「原爆投下から数カ月後の広島」カラー映像(動画)

広島といえば有名なキノコ雲や徹底的な破壊の画像が付き物だが、アメリカ国立公文書記録管理局が公開した珍しいカラー映像では、米国が広島に原爆を投下してからわずか7カ月後の広島市民の回復力が示されている。
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広島といえば有名なキノコ雲や徹底的な破壊の画像が付き物だが、アメリカ国立公文書記録管理局が公開した珍しいカラー映像では、米国が広島に原爆を投下してからわずか7カ月後の広島市民の回復力が示されている。

米国国防総省の依頼によって1946年春(3月20日から4月7日)に制作されたこの記録映像には、史上最大のひとつに数えられる壊滅的な攻撃から立ち直る過程における広島の非常に興味深い姿を見ることができる。

『Slate』の記事によると、日本人カメラマンの三村明(ハリー・三村)氏が、米軍映画撮影隊のダニエル・マクガバン大佐の要請により、この記録映像を撮影したという。

三村氏は広島湾で生まれたが、中学を卒業後米国に移住。映画制作を学び、ハリウッドで短期間働いた後、1934年に日本に戻り、東宝のカメラマンとして活躍していたと『Japan Times』の記事には述べられている。

三村氏は1946年の3月と4月に、広島と長崎を含む20を超える日本の市町村を回り、原爆による破壊のドキュメンタリーを撮影した。Japan Timesの記事によると、三村氏は1946年に次のように記している。

「私は、この耐えられないほど苦しい撮影の仕事を担当させられた。両国間の戦争が避けられないものだったとしても、なぜ、罪のない市民たちがこれほどの苦しみを経験しなければならなかったのか、と思う。(中略)しかしカメラマンは、自分が撮影したすべてのものに向き合わなければならない。たとえそれがどれだけ恐ろしいものであっても。この映画記録は、いつの日か、何らかの形で何かの目的を果たすことになると私は思った」

Slateによると、広島を撮影した映像は、何年もの間機密扱いになっていたという。「過度の不安をかきたてる」ことを米国政府が恐れたためだ。しかしこの無声映画には、破壊された自分たちの街を修復し、日常的な作業を行う市民たちの姿も示されており、最も壊滅的な破壊の中でさえ、生活は前進を続けることを証明している。

以下のギャラリーでは、米国が1946年に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)による研究用診療所で撮影された画像等を紹介している。ABCCは被曝影響の研究調査が目的の機関であり、被爆者の治療にあたることはなかった。

[Eline Gordts(English) 日本語版:平井眞弓、合原弘子/ガリレオ]

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