30年にわたりフン・セン首相は、繰り返し政治的暴力や弾圧、汚職を用いて権力を維持してきた。カンボジアの人びとが逮捕や拷問、処刑を恐れることなく、基本的な人権を享受できるようになるために、早急な改革が求められている。国際的なドナー国・機関の存在なしにこの実現を語ることはできない。
(ニューヨーク)― カンボジアのフン・セン首相が今週、統治30周年を迎える。これを受けてヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で、影響力を持つ各国政府およびドナー国が、カンボジアの人権と民主的改革の取り組みを強化する必要性ははっきりしていると述べた。2015年1月14日は、フン・セン首相が1985年の同日に首相として政権の座についてから30年の節目となる。
これでフン・セン首相は、世界で6番目に長く政治指導者として君臨していることになる。この期間は、ウガンダのヨウェリ・ムセベニ大統領を追い抜き、ジンバブエのロバート・ムガベ大統領のすぐ後ろに続くものだ。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局局長で、本報告書を執筆したブラッド・アダムスは、「30年にわたりフン・セン首相は、繰り返し政治的暴力や弾圧、汚職を用いて権力を維持してきた」と指摘する。「カンボジアの人びとが逮捕や拷問、処刑を恐れることなく、基本的な人権を享受できるようになるために、早急な改革が求められている。国際的なドナー国・機関の存在なしにこの実現を語ることはできない。」
報告書「フン・セン首相の30年:暴力と弾圧、そして汚職にまみれたカンボジア」(全67ページ)は、ポル・ポト派の指揮官だった1970年代から首相および与党カンボジア人民党(CPP)党首を務める現代までの、フン・セン首相の経歴をたどるもの。本報告書は1985年から続く政権の統治を特徴づける暴力・弾圧・汚職について詳述した。
フン・セン首相は暴力と恐怖でカンボジアを支配してきた。政治を、自身と対抗者たちが繰り広げる死闘にたとえることもしばしばだ。たとえば2005年6月18日、当時「叛徒」と非難していた政敵たちに対し、「棺桶を用意して、妻たちに遺言を残すべきだ」と警告。フン・セン首相の統治方法に反対の意を表して王座を退いたノロドム・シアヌーク前国王に対し、死んでしまった方がよいだろうと公言した直後のことだ。
2009年8月5日の演説では、体制批判者が彼の統治に「独裁」という言葉を用いることに警告を発し、拳銃の引き金を引く真似をしてみせた。2011年1月20日、「アラブの春」で当時チュニジアの独裁者が政権の座を追われたことについて同様に心配すべきだという助言に激しく反発。「政敵を弱らせるだけじゃない、死に至らしめてやる[中略]そして抗議活動をしようとする強さを持ちあわせた者がいれば、これら犬どもを叩きのめして檻に放り込むだけのことだ」と返した。
2013年7月28日の国政選挙では、政府主導の組織的な不正行為と広範にわたる選挙違反にもかかわらず、与党カンボジア人民党が大幅に議席を減らした。その直後にフン・セン首相は、権力の頂点から彼を引きずり降ろせるのは「死、あるいは働けないほど身体が不自由になること」のみと宣言した。
前出のアダムス局長は、「この30年、フン・セン首相は政敵や市民社会に限られた空間しか許してこなかったにもかかわらず、開放的な表の顔が横たわる弾圧の現実を覆い隠していた。そしてフン・セン政権は首相の支配を揺るがさんとする者すべての息の根を、素早くとめてきたのだ」と指摘する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、1979年以降の歴代カンボジア政権におけるフン・セン氏の人権記録を検証。特に20年以上も続く現カンボジア王国政府に焦点を当てた。1993年に国連の主導・監視のもとで行われた国民議会選挙の結果を拒否し政権を握り続けて以来、フン・セン首相とカンボジア人民党はその後5年ごとに実施されている選挙を操作して、権力の座を維持している。
本報告書は、公式文書ほかカンボジア関連の文書など、クメール語、英語、ベトナム語、中国語の資料、およびカンボジア政府関係者ほかカンボジア人への聞き取り調査、ならびにジャーナリストや学識経験者、NGO関係者への聞き取り調査、そして国連の関連記録、諸外国政府の報告書、カンボジア裁判所記録を基にしている。
本報告書の内容:
- フン・セン氏のコンポンチャム州時代(幼少時期)
- 1970年にノロドム・シアヌーク王子(当時)が国外追放されたのちに、フン・セン氏がポル・ポト派への参加を決断したこと
- 人道に対する罪が犯された地域で1970年代にポル・ポト派の指揮官としてフン・セン氏が果たした役割
- 1980年代にフン・セン氏が首相として負った責任(強制労働計画、組織的な反体制派の投獄、1992年〜93年の国連平和維持活動期間中に率いた暗殺部隊)
- 1997年3月30日にフン・セン氏の護衛部隊が野党指導者サム・ランシー氏を手榴弾で攻撃した事件における役割
- 1997年7月5・6日にフン・セン氏が起こした血まみれのクーデター(そのほとんどが野党王党派党員だった100人超が超法規的処刑された)
- 過去10年間の弾圧と汚職(この期間にカンボジア人民党の政策・施政に反対していた社会・政治活動家、労働運動指導者、ジャーナリストなどが複数殺害されている)
近年では、都市部および地方の貧困層を直撃した政府の土地接収問題が、数十万人規模の人びとに悪影響を及ぼしている。一方でフン・セン首相はポル・ポト派による1975年〜79年の国際犯罪に対するアカウンタビリティ(真相究明・責任追及)の実現を公然と妨害している。これを可能にしているのは、人権侵害不処罰の温床となっているカンボジア司法制度に対して首相が維持する支配力だ。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはこれらカンボジアの現状を踏まえて、影響力を持つ諸外国政府やドナー国・機関に対し、何十年にもおよぶ権利侵害、弾圧、大規模汚職をめぐる受け身姿勢を正すよう、強く求めた。そのうえで関係諸国・機関は、自由かつ公正な選挙や法の支配、汚職と土地接収の廃絶、表現・結社・集会の自由といった基本的権利の尊重のために闘うカンボジア国民への支援を更に強化すべきだろう。
前出のアダムス局長は、「これまでの30年を経たフン・セン首相がある朝突然目覚め、これからはより自由で包含的、かつ寛容で人権が尊重された国を目指そうと決心するというのは、全くの夢想にすぎない」と指摘する。「国際社会はカンボジアで基本的な人権の保護・促進を、これまで以上に切望している人びとの声に耳をかたむけるべきだ。」
(2015年1月13日「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」より転載)