挿絵を担当するイラストレーターと、原作者の小説家の間で意見がぶつかり合うことはよくあること。その事情は江戸時代でも同じだったようです。
絵師の葛飾北斎と、「南総里見八犬伝」で知られる小説家の曲亭馬琴の知られざる交流をユーモラスに描いた3ページ漫画が、ネット上で話題を集めています。
描いたのは「女子漫画編集者と蔦屋さん」( 一迅社)を手がける漫画家の道雪葵さん。5月7日に「二人の史実エピソードで一番好きなんです」とTwitterに投稿しました。わずか2日間で、1万2000回以上もリツイートされています。
■勝手に狐の絵を加えたことも
北斎は、「椿説弓張月」「新編水滸画伝」などの馬琴の小説の挿絵を手がけました。1807年の春から夏にかけて馬琴の家に同居して作業をしていたほどです。
しかし、北斎は馬琴の指示を守らないことが多く、人物の配置を逆にしたり、勝手に背景に狐を加えるなどして馬琴が激怒した事件もあったそうです。
岩波書店版の「南総里見八犬伝」第九巻の解説で、小池藤五郎さんは以下のように書いてます。
凝り性で自信が強く覇気に富んだ北斎は、馬琴の小うるさい注文や要求には従わず、画家として自分の絵として画(えが)いた。
馬琴の下絵に右方に置かれた人物を、絵の具合によって、勝手に左に画(えが)いた北斎には、さすがの馬琴も手を焼き、北斎に画(えが)かせる場合には、人物を是非とも右方に画(えが)かせようとする時には、下絵では逆に左方に画(えが)いて置けば希望した絵が出来ることがわかり、そんな方法もとった。
■「調べれば調べるほど親近感が湧きます」
漫画家の道雪葵さんはなぜ、このエピソードを漫画にしようと思ったでしょうか。メールで取材しました。
----北斎と馬琴の同居中のエピソードはどこで知りましたか?
たしか馬琴宅に北斎が居候していた形だったと思うのですが、これはネットで資料を探していた時に知った話です。あとは北斎を褒めている手紙などは馬琴の書簡集で読みました。
----このエピソードをマンガにした理由は?
連載で消化しきれなかったエピソードを描いておきたかったのと、歴史上偉大な絵師も作家も、私生活はめちゃくちゃだったりするのでもっといろんな人に知ってほしいと思ったからです。調べれば調べるほど親近感が湧きます。他にも愉快な作家や絵師はたくさんいるので、できれば連載で続きを描きたいです。
----北斎と馬琴という江戸時代を代表する絵師と小説家が同居していたことをどう思いますか?
北斎は生涯で90回以上も引越ししているので、馬琴宅にもお邪魔するかもなと妙に納得しました。 ただ、短期間で同居解消したみたいなので、やはり喧嘩ばかりしていたのかもしれません。