本田圭佑のミラン・デビューはなぜ遅れた?(神尾光臣)

ミラノ入りし、あとはデビュー戦を待つばかりとなった本田圭佑。だが、当初は6日にデビューするとの報道もあったが、一週間遅れることになった。手厚い歓迎から考えれば、すぐにデビューしてもおかしくないのだが、試合出場が遅れた要因は何だったのだろうか?
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ミラノ入りし、あとはデビュー戦を待つばかりとなった本田圭佑。だが、当初は6日にデビューするとの報道もあったが、一週間遅れることになった。手厚い歓迎から考えれば、すぐにデビューしてもおかしくないのだが、試合出場が遅れた要因は何だったのだろうか?

■6日デビューとの報道もあったが...

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 4日、ついにイタリアはミラノに姿を現した本田圭佑。翌日にはメディカルチェック、そしてチームメイトにアレグリ監督、ガッリアーニ副会長らへの挨拶も終えた。

 ロシアでのシーズン終了後、日本でも体を動かしてコンディションを作り込み、4日の夜に到着した後は走ることも願い出たという。そうした姿勢はクラブ関係者を通してアレグリ監督の耳にも入っていたようで、まだ本田に会う前の5日の記者会見で「やる気を感じる。こういう気概があればチームにも早く溶け込める」と語っていた。

 もっとも、折角選手本人が体を作り上げてきたのであれば、もう少し前からイタリアに呼び寄せて、6日のアタランタ戦からベンチに入れる位のことは出来たはずではないのかという願望も生まれてしまう。

 一部報道では「本田はアタランタ戦にデビューする」という情報もあったが、ただこれは制度上無理な話だった。ガッリアーニ副会長以下ミランの関係者は、当初から「6日のデビューは難しいだろう」という見方をしていた。

 ならば、制度上何が本田の早期到着を阻んだのか。そしてデビューはおそらく12日のサッスオーロ戦と見られているが、本当にそうなるのか。この辺りの事情を紐解き、真のXデーに迫る事にしたい。

■ メディカルチェック前はランニングも禁止

 まず本田の早期到着と選手登録だが、これは1月3日になるまで不可能だった。この日は、イタリアのレガ・セリエAにおける冬季の移籍登録の解禁日。契約書が認可され、就労ビザの取得が可能になるのもそこからになる。イタリアへの渡航も、ビザ発給を待たなければならなかった。

 ただ過去の日本人選手は、ビザ発給の前にイタリアへ一度渡って練習に参加し、労働許可がおりてビザ取得が可能になった状態で一度帰国している。しかしそれも全てのケースが夏移籍で、シーズン開幕までにたっぷり時間があったからこそ可能になっていたに過ぎない。

 本田の前所属先であるCSKAモスクワの契約は12月31日まであったため、それまでの間は練習へ参加させるわけにもいかない。この辺りの条件を全て考慮すれば、渡航はビザ発給を待つというプロセスに落ち着くのも十分納得のいくことだった。

 従って、メディカルチェックの実施もミラノに到着した5日以降となった。肺活量や筋耐性など、さまざまな項目のテストを通して、選手が競技に耐え得る体であるかどうかを細かくチェック。

 サッカーに限らず、イタリアのスポーツ選手登録には厳しい検査が義務づけられており、もし不備のままで練習や試合に参加させた場合、当該のクラブにかなり重いペナルティが科せられる場合もある。

 到着後、本田がランニングを希望したところクラブに止められたことが明らかになったが、「メディカルチェックが済んでいないから(ガッリアーニ副会長)」という理由によるものだ。

■ 移籍に必要な「国際移籍証明書」

 メディカルチェックの結果によっては移籍が反故になることもあるが、しかしそれも無事にクリア。そしてこれをもって、ミランは本田の選手登録を完了させた。今回の契約手続きを担当したクラブ関係者に尋ねたところ、「制度的には6日の時点でアタランタ戦の試合登録が可能な状態になっていた」という。

 ちなみに移籍登録には、国際移籍証明書というもう一つの難関がある。移籍が海外をまたぐ場合、前所属先のクラブが属する国のサッカー協会(本田の場合は当然ロシア)から、次にプレイする国のサッカー協会(同イタリア)に「選手の登録を移すことを許可する」という証明書を発行してもらわなければならない。

 当該の国のサッカー協会の腰が重かったり、あるいはクラブ同士がいがみ合ってたりするとこの発行も滞るのだが、今回の場合はこれも完了。CSKAモスクワ側の感情を害したことで夏の移籍が破断した経緯を思えば、仲介と手配にあたったガンディーニ運営部長以下スタッフの感慨もひとしおだろう。

 実際彼は「ケイスケを我われのもとに連れてくることが出来て本当に良かった」と語っている。

 あとはアレグリ監督が、本田のコンディションをどう判断するか、もはやそれ次第。12日のサッスオーロ戦でのデビューは、確実になったと見て良いだろう。

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