香港デモの矛先は、中国本土からの粉ミルク密輸業者にも向いている。なぜ?

香港中心部と中国本土の間にある国境付近の町、上水(シェン・シュイ)でも、非難を浴びている別の悪役がいる。それは粉ミルクの密輸業者たちだ。
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Matt Sheehan / The WorldPost

香港の沿道を占拠する学生たちのデモ。彼らはトップの梁振英(りょう・しんえい)行政府長官の辞任を要求している。しかし、香港中心部と中国本土の間にある国境付近の町、上水(シェン・シュイ)でも、非難を浴びている別の悪役がいる。それは粉ミルクの密輸業者たちだ。

かつては静かな農村だった上水は今や、激安の値段で品物を買い漁ろうとする中国本土の密輸業者や買い物客たちの天国となっている。中国と香港間の取引で地元の香港企業はうるおっている一方で、上水は文化的、経済的に深刻な懸念をもたらすほど反中国の動きが加熱している。地元の住民は本土の人間たちが香港の資源を奪い去り、価格を引き上げていると非難している。

「香港の人が中国政府をいかに嫌っているかを知りたければ、あれを見ればわかりますよ」と、イボンヌ・チョイさんは上水駅の外で2つの新品の粉ミルク缶の上に座っている女性を指さしながら話をした。「何もかも、あの人たちに持って行かれてしまうのです。日用品で必要なもの、粉ミルク、おむつなどです。私たちの学習の機会、雇用の機会も奪われるのです。政府があの人たちが来ることを認めているから、何もかもなくなってしまいます」。

コールセンターでパートタイマーとして働いているチョイさんは、上水で最初の抗議行動が起きた時、真っ先に非難の声を上げた。中国本土の人間たちで賑わっている駅の外で、少人数だがでも参加者が9月30日の夜に集まった。彼らの声は、香港中心部を動揺させている民主化デモ参加者の声が、最も遠く離れた上水にまで届いたようだった。

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デモ参加者は上水駅の外に集まり、民主的な権利を求めたほか、香港へやって来る中国本土の人間の数を減らすよう要求した (Photo: Matt Sheehan/The WorldPost)

香港と中国本土では、外国からの輸入に対して異なる通関制度と規制を維持している。そのため、香港で品物を仕入れて本土に違法に移送するすることで利益を得る状況が生まれる。

中国政府が2009年に香港への旅行規制を緩和して以来、中国本土の人間は乳児用粉ミルクからiPhoneまで、あらゆるものを密輸するようになった。2008年に中国でメラミンが混入した粉ミルクの事件が表明化して以来、外国製の粉ミルクは人気商品となっている。中国本土の人間は香港の品物を買い漁り、大儲けするために通関上の規制をかいくぐっていると地元紙は伝えている。

1日に何回も香港と中国本土を不法に往来し、商品を転売している密輸業者もいる。香港に旅行するたびに、友人や家族のために大量に買い物する本土の人間もいる。両者を合わせると、その影響は甚大である。

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大人数の買い物客や密輸業者が香港で割安品を大量に買い込んだ後、タクシーか鉄道を使って中国本土へと戻っている (Photo: Matt Sheehan/The WorldPost)

香港中心部にいる学生デモの参加者たちは、中国本土との政治的なバランスを何とか変えようをしているが、上水などのような場所では、経済的な窮地に立たされているのが実情である。多くの企業は本土からの買い物客の需要を頼りにしている。上水の商店街に立ち並ぶ売店の従業員は、売上の60〜70%は本土からの買い物客からもたらされているという。しかし、地元住民からみると、そうした需要が日用品の価格を釣り上げることにもなる。

上水の薬局に勤務し、香港デモの象徴である黄色リボンを身につけている27歳のチャン・ワイクェンさんは「住宅価格は投機で高騰していますし、何もかも値段が高くなっています」と嘆く。「これ以上多くのお客さんを呼んで、何の意味があるでしょうか?」

香港の住宅価格は2008年以降120%も上昇し、2013年には過去最高を記録した。こうした価格上昇は、約130万人、住民の5人に1人はいる貧困層の生活をさらに圧迫している。

最悪の事態になれば、不満が増大した結果、中国本土の人間を「欲張りなイナゴ」と罵る大規模な反発を招きかねない。

「私たち香港の人間はずっと黙って耐えてきた」。2012年に掲載された香港の主要紙「蘋果日報(アップルデイリー)」の広告には、そんなコピーがあった。その広告には、上空をただようイナゴの大群の写真が掲載され、香港での永住権を獲得するために香港で出産する、いわゆる「香港出産ツアー」への抗議が書かれていた。そして中国本土の夫婦が無制限に香港へ流入する事態を終結させるよう求めていた。

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地元上水の住民の中には、本土からの買い物客が街中の価格上昇を引き起こしたと非難している人もおり、そうした反発が民主化要求デモと結びついている (Photo: Matt Sheehan/The WorldPost)

こうした緊張関係があるにもかかわらず、上水に長く居住する住民の多くは本土からの流入をある程度認める姿勢を見せ、逆に民主化要求デモには冷ややかな視線を注いでいる。61歳のトン・カイレンさんは、近隣の広東省から、中国本土を変革する経済改革の夜明けとなった1982年、香港に移住した。当時、この地域は稲作に依存していたが、香港と外国との交易が拡大するなか、トンさんは外国人旅行者向けのビザ発行の代理人になった。現在は引退し、街の中心部近くにある小さな寺院の警護をしている。トンさんもデモ参加者と地元住民のトラブルを目の当たりにしている。

「あの人たちはいらない。香港にとって、何もいいことをしていないよ」と、寺院の周囲を掃除しながら、トンさんは語った。「株価は下がっているし、交通が遮断されているから通勤もできない」

彼は25歳の息子に対し、香港中心部で行われているデモに参加しないよう伝えた。

「民主主義とは、いったい何のためにある?」と、トンさんは問いかけた。「経済が失われつつある中で、民主主義を求めることにどんな意味があるっていうんだ?」

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トン・カイレンさんは、中国本土からの来訪者が企業の助けになると考えている。そして民主化要求デモは地域経済を動揺させるとして非難している (Photo: Matt Sheehan/The WorldPost)

しかし、14歳のゲイリー・チャンさんにとっては状況が異なる。香港大埔区の近くで生まれ育ったチャンさんは、学校で、地元の言語である広東語、そして本当の意味で香港の文化が危機にさらされていることを心配している。学校のクラスメートのほとんどは最近本土からの転校生で占められている。

「広東語をまったく耳にしないこともあります。むしろ、自分のような香港出身の生徒が少数派になっているんです」と、チャンさんは述べた。

チャンさんはそうした欲求不満を、大規模なデモに参加し、7月に行われた座り込みにぶつけた。その時、地元警察に逮捕された500人以上のメンバーの中で彼は最年少だったという。

イボンヌ・チョイさんにとって、国境付近の町で日常的な仕事から出てくる不満は、政治的な色合いを帯びるようになっている。彼女は、新しく来た人間が増えたために犯罪が増加している警告と、望ましい選挙改革について詳しく記されたパンフレットを配っていた。現在のところ、まだ香港中心部を占拠している主要なデモ参加者のところには届いていないが、やがて状況が変わることがあるかもしれない。

「私は行く準備ができています」そう、チョイさんは話している。

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上水駅で、商品を目一杯詰め込んで移動する中国本土の人間。イボンヌ・チョイさんはこうした本土の人間を非難し、地元のデモに参加するようになった。 (Photo: Matt Sheehan/The WorldPost)

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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