日本を代表するギターヒーロー、布袋寅泰。3年前に拠点をロンドンに移し、齢50を超えて、世界規模での活動をもくろんでいる。
彼は10月16日に世界へと打って出るアルバム『Strangers』をリリースした。20年来の友人というハフポスト日本版編集主幹・長野智子がその心境を聞いた。
――イギリスに移住され、その後アルバム『New Beginnings』を去年にリリース。そして、今年『Strangers』が完成。この形になるまでにいったい何があったんでしょう。
最初の1年は、家族で移住したこともあり、日々の暮らしをアジャストすることで精一杯でした。また、向こうに行ったからといって、すぐに音楽活動がスタートできるわけではない。まずは焦らず、イギリスにしっかり根を下ろすところから始めよう、と。このアルバムは自分をローカライズすることからスタートしたのです。
前々から聞いてはいたけれど、音楽の作り方や伝え方、ミュージックビジネスのあり方など、すべてにおいて日本と英国の違いは想像以上のものでした。
もちろん、日本のルールや常識がそのまま当てはまるはずはないと思っていた。だからこそ向こうに行って、現地の文化や考え方などにどっぷり浸かって、それらを肌で感じながら英国流のやり方でやろう、と移住を決めたわけですから。ユニバーサル・ジャパンとの契約はありましたが、現地のレーベルは決まっていなかった。布袋寅泰という音楽家の良き理解者を探すことから始まり、ようやくスパインファームというレーベルとの契約が決まったのは今年の4月でした。そしてアルバム『Strangers』をリリースするまで2年半という年月がかかりました。これは僕の今までのアルバム制作では最長記録です。
――去年私たちがインタビューさせていただいた時には、日本ではセルフプロデュースしていたけれど、イギリスではもうまな板の鯉のように、向こうの人に任せて、また自分の可能性を引き出してもらいたいっておっしゃってましたよね。
あの段階では、インストゥルメンタル・アルバムでもいいのでは?と思っていたんです。ワールドワイド・アルバムの序章として、まずは『New Beginnings』を日本でリリースした。歌を歌わないアルバムを作るっていうのはソロになってから初めてのことだったし、日本のファンの皆さんがそれをどのように受け止めてくれるか不安もあったけど、JAPANツアーで全国を回ると、ファンの皆さんは長年において僕のチャレンジ、僕の変化を楽しんで応援し続けてくれた人たちだから、寛大に受け入れてくれた。とても嬉しかったです。しかしインストゥルメンタル・ミュージック中心では、海外のレーベルや市場でスタートすることはまず難しかった。
――ボーカルがないと……。
うん。やはりラジオや媒体にアプローチしたりする上でね。インストゥルメンタル音楽というのはなかなか伝えずらいのです。BOØWYの時には、氷室京介という強力なボーカリストが隣にいた。キャラクターはずいぶん違ったし音楽的嗜好も違ったけど、異なる二人が一緒にいることによって大きなケミストリー生まれました。
当時の僕はボーカリストの隣にいるギタリストというポジションが好きだった。14、15歳のころから洋楽を聴き始めて、今でも一番好きなアーティストはデヴィッド・ボウイです。ボーカリストとしてのデヴィッドはもちろん、パフォーマーとして、アーティストとしての彼も好き。常に気になっていたのは、毎回デヴィッド・ボウイの隣にいるギタリスト。ミック・ロンソンから始まって、カルロス・アロマーや、エイドリアン・ブリューや、ただ技巧派なだけではなく、強い存在感があって、アバンギャルドで、いわゆるブルースとかハードロックっていうルーツ、ギターのルーツからはみ出ようとするギタリストたちから僕は強い影響を受けてきた。
そういうギタリストになりたいといつも思っていた。
――ああ、なるほど。
BOØWYが解散後、吉川晃司という、ご存知の通りまた個性の強い人と組んでね。
――本当ですね(笑)
その強烈な個性を持った二人のあとに、また違うボーカリストと組んで一緒にやろうという気持ちにはなれなかった。そして自分で歌うっていう道を選んだんだ。僕の音楽にはメロディが不可欠だし。しかし僕のギターのスタイルとは、エッジィでスピード感のある強いリズムがあって、展開が早くスリルがある。そこに言葉をのせていこうとすると、どうしてもアタックある強い言葉だったり、角があるっていうか、シャープな言葉しか合わないんですよね。
――ああ、なるほど。
強いビートに強い言葉で歌い始めたときから、僕はどこか『ギタリスト布袋寅泰』とはまた違う、一つのキャラクターを演じ始めていたのかもしれない。世間一般の人々が思ってる『布袋寅泰』のイメージって、やっぱトガってて、強面で、こう、何か睨みつけてるっていうか、強くて怖い印象でしょう?
