指名を受け入団する。背番号は「51」。

イチローはルーキーイヤーから2軍で打率.366という驚異的な高打率を記録する。快調なデビューを支えたのがプロ入りから河村健一郎コーチと二人三脚で体得した「振り子打法」だ。

右足を振り子のようにゆらりと動かしながらタイミングをとる独特の打ち方で、プロ2年目にはのちに「トルネード投法」でメジャーを席巻する野茂英雄投手からプロ初ホームランを放つ。しかし、1軍に上がるたびに首脳陣からフォームを矯正するよう言われてしまい、この時はすば抜けた活躍はできなかった。

Open Image Modal
オリックス時代のイチロー(1999年)
時事通信社

転機が訪れたのは3年目の1994年。この年、監督に就任した仰木彬氏にその才能を見初められ、抜擢される。

仰木監督は「振り子打法」を容認しただけでなく、本名の「鈴木」だった登録名を「イチロー」に変えるよう本人に提案。半ば無理やりに変更させた

ここからイチローの快進撃が始まる。日本のプロ史上初となるシーズン200安打を達成(210安打)し、打率も.385を記録。MVPや首位打者など複数のタイトルに輝く。

翌年の1995年には阪神・淡路大震災が発生する。イチローの所属するオリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝を成し遂げる。イチローも打率.342、ホームラン25本と打線を牽引した。

■メジャー挑戦、1年目から...

2001年にはメジャーリーグ挑戦。シアトル・マリナーズに移籍した。

移籍1年目から242本ものヒットを放ち、58盗塁を決めるなどメジャーを代表するリードオフマンの座を手中にした。この年、MVPと新人王をダブル受賞するという史上2人目の快挙を達成した

さらに定位置のライトからの返球で度々チームのピンチを救い、その強肩ぶりから「レーザービーム」と称された。

■シーズン最多安打、そしてWBC決勝の...

2004年には前人未到の領域に突入する。1920年に記録されたジョージ・シスラーのシーズン最多安打記録の257本を更新したのだ。この年、積み重ねたヒットは262本。これは、MLBの公式サイトでも「破られることのない記録」と紹介されている。

その後も2007年のオールスターでランニングホームランを放ちMVPに選出される。2010年シーズンにはメジャー入りから10年連続となるシーズン200本安打も記録するなど、伝説を作り上げていく。

国際大会でも活躍を見せてきたイチロー。2006年、2009年と野球世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の連覇に貢献。

特に2009年大会では、序盤は思うようにヒットが出ずに苦しんだ。しかし、決勝の韓国戦で最大の見せ場が回ってくる。

3対3で迎えた延長10回表、2アウト2、3塁。マウンドには韓国を代表する速球派で、ヤクルトで守護神も務めた林昌勇。粘りに粘った8球目をはじき返すと打球はセンター前へ。この一打で日本は2度目の世界一に輝いたのだ。

Open Image Modal
WBC決勝でタイムリーを放つ(2009年)
時事通信社

■メジャー通算3089安打

イチローはその後2012年シーズンにメジャーの名門、ニューヨーク・ヤンキースに移籍。2015年にはマイアミ・マーリンズでプレーし、2016年にはメジャー通算3000安打を達成。2018年にはマリナーズに戻っている

2019年シーズンは開幕2戦目のアスレチックス戦を最後に現役引退を表明。

最後の打席は同点の8回表、2アウト2塁と勝ち越しのチャンスで回ってきたが、ショートゴロに倒れた。メジャー通算で3089安打、日米通算では4367安打

数えきれない伝説を残した、不世出の天才外野手。
ラストゲームは8回裏守備から退くと、チームメートもグラウンドからベンチに戻り、一人一人がハグで出迎えた。

その間、東京ドームを包んだ万雷の拍手が鳴り止むことはなかった。