2万6000人が「広島」を訪ねた「世界スカウトジャンボリー」

山口県のきらら浜(山口市阿知須)で7月28日から8月8日まで開催されていた「第23回世界スカウトジャンボリー」が、成功裏に閉幕した。
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山口県のきらら浜(山口市阿知須)で7月28日から8月8日まで開催されていた「第23回世界スカウトジャンボリー」が、成功裏に閉幕した。世界152カ国から3万3838人のスカウト・リーダーが集まった世界最大級の国際キャンプ大会で、日本での開催は1971年に富士山麓の朝霧高原で行われた第13回大会以来44年ぶり。政府は2020年のオリンピックに向けた国際イベントの第1弾として、日本を世界にアピールする場と位置付けた。筆者もボランティアとして大会運営に参加した。現場リポートをお届けする。

「広島」「長崎」も訪問

今回のジャンボリーで最大の「意義」は、世界152カ国の2万6000人を超す青少年が実際に広島を訪問したことだろう。大会期間中、山口の会場からバスに分乗して交代で広島を訪れ、平和記念公園や原爆資料館を訪問。原爆の悲惨さや平和の尊さを学ぶ「広島ピース」と名付けられたプログラムが実施されたのだ。

また、これとは別に、広島の平和記念式典に151カ国の代表スカウトが会場から参列。長崎の「世界こども平和会議」にも141カ国の代表スカウトが参加した。終戦70年の節目の年とあって、広島の平和記念式典には過去最多の100カ国と欧州連合(EU)の代表が参列したと報道されたが、実は、これを上回る151カ国の青少年が参列していたのだ。今年の広島平和記念式典としては間違いなく、最多の国籍の人々が参列した式典になったのである。

スカウト運動は、国際交流による相互理解を通じて世界の恒久平和を実現することを1つの大きな目的としている。将来、それぞれの国で活躍する青少年たちが、実際に広島を訪れて、平和の大切さを学んだ意味は大きいに違いない。44年前のジャンボリーが日本の高度経済成長を世界にアピールする場だったとすれば、今回は唯一の被爆国として平和国家日本をアピールする場になったと言えるだろう。

広島と長崎を訪ねたスカウトたちは、折り鶴で作った千羽鶴を持参。原爆の子の像などに奉納した。大会前、全国47都道府県のイオンの商業施設で、週末を利用した「おりづるキャラバン」が実施された。世界スカウトジャンボリーの開催をアピールすると同時に、一般の人たちに折り鶴を折ってもらう活動を展開したのだ。さらに、ジャンボリー会場内でも折り鶴の作成を呼びかけ、多くのスカウトや参観者が鶴を折った。その鶴で千羽鶴を作成したのだ。

広島への訪問は、世界の青少年たちに強い印象を残したようだ。「戦争の現実」を知り、大きな衝撃を受けた子どもたちが少なくなかった。

地域交流イベントの「実験の場」

もう1つの成果が、地域社会との交流プログラムだろう。会場でキャンプ生活を送り、参加者同士が交流するだけでなく、地元の市町村に出かけて積極的に交流する「コミュニティ」と名付けたプログラムが展開されたのだ。山口県の全面的な協力で、地域の学校などを訪ね、郷土芸能や日本文化に触れるプログラムを地元の子供たちと共に体験した。一緒に太鼓をたたいたり、大きな筆で書道をしたり、期間中、600あまりのコースが設けられた。

実は、こうした文化交流イベントは、2020年のオリンピックでも予定されている。オリンピックは近年、単にスポーツの祭典としてではなく、国際交流を深める場と位置づけられている。前回2012年のロンドン・オリンピックでは18万件の文化イベントが実施された。2016年東京オリンピックの際にも、日本全国で20万件の交流イベントを実施する方向が打ち出されている。規模は小さいものの、今回のジャンボリーは、そうした地域交流イベントの実験の場でもあったのだ。

6億円の不足金

今回のジャンボリーの開催を巡って最大の課題は資金繰りだった。総予算は38億円。参加者が支払う「参加費」は1人あたり10万円を超え、それで7割に当たる27億円を集めたが、さらに11億円が不足した。これをどう賄うかが焦点だった。