しかし実際の僕はそれほど刺々しいタイプではなく、むしろナイーブな人間だと思う。『ボーカリスト布袋寅泰』と『ギタリスト布袋寅泰』の両方のバランスを常に取りながら、僕は自分をプロデュースしながら30余年間やってきたわけですが、そのバランスがだんだんうまく噛み合わなくなってきた。
複雑なギターのリフを弾きながらボーカルもやるのって、ほとんど曲芸に近いですから。海外で勝負する時は、まずは自分の最大の持ち味であるギタープレイとサウンドメイキングに集中しようと思った。まずはインストゥルメンタルの制作から入ったんだけど、やはり歌の存在は必要だなと。ゲスト・ボーカルを招いてのコラボレーションでバランスを取ろうと。ボーカリストの隣にいるギタリストに戻ってね。
――去年、確かに歌がなくって、曲だけ作るのは難しいって言ってましたね。
インストゥルメンタルを作るのは、まずはイメージや、一枚の絵とかストーリーとかを探すところから始めるとても自由な作業です。また映画音楽の場合は物語や映像があり、ひとつの目標があって作るもの。言葉を用いての自己表現となると、今までは母国語の日本語で作詞し、感情や思いを自分の言葉で音に乗せることができたけど、それをすべて英語表現するには僕の英語力では到底及ばない。日常会話さえままならないレベルですから。自分の気持ちや感情をのせて歌うなんて、遠い先の話になってしまう。
今回のコラボレーションでの作詞はシンガーに任せたのですが、やはり英語の独特の言い回しなど、辞書を引いても出てこない言い回しが多く、英語の歌で世界に勝負をかけるのは本当に難しいと実感しました。
――日本人がいいなあと思った人が、なんで世界でナンバーワンになれないんだろうなって本当に思うんですけど、日本と海外、マーケットは何か違うんですか?
何かね、何もかもが違うんですよ。日本は単一マーケットなのに対し、世界は文字通りワールドワイドですからね。一枚のアルバムをリリース後1年も2年もかけて各国にアプローチしてゆく。アメリカという大きな市場も狙えば3年がかりという長い時間を費やすと聞き唖然としました。違いといえばアーティスト写真ひとつとっても、日本でビシッとキメて撮ったものを使おうとすると、PRやマネージメントサイドが拒否反応を示しましたね。
――なんでですか。
日本っぽすぎる? 完璧に作られすぎていると言うね、みんな。プラスチックな感じがすると。
――面白いですね。
サウンドにしてもそうかもしれない。作り込み過ぎているというか。特にイギリスの人たちは無骨なサウンドが好きなんですよね。飾り立ててないもの。シンプルな太い音で踊れる音楽が好き。
やはり日本語で歌うことの難しさもあるかもしれないね。ワンコードのシンプルなリフに日本語を乗せていくのは本当に難しい。どうしてもメロディーやコードで言葉を装飾したくなる。
――海外でウケる日本の曲って、きゃりーぱみゅぱみゅさんとかPerfumeとか、キラッキラ極めたみたいな方向ですよね。
そうですね。さて自分が向こうでやるぞという時に、最初は自分がアピールすべきは日本人、東洋的なもの、だろうと考えていた。それをどのようにサウンドやビジュアルに反映して伝えてゆくか。実際2年目のロンドン公演ではそういった東洋の神秘的なビジュアルをステージに取り入れたりした。しかし今僕はロンドンに暮らしているわけで、そこには様々な国籍の人がいるし、様々な文化が交差している。自分がに日本人であることを誇張するのは不自然だと思うようになりましたね。自分の中の東洋的な感覚はきっと音に自然と表れるだろうし。
だから本当にゼロからのスタートなんです。前回お話ししたように、「YouTubeではなかなか伝わらないんです」っていう思いはもっと強くなってる。過去の作品や映像からは今の自分は伝わらない。最新の音を、一人一人のオーディエンスに伝えながら、当たり前なことだけど、僕の音楽のファンを増やしていくしかない。今までのキャリアや実績なんて何の役にも立たないですよ。
むしろ邪魔なぐらいです(笑)。もちろん、キル・ビルの音楽を作りました、ローリング・ストーンズと共演しました、履歴書に書いたらパーフェクトかもしれない。 でも履歴書で僕の音楽を買う、もしくは僕の音楽を好きになる人なんていないですからね。やっぱり音を聴いて判断してもらうしかない。19歳でBOØWYでデビューした頃と同じ感覚です。ライブハウスからのスタートです。
――ゼロから挑戦していると同時に、来年はデビューから35周年でもあるんですよね。
はい。大きな節目です。今年は制作とリリースに向けての作業が中心でライブの数が4回しかなく、活動歴の中で最も少ない数となってしまいました。しかし来年はやりますよ!日本のファンにも恩返しをする時です。きっとファンの皆さんが喜んでくれるのは、布袋寅泰の最新の音だと思う。そしてその中には懐かしいあの頃の曲も聞きたいよ、っていうファンもたくさんいるでしょう。今、新しいアルバムしかやりたくないんだよ、っていう気分ではないかな。逆に言うと、全部やれる。最新の布袋サウンドでね。
――35年を振り返る、みたいな?
