わたしが「人権をめぐる旅」へ出たワケ

「こんなことになるなら、生まれてこなければよかったな」と、これ以上ないほど悲しいことを口にするうつ病の人を見たとき、私は、「精神科医の仕事もそれぞれの『人権』を守る仕事にほかならないのだ」と気づいた。
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ころから

2015年8月26日、東京・霞ケ関の弁護士会館で「安全保障関連法案に反対する学者の会」と「日弁連(日本弁護士連合会)」の共同記者会見が行われた。

その会場の片すみに座っていた私にとって、最も印象的だったのは産経新聞記者と村越進・日弁連会長との次のようなやり取りだった。記憶の糸をたぐりながら思い出してみよう。

記者「賛否両論の分かれる政治問題について特定の政治意見を述べることに、強制加入団体である日弁連がかかわるのはどうなんですか?」

村越会長「政治的活動として行っているのではない。人権擁護を使命とする法律家として行っている」

私は村越会長のこの発言をその後、安全保障関連法に反対する国会前のスピーチや原稿で何度も引用した。日本国憲法はとりもなおさず、「国民の人権を守るために国家権力を縛る」ために存在している。だとするといま日本で起きている立憲主義の破壊は、とりもなおさず、国民の人権を侵害する暴挙でもあるということになる。

「そうか、戦争も結局は人権問題ということになるのだ」と、私は深く納得したからである。

この夏、国会前など全国でデモや抗議行動がさかんになる前から、私は「人権」という問題を考えたくて、それぞれの現場の最前線で取り組んでいる人たちと対話を重ねていた。そのうち、安全保障関連法いわゆる戦争法の問題に人々やマスコミの注目が集まり、正直に告白すると「いま『人権』なんて言ってもあまり関心を持ってもらえないかな」とも思った。しかし、村越会長と新聞記者の先の問答を聞き、自分なりにいろいろ考えるうちに、「民主主義、立憲主義を考えるためにも『人権』の問題を見つめ、学び直さなければ」と強く思うにようになっていったのである。

冒頭で紹介した「学者の会」は日本を代表するような憲法論や政治学、哲学などのすご腕の研究者の集まり、叡智の集合体だ。彼らの発言や書いたものからも「人権とは何か」について多くを学ぶことができる。

ただ、私はやっぱり「現場で何が起きているか」を知りたい。

「差別はなぜいけないか。差別の歴史はどうなっているか。オーケー、それはこれらの本を読めばよくわかる。でも、実際には差別はあるよね。だとしたらそれをどうやってその場で止めればいいわけ? 差別されて傷ついている人に、どうやって声をかければいいわけ?」という問題が気になるのだ。きっと多くの人たちもそうではないか、と思う。

私が新著の『ヒューマンライツ 人権をめぐる旅へ』(ころから刊)で対話したのは、徹底的に"現場"にこだわり、基本的には自分の名前を声高に主張することもなく、「当事者のひとり」としてあるときはカウンターとして抗議し、あるときは相談員として弱い立場の人に寄り添っている人たちだ。どの人たちの言葉も、あたたかくそして重いものであった。みんな文字通り、"からだを張っている"。 職業柄、つい「あなた自身のストレスはどうなってるんですか?」などと対話のあとに尋ねたこともあったが、誰もが笑顔で「いえ、私は大丈夫です」と言っていた。

本当は自分も傷ついたり社会や差別主義者への怒りで押しつぶされそうになったりしているはずなのに、「私は平気。それよりもこの人たちが」と常にその視線は弱い立場の人に向かっているのだ。私は本のために対話しているという立場も忘れ、「どうしてこの人はこんなにしなやかな心を持っているのだろう」「私にはこれほどのことはできるだろうか」と自分に問いかけ、ときには沈黙して考え込んでしまったほどだ。

こうして、「人権をめぐる旅」は、いつのまにか「私をさがす旅」になった。そういういきさつもあり、読者の中には「このテーマについてもっと基本的なことを知りたい」「世界の状況も聞かせてほしかった」など消化不良を感じる人もいるかもしれない。そういう人はぜひ、 対話の中であげられている文献やそれぞれが書いている著作、論文などにも目を通して学びを深め、今度は独自の「人権をめぐる旅」をしてもらいたいと思う。

彼らの何人かには、2015年夏の国会前でも出会った。声をあげコールをしている人もいれば、参加者の交通整理をしている人もいた。また、デモには参加せず、それぞれの現場で淡々と自分の仕事を続けた人もいた。

それぞれがここでも自分なりに「人権」と真正面から取り組み、闘いを続けているんだ、と思った。

私は、医師として医療の現場で心病む人の治療にあたっている。彼らは健康を害した人たちであるが、同時に病を得たために仕事ができなくなったり地域での生活に困難を来たしたりとその人権もおおいに損なわれている人たちだ。それに加えて、格差社会の波が彼らに押し寄せ、同時に戦争の不安やいわゆる"経済的徴兵"の心配も心をよぎるようになったという人もいる。 「こんなことになるなら、生まれてこなければよかったな」と、これ以上ないほど悲しいことを口にするうつ病の人を見たとき、私は、「精神科医の仕事もそれぞれの『人権』を守る仕事にほかならないのだ」と気づいた。

人として生まれたからには、なるべく幸せになりたい。心おきなく、自分らしさを発揮する生き方がしたい。

こんなあたりまえの願望がかなえられない世の中、『ヒューマンライツ』に登場してくださった7人の"心やさしい闘士たち"は果敢に挑み続けている。彼らと会い、対話し、「生きるってなに?」と問い直し続けた私の小さな旅が、ここにはある。