大学2回生の時のことだ。
僕はアイスホッケー部に所属しており、頭のなかは、次の辛い辛い練習をどうやって耐えたらいいのか、スティックを買ったりリンク代を買うお金を得るために、どうやって楽で割の良いバイトをみつけるべきか、ということで一杯だった。
練習は逃げ出したいほど辛く、下宿生活とホッケーのためのお金の負担は重く、学校にはほとんどいけず、かといってクラブの先輩たちは超エリートの今で言うリア充の人たちばかりでとてもついていけず、僕はどこまでも続く暗いトンネルの中にいるような気分だった。
何か間違っていることはわかっていた。
一浪して痔になるほど頑張って勉強し、試験当日はわざわざ座布団を持っていかなければ、座っていられないほどだった。
それなのに、学校には行かず - 行かない理由はバイトで忙しいという面もあったが、学友たちと疎遠になればなるほど、たまにいってもそこで感じるのは違和感で、ずるずると行かない日が増えていった。
クラブをやめて水産学に身を入れるか、クラブを続けるなら、無理やり自分に強いた海洋牧場というようなロマン、つまり水産学科から実験のない経済学部などへの転部をさせてもらうか(可能であった)、冷静に考えれば僕はどちらかの道を選ぶべきなのは明らかであった。
さて、そんな暮らしを送っていた2回生の時、体育会全体で出している発行物に、新入生に向けたクラブの勧誘文を誰かが書かなければならないことになった。
うちのクラブでは、その仕事は伝統的に2回生がやることになっていた。
僕はすぐに志願してその仕事をもらった。
そして、自分の魂を燃やす対象のない大学生活がいかに空虚か、氷の上の格闘技と言われるアイスホッケーがいかに血沸き肉踊るスポーツであるか、勉強ばかりしてきた人間でもスポーツマンとしての晴れ舞台が用意される稀有なチャンスである、来たれ熱き同志よ! というようなことを書いた。
ともかく、その頃の僕は、暇があれば本ばかり読んでいたから、暗いトンネルの中にいようと、そういう檄文を書くことはお手のものであった。
自分でも満足のいく出来だったのだが、それが大好評であった。
その檄文を真に受けて、たくさんの新入社員が入部してきたのである。そして、何人かは、あの文章に感動してしまいました、と直接言ってくれたのである。
僕は自分自身の生活に疑問を持っていたにもかかわらず、そんな檄文をかいて、アイスホッケー部という「虎の穴」、人生にとって良いのか悪いのか計算上はやや問題のある「虎の穴」に、多くのかわいい同志を引き入れることができて、至極満足であった。
その後、拾っていただいた百貨店に就職し、作家になることを諦め、死に物狂いで働き、結局は会社を辞め、自分で商売をはじめて、また死に物狂いで働き、ふと気がつけば、50才を超えていた。
そして、少し時間がとれそうになったとき、僕は考えた。
いったい、あと15年か20年で、ほんとうにしたいことはなんだろう。
いまの会社を大きくするだけが、僕のやるべきことなんだろうか。
アンティークの着物の画像を残す、海外に発信する、そして、いつか日本染織博物館ができることを夢とする。
でも、まだ、なにか足りない。
そして、思い出したのは、34年前、2回生の時に書いた、あの新入部員募集の檄文であった。
そうか、書いてみよう。
自分の思いの丈を。
会社員として過ごした18年の素晴らしさと後悔を。
42才で無職になってから、自分の足で立ち上がるまでの物語を。
それが、ひょっとしたら、新入生のハートを震わせたように、誰かの琴線に触れ誰かの役に立つかもしれない。
実は、それが僕の本来のミッションなのかもしれない。
そう考えて、3年前、僕はこのブログを始めたのだった。
photo by markus spiske
(2015年3月7日「ICHIROYAのブログ」より転載)