国の経済や政治が、どのように変化してきたかを表す一番の方法、それは女性の美しさの基準とファッションの移り変わりに注目してみることだろう。メイクやファッションは、社会の理想や雰囲気、それに保守性を、よく見せてくれるからだ。
ファッションメディアの「Cut」は、モデルのサブリナ・サラジさんを起用してイランのファッションと美しさの基準が、1910年から2010年までの100年間にどのように変わったのかが分かるとてもユニークで素晴らしい動画を公開した。
1910年代までのイランの女性は、つながった眉毛とシンプルなメイクアップが特徴で、ヒジャブをぴったりと身にまとっている。
しかし、1910年頃からは、ヒジャブをもっとゆるく、柔らかく被るようになっている。これは、イラン立憲革命が始まり、近代的なナショナリズムに基づいて女性の権利を求める運動が始まったという社会的変化を反映したものだ。
1930年代には、イランの初代皇帝レザー・シャー・パフラヴィーが、国名をペルシアからイランに変え、ヒジャブの着用を禁じるなどの大変革を実行した。この頃から、女性のヘアスタイルが洗練され、化粧が濃くなり、欧米のトレンドを反映していくようになっている。
そして1941年に皇帝に即位したパーレビ国王ことムハンマド・レザー・シャーは、「白色革命と呼ばれる近代化・西欧化を進め、女性参政権も認められた。
しかし、1979年にはイラン革命が起こった。この大転機を地味な黒いヒジャブと化粧っ気のない顔がはっきり示している。
その後は多くのイラン人にとって暗い時代が続いたが、2009年の大統領選をきっかけに、政治的変化を求める「緑の運動」が始まり、再び希望が広がり始めた。
ヒジャブの着用は今でも義務とされているが、2010年代に入ると色がカラフルになり、着こなしもゆるくなっている。
この記事はハフポストUK版に掲載されたものを翻訳しました。
[日本語版:佐藤卓、合原弘子/ガリレオ]
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