香港の命である国際金融のハブ機能が集中する中環(セントラル)地区を占拠し、経済活動の根幹をマヒさせることで中央政府に打撃を与えようという「占中」運動は、民主派が呼び掛けていた10月1日の国慶節をまたずに決行された。今回の前倒し決行は事前に定められていたことなのか。それとも学生らの盛りあがりの過程で突発的に起きてしまったことなのか。後者だとするなら、一時的なガス抜きで終わる可能性も否定できない。
"金の卵を産み続ける鶏"
学生らは香港特別行政区政府トップである梁振英行政長官(以下、長官)との直接対話を求めているが、香港問題の最終決定権を握っているのは北京の共産党中央政府である。であればこそ、アメリカ政府や台湾の馬英九総統が示した今回の運動への強い支持を背景に長官との対話を実現させたところで、学生らが求めるような「民主化」の方向が打ち出されることはないはずだ。これが、1国2制度の下で特別行政区としての香港に与えられた「高度な自治」の実態ということになる。
次の長官選挙が実施される2017年には、習近平政権の最初の5年が終わりの年を迎える。その時、習近平が現在の北京で展開されている権力闘争を勝ち抜き盤石な権力基盤を築いていたとしたなら、秘密共産党員の噂が消えることなく不人気極まりない梁振英長官に見切りをつけ、香港住民の意向を取り入れる形で新たな長官を選ぶ可能性は否定できない。前回の2012年選挙における胡錦濤前政権の強引なまでの介入によって梁振英長官が誕生した前例に倣うなら、十分に予想できることだろう。
歴代行政長官人事を振り返ってみると、江沢民が強く推した初代長官の董建華は、江沢民の後を襲って政権トップに立った胡錦濤によって、2期目の任期半ばに詰め腹を切らされ辞任している。その背景に、香港住民から「無能」「でくの坊」と批判・揶揄され続けた董建華の不人気があったことはいうまでもない。
じつは梁振英長官は胡錦濤前政権による一種の積み残し人事であるだけでなく、董建華以上に不人気なのだ。習近平政権が順調な香港経営を第1に考えるなら、不人気な長官は不必要ということになるはずだ。北京は香港を"金の卵を産み続ける鶏"のままにしておきたいのだ。
「官商勾結」の構図
1997年7月の返還からの17年を考えた時、北京の香港経営の主眼が長官人事に見られるように、政治面では介入の度を加えながらも、一方では(1)「自由行」政策によって中国から大量の観光客を送り込み、香港経済の柱である観光産業を潤わせることに努め、(2)CEAP(香港・中国経済貿易緊密化協定)などによって、香港経済へのテコ入れを進めてきた、といえる。この政治不自由・経済自由こそが、返還前に鄧小平が内外に向けて公言した「香港の繁栄の維持」の内実ということだろう。
「繁栄」する香港は、中国経済に多大な貢献をする一方で、香港には"不動産本位制野蛮強欲市場経済"をもたらすことになった。
必ずしも豊かとはいえない大部分の香港住民が、家族経営で成り立っている一握りの不動産特権層の強い影響力の下に置かれる。特権家族の持つ政治権力は政府と密接不可分の関係を持ち続けている一方、大部分の香港住民の生活は、特権家族が保持する企業集団の経営の傘の下に取り込まれてしまった。それというのも、地主家族の傘下系列企業が一般住民の日常生活の隅から隅まで押さえてしまっているからだ。土地を手中に納めることができれば、莫大な富だけでなく、それに伴って香港住民の生活まで抑えることができてしまうのである。
香港の土地は基本的に公有であり、政府が土地の使用権を競売に付す。形式的には誰にでも入札の機会はあるが、落札するには莫大な資金を用意しなければならない。そのため、事実上、応札可能家族(=業者)は李嘉誠(傘下企業集団名は、長江実業集団、和記黄埔集団。以下同)、郭兄弟(新基鴻地産集団)、李兆基(恒基兆業地産集団)、鄭裕彤(新世界発展集団)、呉光正(会徳豊集団、九龍倉集団)、ユダヤ系カドリー(中電控股集団、大酒店集団)の6大家族に加え、その周辺の新旧20家族ほど――総計で30にも満たない資産家族に限られてしまう。彼ら一握りの家族が政府払い下げの「地産」を押さえ、それを元手に香港の「覇権」を握るというカラクリの「地産覇権」である。まさに19世紀末から20世紀前半、官僚と商人が手を組んで金儲けに猛威を振るい、中国に腐敗と貧困と弱体化をもたらした大きな要因である「官商勾結」(政官と実業家との癒着)の構図といっていいだろう。
「強権貪権不知足」
このような巨大企業集団の振る舞いを形容するなら、「強権貪権不知足(強権強欲、足るを知らず)」ともいえる。彼らは不動産開発で手にした莫大な資金を、金融・流通・港湾・海運・輸送・製造・衛星・通信・航空・IT・観光・メディア・農業・電気・ガス・バス・地下鉄・路面電車・フェリーなど、儲かると踏んだビジネスに惜しげもなく注ぎ込む。富が富を生み、富は権力を引き寄せる。
競争を排除した各種ビジネスの命脈を掌握することを通じて、香港全体の市民が必要とする商品とサービスの価格と市場を有効裡に操作しているともいえる。おそらく現在の香港で朝起きてから寝るまで、いや睡眠中も、これら大企業集団が提供するサービスと無関係に生活することはできないだろう。
確かに英国植民地時代も「官商勾結」の構図は見られたが、それが野放図に巨大化するのは香港返還が具体的政治日程に上り始めた80年代後半以降のことである。その要因を香港返還に関する中英協議の欠陥に求める声も香港の一部から聞かれるが、やはり30に満たない家族による北京との"関係"が生み出す怒濤のような資金力を前にしては、学生らの「民主化」を望む声は虚しく感じられてくる。
香港左派の代表的活動家で知られる區龍宇は近著『台頭する中国 その強靭性と脆弱性』(つげ書房新社 2014年)に、「独立を達成したとしても、それは同民族の権力エリートが貧しい同胞を抑圧搾取する優先権を獲得したにすぎないのであり、抑圧と搾取の制度は依然として変わらないままである」と記す。左派特有の用語が溢れてはいるが、現に道路に座り込んでいる学生らが望むような「民主化」が達成されたとしても、香港経済の根幹である「地産覇権」構造が劇的に変化するとも思えない。
新しい局面に突入するか?
1967年5月、折から中国で起こっていた文化大革命に刺激された香港左派は、英国植民地政庁を相手に「民主化」を求めて街頭行動に出た。香港暴動である。植民地当局が断固たる態度で臨んだことで、同年末までには混乱は収束に向かった。同じ「民主化」ながら、67年のそれは北京の意に沿おうとしたものであり、47年後の2014年のそれは北京に逆らおうというものだ。香港をめぐる国際環境の違いといえばそれまでだろうが、やはり「民主化」が持つ複雑な内実に思い至る。
世界各地で起こる「民主化」の動きが時に空騒ぎに終わるだけではなく、「民主化のパラドクス」とでも表現するしかないようなイビツな独裁体制を誘因することもある。
今回の香港の「民主化」の帰趨は定かではない。だが、現に道路に座っている学生らが香港経済の「地産覇権」に言及するようになった時、おそらく香港の「民主化」は新しい局面に突入することになるだろう。彼らの主張の今後に注目しておきたい。
樋泉克夫
愛知大学教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年より現職。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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(2014年10月3日フォーサイトより転載)