増田寛也氏、どんな人? 岩手県知事や総務相を歴任、都知事選の有力候補に浮上

2007年8月からは目玉人事の一人として第1次安倍改造内閣で総務大臣や内閣府特命担当大臣(地方分権改革)に抜擢されました。

7月14日告示の東京都知事選挙をめぐり、都議会自民党が元総務相で岩手県知事を務めた増田寛也氏の擁立を目指すと報じられ、増田氏側もテレビ出演で前向きなコメントをした。増田氏はどんな人なのだろうか?

本人の公式サイトや、過去の朝日新聞の報道によると、以下のような経歴だという。

■東大法学部から建設省へ

増田氏は1951年、東京都生まれの64歳。父は参院議員(岩手選挙区)を3期務めた故・増田盛氏。東京大学法学部を卒業後、1977年に建設省(現国土交通省)に入省し千葉県警などへの出向経験もある。

■最初の岩手県知事選は小沢氏の全面支援で自民に圧勝

1995年に行われた岩手県知事選で初当選、当時43歳で、最年少の現職知事として話題になった。選挙戦では、新進・公明の推薦を受けたほか、当時新進党幹事長だった小沢一郎氏の全面応援を受けて、自民が推薦する前副知事の候補を大差で破った。

■2期目以降は党派色が徐々に消え「改革派」知事に

1999年の2期目の選挙は共産を除く各党相乗り推薦、2003年の3期目は、どの党の推薦も受けない「手作り」選挙で当選を果たし、3期12年間、岩手県知事を務めた。

2003年4月の知事選では、ローカル・マニフェストを掲げて選挙戦に臨んだ。公共事業費の3割削減や産業育成を掲げるなど、三重県の元北川正恭知事らと並んで、地方分権や自立する地方による改革を目指す「改革派知事」として知られた。

■知事退任後は「東京一極集中」解消目指す

2007年に知事を任期満了で退任。2007年8月からは目玉人事の一人として第1次安倍改造内閣で総務大臣や内閣府特命担当大臣(地方分権改革)に抜擢。続く福田康夫政権下でも引き続き両大臣を務めた。2009年の退任後は野村総合研究所顧問や東京大学公共政策大学院客員教授を務めている。

2011年5月に発足し、座長を務める民間研究機関「日本創生会議」では、東京など都市圏への若者流出と若年女性の減少が進めば、2040年には全国896の市区町村が「消滅可能性都市」になるとの試算を2014年に発表するなど「東京一極集中」を批判し、地方創生の旗手として活動している。

■趣味は...乗馬!

読書家。休日には遠出して、マウンテンバイクや乗馬で体を動かすスポーツマンでもある。朴訥とした「政治家らしくない」話し方が好まれ、岩手県知事就任中は高い支持率を誇っていた。

関連記事