戦後70年目企画 8月6日の広島を歩く-前編-

毎年8月6日は、広島市の平和記念公園で式典が行なわれる。しかし、報道は式典の姿しか映していない印象がある。今回は私が1度だけ行った「8月6日の広島」をお伝えする。
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毎年8月6日は、広島市の平和記念公園で式典が行なわれる。しかし、報道は式典の姿しか映していない印象がある。今回は私が1度だけ行った「8月6日の広島」をお伝えする。

■緊張が走る

2006年8月6日、6時15分、広島のインターネットカフェで目覚める。予定より15分早い起床なので、"なぁーんだ、あと15分あるじゃないか"という気持ちで再び眠りについたら、時刻は7時35分だった。

初のインターネットカフェ寝過ごしという大不覚。ここ数日のハードワークがたたり、「8月6日」という大切な日に寝坊とは情けない。荷物の整理をしていたので、すぐにインターネットカフェを出られたのは、"不幸中のさいわい"だった。

広島駅のコインロッカーに荷物を入れて、ザックという身軽な姿へ。広島電鉄の路面電車のりばは長蛇の列だ。1両運転の場合、後ろ乗り前降りのワンマンだが、全部の側扉(乗客が乗り降りするドア)を開けている。私のような"お寝坊さん"かどうかは知らないが、大勢の乗客を見ていると、どこか救われた気分になる。

路面電車の乗客は、小中学生や外国人観光客が多く、世界的な関心を集めている。「8月6日」でなければ、前部の側扉を開けるほど多く乗るはずがない。

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6号線江波行きに乗る。車窓から無数の赤色灯が見え、厳戒態勢を実感すると同時に、「8月15日の靖国神社周辺」を思い出す。

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平和記念公園の最寄り電停は、広島電鉄の原爆ドーム前。

原爆ドーム前に到着。乗客の大半はここで降りる。いつもは何気なく降りているが、この日は緊張する。

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「8月6日」ならではの光景。

原爆ドーム前電停から原爆ドームへの横断歩道を渡ると、男性は大紀元時報を道ゆく人に配っていた。原爆ドーム付近では、多くの人々が青いビニールシートを敷いて、あぐらをかいていた(一部の人は立ちんぼ)。手には団扇太鼓(うちわだいこ)を持っている。

「ナムギョーホー、レンゲェーキョー」

を繰り返したあと、なぜか寝込む。平和の祈りを全身全霊でやりきった感じだ。

これは『平和祈念行脚(あんぎゃ)』で、2006年4月28日に千葉県清澄山を出発し、東京を経由して、この日、広島に乗り込んだ。3日後には長崎にも渡り、平和な世の中が未来永劫続くことを願うはずだ。

日本国憲法第9条を守ろう

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『原爆殉職者慰霊式』。原爆ドームの柵の外に建設省(内務省)の石碑が見える。

原爆ドーム付近では国土交通省が『原爆殉職者慰霊式』を行なっていた。内務省の時代から独自に行なわれている式典である。私が訪れた時には1分間の黙祷(もくとう)をして、戦没者の御冥福を祈っていた。時刻は世界で初めて原爆(「原子爆弾」の略)が落とされた8時15分だ。

原爆ドーム周辺では、高校生平和大使が「憲法9条を守ろう」という、署名活動を行なっていた。核兵器の廃絶と平和な世界の憲法を目指すことが広島県民の願いである。署名1万人を目標に活動しており、私はこれに賛同し、署名する。

この署名活動は長崎の市民団体が1998年に設立したもので、高校生平和大使を国連に派遣し、核兵器の絶滅と世界完全平和の実現を求めて活動している。

いつしか高校生の自主的な平和活動が生まれ、『高校生1万人署名運動』が始まった。以後、毎年欠かさず行なわれ、スイスのジュネーブにある国連欧州本部に提出しているという。なお、署名は誰でもできる。

この2か月後(2006年10月)、『高校生1万人署名運動』実行委員会や、平和を愛し、それを望む人々の希望を打ち砕くかの如く、北朝鮮が核兵器の実験を行ない、世界中が大騒ぎとなった。

現地のニュース番組では「大成功(和訳)」と伝えていた。発射すればどこかの国か、世界191か国すべてが被害を受ける可能性があるだけに、核兵器をなくさなければならない。就任したばかりの安倍晋三総理大臣(当時、第1次政権)は経済制裁を表明した(2014年7月3日、安倍総理大臣は経済制裁の一部解除を発表)。

あれから1年後の2007年6月30日、防衛大臣を務めていた久間章生(きゅうまふみお)が原爆投下に「しょうがない」と発言し、国民の大反感を買った。

この発言は、原爆を落とした本人(90歳をこえたアメリカ人の男)の言葉をそのままそっくり講演の場で発した。原爆により、志半ばにして命を落としてしまった人々が大勢いる。毎年、広島と長崎では原爆の式典を行ない、2度とこのような惨劇が起こらないことを願い、全世界に訴えているのだ。それなのに防衛大臣が心ないことを言うとは、"「人間失格」という名の烙印(らくいん)"を押されてもしょうがない。"日本国憲法9条を変えよう"という気があると吐露(とろ)しているも同然だ。この男は広島か長崎、どちらかの式典に行ったことがあるのか。もし行っていたら、いったい、なんのために行ったのか。

同年7月1日、安倍首相は「厳にあってはならないこと」と苦言を呈した。それは誰だって同じこと。もしかしたら、私がこの記事で書いたことを「失言」「暴言」と思う人もいるだろうが、撤回はしない。撤回いうのは、信念がない証だ。早い話が「軽率」だ。