44年前の1971年は、日本が高度経済成長を謳歌していた時期。ボーイスカウト運動も急速に拡大しており、国や経済界の支援もあって、日本で初めての世界ジャンボリーは成功を収めた。

現在の状況はそれとは一変している。1983年に33万人でピークを打った「ボーイスカウト日本連盟」の加盟員数は、2014年3月末で12万7000人あまりとほぼ6割減。連盟の財政は厳しい。一方で、国も財政危機に瀕しているほか、経済界も往時と比べて結束力に乏しい。

そんな中でも、国は最大限の援助を行った。今回の参加者3万4000人弱のうち、約2万7000人が外国人。「クール・ジャパン」などで日本を海外に積極的に売り出すことを柱にしている国の政策に合致したこともあり、文部科学省の補助金や「子どもゆめ基金」の助成などで5億円が給付された。開催地が山口県で、安倍晋三首相のおひざ元ということもあった。地元山口県なども会場整備などで全面的にバックアップした。

だが、それでも6億円近くが足りない。連盟では、大会の2年以上前から資金繰りに奔走した。当初、企業からの寄付を期待した。経団連などを通じていわゆる「奉加帳」も回したが、なかなか目標は達成できなかったという。企業からしてみれば、青少年活動がボーイスカウトの専売特許だった時代はとっくに過ぎ去り、支援を求めてくる団体は枚挙にいとまがない。そんな中でボーイスカウトだけを優遇できないという事情もあった。

そんな中で、初めての試みとして実施されたのが、企業スポンサー制だった。国際スポーツ団体などが世界大会を開く際に「ゴールデン・スポンサー」などを指名する仕組みをまねることにしたのだ。

44社がスポンサーに

今回の世界スカウトジャンボリーの会場は、これまで日本で4年ごとに行われてきた日本ジャンボリーの風景とは随所で異なった。指導者用食堂の壁や駐車場のフェンスなど、会場内の人が集まる所には「プラチナ・スポンサー」になった4社のロゴが掲げられた。大会期間中11回発行されたジャンボリー新聞『Wa和』にもスポンサーのロゴが掲載された。

プラチナ・スポンサーはイオン、キヤノン、ヤクルト本社、ユニクロの4社。ダイヤモンド・スポンサーはミズノ、ジャイアント・マニュファクチャリング、モンベルの3社、ゴールデン・スポンサーはヤマト運輸など6社といった具合だ。合計で44社がスポンサーに名前を連ねた。スポンサーのカテゴリー分けは、寄付金額や援助物資の相当額で決まる仕組みだった。金銭の寄付ではなく、自社製品を大量に寄付した企業も多かった。企業側からすれば、152カ国から集まった青少年に自社製品や自社ブランドをアピールする格好の機会と捉えることも可能で、金銭での寄付よりは応じやすい面もあった。

参加したスカウトたちに最もアピールしたのがユニクロ。柳井正会長兼社長が、ボーイスカウト日本連盟理事長の奥島孝康氏(元早稲田大学総長)と新聞紙上で対談した際、ジャンボリーへの援助を即断。参加者全員にユニクロ製ポロシャツの配布を決めた。その数3万5000着。左肩に大会のロゴが入り、左胸にはユニクロのマークが付いた特製だ。大会終了後、全国各地のホームステイに散らばっていった参加スカウトの多くが、このユニクロ・ポロシャツを着ていた。

イオンは参加者が大会中に身に着けたネッカチーフを寄贈した。同社が社会貢献活動として力を入れているフェアトレードの一環として作られたコットンを利用したもので、大会の必需品だけに、連盟に大いに感謝された。

もちろん、こうしたスポンサーによって企業側にも大きなメリットがあった。企業イメージの向上に結びつくほか、具体的な製品やブランドのアピールにもつながった。

ジャンボリーに向けてスポンサー企業の開拓を行ってきたボーイスカウト日本連盟企業連携本部の井上義雄さんは、「多くの企業にご支援をいただけたことに感謝したい。今回の経験から、もっと私たちの活動をアピールしていけば、さらに企業の支援をいただけると痛感した」と語る。スポンサーを募る試みはひとまず成功だったということのようだ。だが、最終的な決算で黒字となるか赤字となるかはまだ分からないという。

磯山友幸

1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト。著書に『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)などがある。

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(2015年8月16日フォーサイトより転載)