広島の原爆投下は、日本人が理解しているように世界では受け止められていない。
5月に広島平和公園を訪問したオバマ大統領が「10万人を超える・・・女性や子供」が犠牲になったと演説で語った。聞き流してしまいそうだが、この一節は非常に重要なことだ。
アメリカでは、「原爆は軍事基地を標的に投下された。つまり、市民の犠牲は限りなく避けられた。原爆による死者数は7万人である」。これが米政府の公式見解だった。多くの国民はこのように理解し、後で説明する原爆を賞賛する「原爆神話」を信じている。
日本では当然だと思われている原爆理解(原爆は広島市を=軍事基地ではなく=壊滅させ、14万人の市民が=軍人ではなく=犠牲になった)と、まったく異なることが分かる。原爆を投下した国、投下された国で理解が相反する。オバマ大統領の広島演説の重要性というのは、これまでの米大統領と政府の公式見解が少しではあるが「修正された」という点にある。
さて、原爆理解は日米二種類だけではない。実に多様な理解をされている。国や地域の歴史・戦争史観、日本や米国との外交関係など様々な要因を直接反映したり、また影響を受けたりしながら原爆理解を作り出している。
4種類の原爆理解
世界はどのように原爆を理解しているのだろうか。四つの理解に大別することができる。
1.「救世主」 米政府による神話作りの情報操作が功を奏したもので、「原爆は戦争を終結させ、命を救った救済、救世主である」。
2.「天罰、当然の報い」 侵略戦争を起こした日本にとって原爆による市民の殺害は「当然の報い」、そして、「神による懲罰だ」。
3.「目的は正当であるが、問題のある行為」 戦争終結にはつながったが、市民の犠牲者や被爆者を生み出したため、「目的が必ずしも手段を正当化していないのではないか」。
4.「市民の無差別殺戮、ホロコースト」 これは原爆神話と真っ向から対立するものだ。
この他、「矮小化」(そもそも原爆の被害規模も犠牲者数も特筆すべきものではない)、「現代では意義はない、過去の出来事」、「他人事」などと理解されることがある。ここでは、上記の4種類の原爆理解について、世界各国の新聞報道(社説や論評など)を例に挙げながら、解説をしていく(注1)。
救世主
「原爆は救世主」、「神による救済」という主にアメリカでの原爆理解については、「原爆神話」とは何かを具体的に知っておく必要がある。この神話は、米政府による情報操作、そして、国民が道義的な罪悪感を避けようとして防衛心理的に形成されたものだ。
・原爆は軍事基地を標的に投下され、日本の戦争遂行能力を劇的に破壊した(正当な軍事攻撃)。つまり、市民の犠牲は可能な限り避けられた(人道的な行い)。
・原爆の破壊力が日本の最高戦争指導会議に与えた衝撃によって、徹底抗戦を決めていた日本は敗戦を受け入れた(日本を降伏させた)。戦争終結を半年から1年早めた(戦争終結を劇的に早めた)。
・米軍が計画していた九州、つづく関東への地上戦が回避され、50-100万人のアメリカ兵の命を「救い」、そして、それ以上の日本人の命も「救った」(救世主、救済)。
・そもそも原爆を開発できたことは、神によって選ばれたアメリカだからこそなしえた(アメリカの選民意識)。
原爆神話を作り出した情報操作と神話内容の欺瞞については別の機会に詳しく解説をする。ここでは、いくつか報道の実例を紹介する。まず、『ウオールストリート・ジャーナル』(The Wall Street Journal)の社説である。
トルーマン大統領が使用を決断したファットマンとリトルボーイ。二つの爆弾は「救い」をあらわしている。全てのアメリカ兵にとっての救い、侵攻されれば日本人が処刑しようとしていた何万人の戦争捕虜にとっての救い、ひどい扱いを受けた朝鮮の従軍慰安婦にとっての救い、日本人に奴隷にされていた何百万人ものアジアの人々にとっての救いである。特に、ひどい皮肉ではあるが、原爆投下は日本にとっても救いだった。なぜなら、原爆こそ、戦争終結を巡り分裂していた政府に昭和天皇を介入させ、そして、アメリカによる慈悲深い占領とその後の日本の繁栄をもたらしたからだ。
アメリカの新聞ではないが、カナダの保守新聞『ナショナル・ポスト』(National Post)の記事は、見出しもイラストも原爆神話をそのまま反映している(写真)。