久間は同日に謝罪したが、時すでに遅し。当時、参議院選挙がせまっていたため、自分の発言をなかったことにして、"今回も自由民主党(自民党)が勝つ"という青写真を描いていたかもしれない。しかし、日本国憲法9条の改正賛成を露呈する言動は、国民の批判を消しゴムや修正液で消せない状態となった(非難していた国会議員は憲法9条改正に反対だと思うが)。

この失言が原因で、同年7月3日に辞意を表明し、広島・長崎両県から式典欠席を求められた。2008年以降、久間は広島・長崎両県の式典に行ったのかは知る由もない。

2014年7月1日には、臨時閣議において日本国憲法第9条の解釈を変更し、必要最小限の範囲で集団的自衛権の行使を認めた。安倍総理大臣は、「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなる」と強調し、国民に理解を求めた。しかし、集団的自衛権の行使は、「一部の日本人が戦争に巻き込まれる」と解釈できる。

この決定に不快感を示す人も多く、「日本国憲法第9条改悪の序章」という見方もできる。当時の人々は、広島市、長崎市、糸満市の平和記念(祈念)公園を「どんな思い」で建設し、「なにを訴えたかった」のか。それを考えると、私は到底賛成できない。

■8月6日は登校日

日本経済新聞によると、広島市教育委員会は2006年7月10日、市立すべての小学校、中学校、養護学校に「8月6日を登校日にする」と通知し、半数がそれを受け入れた。2005年以前は少数の学校が自主的登校日にしていたという。ちなみに長崎市すべての市立学校は、1971年から「8月9日は登校日」である。

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原爆が落とされた日、人々は水を求めて元安川に行った。

さて、原爆ドーム付近を流れる元安川では、『ピースメッセージとうろう流し』の準備が行なわれている。1個600円で、18時から21時まで流す決まりとなっている。今回は残念ながらスケジュールの都合で、『ピースメッセージとうろう流し』を自分の目で見ることができない。

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平和記念公園の外では、デモ行進。「8月6日」に対する思いは人それぞれ。

原爆ドームを抜け、『財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会』のウラ側の道路ではデモ行進。動員学徒碑の後方が爆心地とされている。

私が原爆ドーム及び平和記念公園の地に初めて訪れたのは、1988年5月24日。以降、2001年10月6日、2002年8月3日、2005年9月3日、2006年8月6日に再訪。こんな異様な雰囲気は、「8月6日」でなければ、お目にかかれない。

■炎天下の中で行なわれている『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』

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テレビ局のカメラマンは、カメラの故障を防ぐためなのか、すだれで覆っている。

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平和の灯から炎が消えた時、それは「日本が再び戦争に参加する」と解釈できる。

元安川を渡り、平和記念公園へ。慰霊碑のある中心部では、『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』が行なわれている。通常なら左折できるが、『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』のため、通行止めになっており、係員と警官が立って警備している。平和記念公園内のどこかにあるスピーカーで、『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』の模様が流れ、係員と警官の先にはテレビ局のカメラマンが撮影。平和の灯(ともしび)はいつも以上に燃えている。

小学校6年生女子児童のスピーチが終わったあと、8時32分に小泉純一郎総理大臣(当時。1か月後、安倍晋三にバトンタッチ)、8時35分に藤田雄山(ふじたゆうざん)広島県知事(当時)があいさつ。8時43分に『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』は終了した。この光景はテレビや新聞で目にするおなじみのシーンである。

私が「8月6日の広島」に訪れたのは、全国放送で報道されない部分を見つけ、それを多くの人々に伝えたいという思いがあった。日頃、我々は『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』の映像や画像だけしか目にしないことが多く、実際に現地に行って、肌で感じるべきだと前々から思っていた。

■冷たくて重いおしぼり

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原爆展全国キャラバン隊のノボリ。

私が目についたのは、原爆展全国キャラバン隊である。

原爆展全国キャラバン隊は2004年に結成。劇団はぐるま座の団員で構成され、長周新聞社が後援している。

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原爆に関する記事を展示。外国人にはどう映ったのだろうか。

総力を挙げて集めた戦争の悲しさ、つらさ、怖さを伝える写真の数々や記事に言葉を失う(記事の上段は日本語、下段は英語)。写真ではとても人間とは思えない姿に涙がこぼれそうになる。こんな悲惨な目にあいたい人間なんて1人もいないはずだ。日本国憲法9条改悪に賛成する政治家に見てもらいたい。また、原爆展全国キャラバン隊は峠三吉の詩を取り上げていた。

木陰では、原爆展全国キャラバン隊による『アメリカに謝罪を求める広島アピール』の署名活動が行なわれていた。2006年4月から1年間かけて実施しているもので、原爆を落としたアメリカに謝罪を求めている。その光景を見ると、「足りない場合はコピーしても構いません」という署名用紙のルールが気になった。どうやら"用紙が足りない場合はコピーしてもいい"ということらしい。

署名をしたあと、ベンチに坐り朝食をとる。

突然、3歳ぐらいの女の子がやって来て、ザルにのせた残り1本のおしぼりを私に向けて差し出した。

人の志を無にするのが嫌いな私は右利きなので、右手でおしぼりを受け取ると冷たい。しかも、今までのおしぼりでは1番重い。しぼれば水が流れ落ちるほど。喫茶店等だったら、クレームをつけるお客が多いと思う(喫茶店等は熱いおしぼりをお客に出す)。

このおしぼりは苦楽会による無料サービスで、使ってみると冷くて気持ちいい。普段は手しかふかないのに、この日は顔までふいた。暑いという証で、使用後は特設のテントに返却する。

おしぼりは横長の氷柱(ひょうちゅう)の上にタオルを置く。なぜ水をたっぷりしみ込ませるほど冷たいのかは、あとでわかった。