注目される在宅ワーク
働き方改革により、在宅ワークへの注目が高まっている。在宅ワーカーの中には、子どもの世話をしながら仕事をしている人も。
そういう人達はどういう思いで、子育てと仕事に臨んでいるのか? またそんな親を子どもは、どんな思いで見つめているのだろう?
いわさきちひろも在宅ワーママだった
ちひろ美術館・東京では、2017年3月1日(水)から5月14日(日)、『ちひろと世界の絵本画家コレクション わたしのアンデルセン』と『デンマークの心 イブ・スパング・オルセンの絵本』という企画展を開催。
本記事執筆者の枇谷がデンマーク語の翻訳者で、オルセンの絵本の翻訳を手がけた縁で、美術館から特別に展示会内の撮影と写真掲載の許可をいただけた。
今回、ちひろ美術館で観た展示に、画家いわさきちひろの在宅ワーママとしての姿を垣間見ることができた。
原稿料を約束した日にもらえず、値段も相手の言いなりだった下積み時代
いわさきちひろは1918年生まれ。1939年、20歳の時親の選んだ男性と結婚させられるが、夫が婿養子となった2年後に自殺。
バツイチとなったちひろは終戦の翌年の1946年、疎開先の長野から上京。新聞社に勤めながら、赤松俊子(丸木俊)氏に師事し絵を勉強。
いとこの中村澄子さんは、それから少しした頃のちひろの様子をこう語っている。
「『働く夫人』の表紙の絵をかいていた頃は、新聞社はやめていたようでした。まだ名がうれていないので、値段も相手のいうなりになって安く、約束した日に原稿料をもらえず、苦労していました」(『ラブレター』いわさきちひろ、講談社より)
絵で身をたてようという強い意志
1949年に7つ年下の松本善明さんと知り合い、恋したちひろは、いとこの中村さんに、「いいわ、もしこの結婚に失敗しても、私は絵で身をたてるわ」と自分に言い聞かせるようにつぶやいていたようだ(『ラブレター』より)。
子を持ちながら仕事する親の切なさ
翌年の1950年に松本さんと再婚した後、ご子息の猛さんが生まれてからも、絵で食べていくという強い意志を持ち続けたちひろ。ちひろ美術館の1階の展示では、こんな手記を読むことができた。
「結婚のことも、まして自分のもつ子どものことなど、考えてもみなかった。それが三十すぎてふと気がかわって、結婚し、あっというまにこどもができた。
うしおのように流れ出す愛情をどうしようもなくて、もたもたしているうちに、住居やしごとの関係で、生まれて一ヶ月半の子を故郷の母に託さなければならなくなった。
切ない気持の連続だったこのおかあさんは、満一年になってもどってきた子どもを、ひとりで別室に寝かせることはどうもできなかった。
最愛のひとり息子は、おかあさんのでき愛の犠牲になって、この四月、学校にいくというのに、どうしてもひとりで眠れなくなってしまった。
母親が徹夜でしごとをする晩は、息子はそのしごと場の板の間にふとんをしいて、母のきもののすそにちょっとふれながら眠る。"ママのおしごと、今夜もたいへんね"といいながら・・・・・・。
私はその安らかな寝顔をみると、ふと涙ぐみたくなる。」(一九五八年 エッセイ『子どもの夢』より)
「小さいときは抱いたりおぶったりしながら仕事で大変でした。置いたはずの絵の具がない――と気づいた時には、顔じゅう黄色にして絵の具をなめていたの。
絵の具には毒がはいっているかと思って、まっ青で病院にとんでいったこともありました。」(一九七二年 インタビュー『素朴だけど大切なものを描きたい』より)
またちひろは忙しい仕事と子育ての両立について、こう書いている。
「私は時間的には手がかけられなかったんです。だけど気持はいっぱいあった」(『ラブレター』より)
子どもがそばにいる喜び
展示では、こんな文章も紹介されていた。
「一日のうちたいてい二回、私のこころにちょっとした温かいしあわせな気持ちがよぎる。コツコツと、小さな足音と、大きな足音が、それぞれ私の仕事場の前をとおって玄関にむかうときだ。
机にむかっている私は、いそいそと立ちあがり玄関のドアーをあける。第一回目はおひる少し過ぎ、小さい足音の小学一年生、一人息子のおかえりだ。そのひとえのつぶらな瞳が、やっとわが家に安着だ。
第二回の大きな足音は主人だが、それは時間がきまっていない。夕食をすませ、子どもを寝かせ、まずは机にむかって待っている。仕事をしているような、していないような、不安定な不思議な気持。
