朝鮮半島での緊張が高まっています。北朝鮮が北東アジアの安全保障にとって不安定要素であることは新しいことではありませんが、昨今の動きを踏まえ、日本の安倍首相も朝鮮半島有事の際に予想される日本への避難民流入の対処策を検討していることを明らかにしました。
では、朝鮮半島有事の際に本当に日本に「大量の避難民が流入する」可能性があるのでしょうか? 結論から言うと、それほど大量の北朝鮮出身者を日本が保護しなくてはならなくなることは考えにくいですが、シナリオによっては「質」的に難しい判断を求められるケースが出てくるだろうと筆者は考えています。以下で少し詳しく検討してみたいと思います。
シナリオ1:北朝鮮が攻撃されたが、金正恩体制が維持される場合
軍事専門家によればその可能性は低いとされているようですが、何らかの形で(恐らく米国により)北朝鮮の国土が砲撃され、一般市民(国際法上では「文民」とか「非戦闘員」と呼びます)が住む地域にまで砲撃の被害が及んだ場合、彼らはまず北朝鮮国内で「国内避難民」となるでしょう。
また砲撃と戦争により北朝鮮当局の国境管理が緩慢になり、一般市民が北朝鮮国外に逃れることが現在よりも簡単になるかもしれません。その場合、圧倒的大多数はまず韓国(あるいは中国経由で韓国)に逃れるでしょう。物理的に陸続きですし、また韓国の憲法上、北朝鮮籍を有する者は韓国に入国できたら一定の身元確認作業を経た後で原則的に韓国の市民権を得られることになっています。言語や文化、歴史的背景また親族関係という意味でも、韓国に逃れることが大多数の北朝鮮市民にとって最も合理的な選択と言えるでしょう。
その一方で数は限られるでしょうが、北朝鮮から海を渡って日本に辿り着く人々が増える可能性もあります。そのうちの多くが上記の理由から最終的には韓国行きを希望するはずですが、もし日本への一時的避難あるいは定住を希望する場合、日本政府はどのような対応をすることが適切なのでしょうか?
まず、北朝鮮から辿り着いた人々の中に拉致被害者の方が混ざっていた場合、彼らはもともと日本国籍を有しますので、確実に日本政府に保護義務があります。今までも拉致被害者の方々で日本への帰国を果たされた方々はいらっしゃるので、その方々と同様の処遇となるでしょう。この点は大きな問題とはならないでしょう。
次に、北朝鮮から日本に辿り着いた方々の中にいわゆる「日本人妻」とその子孫が混ざっていたとします。「日本人妻」とは1959年から1984年まで続いた「北朝鮮への帰還事業」において北朝鮮に渡った日本国籍保持者のことで、実際に今何人くらいの方々が北朝鮮でご存命か定かではありません。
しかし、この方々もそもそも日本人ですし、また北朝鮮で日本人妻から生まれた子孫も母子関係を証明できれば日本国籍を「就籍」することが可能ですので日本人となり、日本政府が保護する責任がある対象となります。恐らく、中国残留邦人の方々への対応と同じような対応が適切となるでしょう。
では、北朝鮮から到着した人がそのような日本国籍も日本人との血縁関係も無い方の場合はどうなるでしょう?
まず、米国と北朝鮮との戦争が継続している間で、しかも米国との同盟関係やいわゆる「安保法制」に基づき日本も「紛争当事国」と見なされる程度に関与することになった場合、国際人道法(特に「戦時における文民の保護に関するジュネーヴ条約」と「国際的武力紛争の犠牲者の保護に関するジュネーヴ条約追加議定書」)が適用することになります。
日本も(ちなみに北朝鮮も)この2条約の締約国ですので、その内容を遵守する法的義務が生じます。この2条約は紛争下における文民の保護と処遇についてかなり詳しく定めていて、日本の管轄権内にいる北朝鮮出身の非戦闘員や文民についてはこの条約上の義務に基づいて人道的に取り扱う義務を日本政府が自ら負っています。
また戦争が終結した後でも、日本に辿り着いた北朝鮮出身者を北朝鮮に追い返すわけにはいきません。というのは、この「シナリオ1」では金正恩体制が継続する想定になっており、現在の体制下では、北朝鮮当局の正式な許可なく国外逃亡を企てた者は(北朝鮮に帰国後)投獄、強制労働、拷問、処刑などの「迫害」の対象となることが明らかになっています。
従って、北朝鮮当局の許可なく日本に逃れた北朝鮮出身者は難民条約上の「難民」となり、彼らを北朝鮮に送還することは難民条約に違反します。また政治的にも、そのような者を北朝鮮に送還することは「日本政府は金正恩体制を支持・信頼しています!」というメッセージになってしまうため、戦略的にも絶対に行うべきではありません。
もっともここで述べたことは必ずしも新しいことではありません。日本政府は「北朝鮮制裁措置」の文脈で、北朝鮮との間では原則的に人的往来を禁止していますが、日本の領域・領海内に辿り着いた脱北者については今までも少なくとも「上陸特別許可」を与え、身分事項や本人の意思を確認した上で、北朝鮮当局による人権侵害の被害者については「北朝鮮人権法」に基づいて保護と支援を施してきているものと筆者は理解しています。
従って、朝鮮半島有事によって数が一時的に増えたとしても、従来行ってきた通りの「脱北者」に対する保護・支援措置を粛々と進める、というのが基本的なスタンスとなるでしょう。