うん。35年前の自分に対しても肯定的でありたいし、今の自分に対しても同じ思いでいたい。自分の作ってきたものに対してしっかり向き合いたい。だから、そうね。来年は楽しい1年にしたいな。
――氷室さんにお声がけされるとか、ないんですか。
彼はステージからの引退宣言しましたよね。彼は彼自身の手で氷室京介という道を、締めくくる。ステージという扉を閉めるわけだから、それはすごく強い思いあってこその決断だと思います。しかし僕は僕でまた、新しい世界の扉を開けた。同じバンドをやったという意味合いではとても深いつながりがある同志だけど、解散したのはもう27年前のことですからね。その後はもうお互い、自分の道をずっとね。
――そうですよね。
ローリング・ストーンズにミック・ジャガーは一人しかいないし、キース・リチャーズは一人しかいない。ファンの皆さんの思いもわかりますが、僕には僕のやるべきことがある。僕のゆくべき道がある。
――この35年間、振り返ることってあります?
よくやったな、って褒めてやりたい部分もあれば、怠けてたなというか、もっともっと頑張れたんじゃないのか?と自問する自分もいます。昔は格好つけて、「反省はするけど後悔はしない」なんて言ってたね。しかし今は反省もするし後悔もする。でも、同時に自分のやってきたことはしっかり自分で認めてあげたいし、誇りに思いたい。その反省も後悔も経験も誇りも何もかもすべて今、自分の中にありますね。
僕だけじゃないでしょう。長野さんだってフジテレビでアナウンサーやって、今ハフィントンポストにいて、また世界を見る目や、また世界のあり方も変わったじゃないですか。長野さんはトンネルに入った時代なんかあったんですか?僕はこの1年間結構トンネルでしたよ。
――いやいや、私聞き手ですから。
聞きたいんですよ(笑)
――すごいありましたよ。もう暗黒のトンネル、やっぱりお笑いから報道に移る、移ってもバラエティのアナウンサーとしてしか見られなかったので。長野の読むニュースなんて誰も見たくないって言われてましたから。ニュースやりたくて全部仕事辞めて、5年半アメリカ行ったんですよ。向こうで大学院出て。たまたま日本から報道でお声がかかったので戻ってきたっていう経緯があるんです。
でも向こうで感じたことをまたこっちで伝えようと思うと、なんか伝えたいのに伝わらないっていうジレンマもあるでしょ。
――ありますよね。やっぱり国内では視聴者が見たいもののニュースに偏りがちに。なって。
それをね、誰かのせいにするべきじゃないしね。時代のせいにするのは簡単だけど。
――そうなんですよね。
結局小さくても風穴を開けていくしかないんですよね。そこをやろうっていうふうに思わないと、僕らがアーティストとして存在する理由がなくなってしまうというか。そのためにも常にスタートを切らないといけない。長野さんほど長く暗くはなかったかもしれないけど、この数年は僕の中では久々の暗黒のトンネルだったんで(笑)。
――へえー。
そこに入って、また見えてきた光。そこで思いも新たになってきた。ここで頑張らないと本当に後悔するぞ、と。やっぱり「やらなかったという後悔」よりも「やった後悔」をした方が絶対意味がある。よく言われることだけど、本当にそうですよね。
最近悔しい思いばっかりしてるけど、悔しさっていいな、と思うんです。ちくしょー、今に見てろよ、という底力が湧いてくる。
ちっぽけなことかもしれないし、世の中に対して、誰かに対して、大きなことを伝えることには繋がらないかもしれないけれど。でも、何かをやるっていう力、やろうとする力を忘れてはいけないと思う。個々のトンネルではなく、今を生きる我々のトンネルの先に向かうためには、風穴を開けるという強い意思がないと先に進めないと思う。
僕は50代ですけど、向こうにいると、誰も年齢なんて気にしないね。インタビューで「もう50代だし若くない」みたいなことを言うと「そんなこと冗談でも言わないほうがいいですよ」と正される。そんな言い方、すごく自分を小さく見せるだけだよ、って。
日本では「50歳からの海外への挑戦ってすごいですね」と言われるけれど、たまたまタイミングがそうだったっていうのと、今やらなかったら一生後悔するという危機感もあった。若い皆さんにはチャンスはたくさんあるわけだから、一度は絶対外に出るべきだと思いますね。世界に。別に永住なんてしなくてもいいし、どうしてもだめなら途中で帰ってきてもいい。日本を捨てなくてもいいし。どこにいても捨てることになんかできないしね。日本人はどこにいたって日本人です。しかし日本人である前に、世界人だということを忘れないでほしい。
一つ言葉を覚えれば、世界の街行く人にハロー!と語りかけ笑顔を分かち合うことができる。何事も向上心。ギターも新しいコードをひとつ覚えたら音楽の世界が広がる。僕も怠けないでもっと本気で英語の勉強を、いや、英語よりもまずギターをもっと弾かなきゃいけないな、って思うよ。最近。
【関連記事】
ハフィントンポスト日本版はTwitterでも情報発信しています。@HuffPostJapan をフォロー