《「自己責任」はおかしな言葉として使われている。他人を否定して、切り捨てる言葉になっている。》――。
シリアで拘束されたジャーナリストの安田純平さんが2018年10月に解放されてから、インターネット上を中心に再燃した「自己責任論」。我々はどう向き合うべきなのか。イラク人質事件で拘束された経験がある今井紀明さんが、11月8日、インターネット番組「ハフトーク」に出演し、胸中を語った。
2019年11月23日(土)に今井紀明さんと春名風花さんをゲストにお招きし、10代向けのイベントを開きます。詳細は下の記事から、ご覧ください。
14年で、変わったもの、変わらないもの
2004年、イラク戦争終結後のイラクに向かった今井さんら3人が誘拐された事件は日本社会で「自己責任」バッシングが初めて可視化された事件だった。
そこから14年、日本社会は変わったのか。
筆者の感じた一つの大きな変化は、マスメディアのスタンスだ。2004年当時は、今井さんらを「自己責任」と批判した大手新聞社もあった。しかし、今回の安田さんの行動を「自己責任」だと断じたところは一社も無かった。保守系の産経新聞も今回は自己責任論を取らなかった。
ところがインターネットのコメント欄やSNSでは2004年と同じような「自己責任論」が広がる。
今井さんはこう語る。
《メディアも政府関係者も冷静だったと思います。僕らのときは誤った情報が正直あった。あの時、すごかったのが自作自演論です。
イラクから自衛隊を撤退させるために僕たちがわざと誘拐された、という説も飛び交いました。街中を歩くと殴られたり、罵声を浴びせられたり、逆に「頑張ったね」と言われたり......。戸惑って、対人恐怖症になるきっかけになりました。》
SNSもなかった時代、今井さんの家にはバッシングの手紙がたくさん届いた。実は、今井さんはこれらの手紙のなかで、住所がわかるものには返信していた。
《彼らのことを知りたかった。人間対人間ですし、対話できないわけではないと思った。誤った情報に基づく批判も多かったし、もっと知ってみたいと思ったんです。》
手紙の返事を書くだけではない。「会って話を聞きたい」と申し出て実際に会いに行った人もいた。
その一人が、工場勤めのとある男性だ。彼には今井さんとほぼ同じ年の不登校の娘がいた。
男性は、今井さんとの対話の中で、本当の怒りの矛先は、今井さん自身ではなく、「イラクから自衛隊を撤退せよ」と書いたメディアにあったのだと語った。
「多くの若者が、娘と同じようにニートだといわれているこの時代、何か目標に向かって行動している若者をこんなことで潰す社会があるというならば、日本社会は終わってしまうんじゃないかという危機感があるんです」と、男性は、逆に今井さんを励ましたのだという。
そして十数年後、この男性とのやりとりについて書かれたニュース記事を読んだ「不登校の娘」から連絡がきた。今井さんは彼女とも会って話をしている。「対話」の秘める可能性を感じさせる話だ。
自己責任は、誰かを「切り捨てる」言葉になっていないか。
今井さんは言う。
《SNSが出てきて、対話って可能性が広がっていると思うんです。僕は意見を変えようという意識はないんです。人にはいろんな生き方があるから、変えようなんていうのはおこがましいと思っています。それよりも本当に知りたいと思っているんです。
「自己責任」はおかしな言葉として使われていますよね。他人を否定して、切り捨てる言葉になっている。本当に大事なのは、自分たちがどういう社会を次の世代に残したいかなのに、そこは語れない。》
そして「自己責任論」は現在の今井さんの活動とリンクする。彼が手がける認定NPO法人「D×P」(ディーピー)の主要事業は定時制、通信制高校の支援活動だ。
今井さんが支援する若者の中には不登校だった生徒も少なくない。もっといえば、貧困、家庭の崩壊、本人が抱えるなんらかの障害、いじめーー。本人だけでは解決できない問題を抱えた生徒も少なくない。
彼らに「自己責任」だとは絶対に言えない、と今井さんは語る。「D×P」では寄付で事業資金をまかない、高校の現場にはいって授業や就職支援に取り組む。
《経済状況が厳しい、いじめを受ける、高校を中退してしまう。そこで一回、社会からドロップアウトしているんですね。そこから、もう一度這い上がって来いというのはきついですよね。
社会的にひきこもりになってしまうのは彼らの責任なのかって思うんですよ。そこは変えていきたいと思いながら活動しています。》
対話という言葉を「陳腐」なものだとか、「批判」をせず問題を解決しない言葉だと軽くみる人は政治的な立場を問わず少なくない。
今井さんは「対話」の可能性に賭けて、押し広げようとしている。その先に見据えるのは、「自己責任」で切り捨てず、一人、一人の可能性を肯定する社会だと言えるだろう。だからこそ、彼は最後にこう宣言する。
《事件の経験も踏まえて、いまNPO法人をやっているのは面白いですよね。僕は社会を作る側に回りたい。行政や、政府に頼るだけじゃなくて、どんな社会を作るか。それを考えたいんです。》