ただしここで注意すべきは、そのような北朝鮮出身者は北朝鮮が砲撃されている、あるいは戦争状態だから「難民」と認められるのではない、ということです。今までのブログでも繰り返し述べている通り、一般化された紛争や戦闘状態を逃れただけでは国際難民法上にいう「難民」とは認められません。「難民」とは「迫害のおそれ」を逃れたものであり、北朝鮮出身者が「難民」とみなされるのは、上で述べた通り、もし送還されたら「非合法的出国」に対する北朝鮮当局による懲罰措置が待っていて、その懲罰措置の内容が「迫害」に該当するからです。決して戦争状態だからではありません。この点は未だにかなり広く誤解が見られますので、繰り返し強調しておきたいと思います。
シナリオ2:北朝鮮が攻撃され、金正恩体制が崩壊する場合
このシナリオでも、上の「シナリオ1」で述べたことが、国際人道法に基づく保護の部分まではそっくりそのまま適用します。ただし、異なってくるのは北朝鮮出身者つまり脱北者を「難民」と認めるかどうかの点からです。
シナリオ1で、戦争終結後に北朝鮮出身者を送還することができなかったのは、金正恩体制が存続しているため帰国したら「迫害」を受ける可能性があるからでした。ところがシナリオ2では金正恩体制は崩壊しているので、厳重な国境管理・出国禁止措置がなくなり、より多くの脱北者が出てくると想定されると同時に、「非合法的出国」に対する懲罰的措置もなくなっている可能性があります。
もちろん、戦争継続中に北朝鮮に送還することはシナリオ1で触れた国際人道法に抵触しますが、戦争終結後かつ金正恩体制崩壊後に樹立される政権の中身によっては、今まで「迫害のおそれ」とされてきた懲罰措置がなくなり、脱北者をほぼ自動的に「難民」と認める法的根拠がなくなる可能性もあります。
また(あくまでも希望的観測に過ぎませんが)軍事独裁政権が崩壊し、自由民主主義を掲げる暫定政権が樹立する可能性も全くゼロではありません。更に言えば、南の韓国でどのような新政権が発足するかにもよりますが、本格的な「南北統一」に向けて朝鮮半島が動き出す可能性も、少なくとも「想像」することは可能です。そうなると、日本に一時避難していた北朝鮮出身者は朝鮮半島への帰還をより多くの者が希望するでしょう。
もっと言えば、在京韓国大使館(や総領事館等)におけるビザ・渡航文書発給手続き、あるいは暫定的国籍付与(確認)手続まで可能になれば、その方々は韓国から「新たな国籍」(あるいはそれに準ずる地位)を得る(あるいは確認される)ことになるので、日本政府が彼らを「難民」として保護する法的責任は無くなります。このことは難民条約第1条Cで「難民の地位の終止条項」として規定されています。
ただし、金正恩体制が崩壊した場合には、難民法に加えて「国際刑事法」の観点から一つ難しい問題が生じることになります。これは政変が生じた際に往々にして問題になるのですが、新体制・新政権が発足した後、その政変の生じ方によっては、前体制・前政権側と見なされる人々が逆に弾圧の対象となることがあります。要するに、金正恩体制「側」であった人、またそのように一般に見なされている人で、政権交代後に弾圧に遭うおそれがある人をどこまで保護するのか、ということです。
ここで特に難しくなるのは、「前体制・前政権側」と見なされる人々のうち特に金正恩氏の側近や政府高官であれば、拷問や迫害、超法規的殺害などに首謀的な立場で能動的に関わっていた可能性があります。そのような「平和に対する罪、戦争犯罪及び人道に対する罪」、または「国連の目的や原則に反する行為」を行っていた人々は、難民条約第1条Fで「難民」の定義から除外されることとなっていますので、日本政府ももちろん彼らを日本で保護する必要はありません。
ただし、北朝鮮のような全体主義的軍事独裁体制では、どこまでの人々を「前政権側」あるいは上記のような犯罪の「加害者」または「共謀者」・「加担者」と見なし、どこからを「一般市民」つまり「あくまでもいやいや金正恩体制に付き合っていた人」と見なすのかの判断は容易ではありません。
新政権樹立後の(北)朝鮮で「前体制・前政権側」と見なされ弾圧や迫害のおそれがある人については、日本政府は「難民」として保護する国際法上の義務がある一方で、深刻な国際犯罪を犯した「前体制・前政権側」の者を保護する必要は無いのです。むしろ国際刑事裁判所での訴追に向けた手続きを進めるべきでしょう。
従ってその両者の間の見極め、つまり「金正恩体制による国際犯罪の首謀的加害者」から「前体制・前政権支持者と見なされ迫害のおそれがある一般市民」までの間のどこで線を引くのかが、冒頭で述べた「質的に難しい判断を求められるケース」にあたります。国際難民法と国際刑事法の原則と潮流(つまり判例法)を重ね合わせた対応が求められることになるでしょう。
最後に、上記の二つのシナリオに加えて、シナリオ3として「韓国が北朝鮮によって攻撃され、韓国籍を有する人々が日本に保護を求める場合」、さらにシナリオ4として「北朝鮮によって日本が攻撃される場合」もあくまでも想定としては考えられます。これについては別の視点からの検討が必要になってきますので、別のブログに先送りしたいと思います。