そして一日のおわりに近く、そのなつかしい大きなコツコツが私の耳にきこえてくる。」(一九五八年 エッセイ『二つの足音』より)
世の中では子育ての大変な面が強調されがちだが、ちひろにとって子どもは愛おしくて、愉しくて、喜びをもたらしてくれる存在だった。子どもを愛したちひろだから、その姿をあんなにも生き生きと愛らしく描くことができたのだろう。
童心を忘れない
猛さんは著書の中で、少年時代、木登りして遊んでいると、母ちひろがやって来て、一緒になって木に登ったことや、仕事に出かける父を母と一緒に見送りに行った後、道端の花を見つけたり、四つ葉のクローバーを探したりしながら家に帰ったことを、著書『母ちひろのぬくもり』(松本猛、講談社)の中で、愛おしそうに語っている。
大事な人間関係を切っていくなかでは、子どもの絵は描けないんじゃないか
展示には、こんな言葉もあった。
「独身だったら気楽で、絵もバンバン描けるだろうと考えられるけど、とんでもないですよ。
夫がいて子どもがいて、私と主人の両方の母がいて、私が胃の具合が悪くなって仕事をしていても、人間の感覚のバランスがとれているんです。そのなかで絵が生まれる。
大事な人間関係を切っていくなかでは、特に子どもの絵は描けないんじゃないかと思います。」(一九七二年 対談『子どもを描きつづけて』より)
親たちの生き方が子どもに反映される
ちひろは彼女の手記や対談を集めた書籍『ラブレター』の中で、
「母に預けたとき、二歳ぐらいだったので顔を忘れかけたときの私の悲しさ。子どもは忘れているわけじゃない、すぐもどりますが、そういうことが仕事に追いまくられている母親の悲しさですね。
でも大まかに親たちの生き方が絶対に子どもに反映されると思っていました」
「小さいときは私の絵のことはわからないけど、いまはとても親の描いている絵が好きですね。芸大に行っているので、いくらか関連があるから、いろいろなことを言えます」と述べている。
では、ご子息の猛さんは、働く母ちひろを傍らでどんな思いで見つめていたのだろう?
『母ちひろのぬくもり』(松本猛、講談社)の中で猛さんは、高校生の時、母と打ち合わせをしていた絵本編集者から、「君ならどうする?」と意見を求められ、一人前にあつかわれたような気がしてうれしくなって、絵本に一段と興味を持つようになったと書いている。
猛さんはその後、東京芸術大学で芸術学を学び、ちひろ美術館を設立。現在は、絵本、美術評論家、作家、絵本学会会長、ちひろ美術館常任顧問などとして活躍。今回の展覧会でも母ちひろの作品についてギャラリー・トークをした。
親子が互いを思う気持ちが伝わってきて、胸が熱くなる。
子どもがかわいそう、という声や、もっと子どもといたいという思いと、でも仕事をしなくては、働きたいという思いのせめぎ合いで苦しむ人もいるようだが、迷ったり悩んだりすることで状況がよくなるとは限らない。
経済状況、人生観、家庭の事情は人それぞれ。男性であろうと、女性であろうと自分の生き方を自ら選べる世の中であってほしい。
次回記事では同時開催中の『デンマークの心 イブ・スパング・オルセンの絵本』に見る、デンマークの在宅ワーパパの姿について書きたいと思っている。
いわさきちひろは、アンデルセンの世界に魅了され、1966年に1ヶ月余り、アンデルセンの故郷デンマークのオーデンセを訪れ、スケッチ旅行をした。そのデンマークの代表的な画家、絵本作家がイブ・スパング・オルセンである。
『ちひろと世界の絵本画家コレクション わたしのアンデルセン』『デンマークの心 イブ・スパング・オルセンの絵本』どちらにも子ども達の姿が非常に生き生きと描かれている。
ぜひちひろ美術館・東京に足を運んで欲しい。展示を観ることで、子どもというのが面白くて生命力に満ち溢れていて、かわいらしい存在だということを再認識できるだろう。
また子育てというものが一層楽しいものに思えてくることだろう。
子どもを愛したいわさきちひろの美術館らしく、『こどものへや』も用意されていて、子ども連れの人にも嬉しい。
車で7分ほどの距離に石神井公園もあり、スワンボートに乗ったり、散歩をしたり、遊具で遊んだりもできる。
私もちひろ美術館にドキドキしながら子連れで行ったが、ちひろ美術館の職員の子どもを見つめる視線は、ちひろが子どもを見つめるまなざしと同じく、とても温かだった。