National Post (2005年8月6日)
アメリカ人にとって「救世主」である原爆を投下したB29爆撃機エノラゲイは、当然のごとく神格化される。ワシントン郊外にあるスミソニアン航空宇宙博物館では、巨大展示場の中心にエノラゲイが鎮座し、ショップでは「エノラゲイ壁掛け」が店の中心にすえられて記念品として売られている。2010年当時、220ドル(税別)だった。
ゼロ戦を圧倒するようにスミソニアン航空宇宙博物館に展示されているB29エノラゲイ(上)、ショップで売られているエノラゲイ記念品(下)=撮影・井上泰浩
天罰、当然の報い
「侵略戦争を始めたのは日本であり、原爆は当然の報い」だとする原爆理解は、対日関係を直接反映しているといえる。私の調査した限り、こうした原爆理解が広く公言されるのは、中国と韓国だけだ。
保守的で反日的だとはいえ韓国の『中央日報』が「日本に原爆が投下されたのは神の懲罰だ」とする記事を2013年に掲載したことは、日韓関係の悪化をそのまま映し出している。詳しくは、ハフィントンポストの「核兵器は政治的生き物 韓国紙の『原爆は神による懲罰』」を読んでいただきたい。
「原爆は当然の報い、天罰」と報道で伝えられる際には、「原爆が投下された原因は、日本が侵略戦争を始めた結果である」、「日本が戦争責任を逃れるため、日本人は戦争の被害者であると主張するために原爆を利用している」、「日本は戦争を反省していない」と日本批判が必ずといっていいほど付随している。きわめて反日的解釈といえる。そして、原爆の被害が展示されている広島平和公園・資料館は「まったく納得がいかない」、「日本の侵略行為を反省する場であるべきだ」とまで及ぶ。
正しい目的、疑問のある行為
おそらく、アメリカを含めた世界中どこでも、「目的は正当であるが、市民を無差別に犠牲になったことは許されるのだろうか」と原爆投下を理解している人は一定数いるだろう。市民が犠牲になったことや都市攻撃などについての「疑問」の部分の程度の内容も千差万別であるが、結局は「戦争終結させたので、しかたがなかった」と結論づけられてしまうことが多い。
市民の無差別殺戮、ホロコースト
アメリカでも原爆投下は無差別爆撃によって多くの市民を犠牲にしたと考える国民はいるし、報道もないわけではないが、きわめて少数派だ。しかし、ヨーロッパ英仏独では戦勝国、敗戦国に関わらず、虐殺、戦争犯罪、そして、おそらく最も容赦ない比喩として原爆をホロコーストと同一視することも珍しくない。ここでは、英仏独の3カ国の報道を紹介する。
1990年代まではイギリスでも原爆を正当化する意見が過半数を超えていたが、2000年代以降は逆転している。アメリカの主張する原爆神話は「うそ」であり、「20世紀の戦争犯罪だ」と断言するオピニオンリーダーや新聞論評は珍しくない(注2)。
経済紙の『フィナンシャル・タイムズ』(Financial Times)でさえ「日本の民間人に対して原爆を投下したことは、おそらく人類がこれまで犯した最も卑劣極まりない行為だ」とする記事を掲載している。同じ経済紙でも、米英で相反する原爆理解が伝えられている。
保守系高級紙『タイムズ』(The Times)も、原爆神話を否定する史実をたびたび紹介している。また、生き残った人の凄惨な状況を「皮膚が体から垂れ下がっている人、内臓が飛び出し顔から舌と目玉がぶら下がっている人々で街はいっぱいだった」と生々しい表現で読者に伝えている。こうした原爆描写は、アメリカのメディアではほとんど伝えられることはない。
フランスも原爆投下を「大虐殺」とみなし、原爆被害の凄惨な実態がメディアによって伝えられることが多い。イギリスとの違いは、アメリカに対する痛烈な非難が記事に織り込まれていることだ。例えば、高級紙『ル・モンド』(Le Monde)は「アメリカは原爆の効果を隠しておくため、被爆者はまったく治療を受けることができなかった」、「被爆者の調査のため死体を押収していた」など、原爆投下と被害だけではなく、その後の対応までの非人道性を批判し続けている。
アメリカに対する皮肉をこめた(フランスらしい)非難を象徴しているのが、『ル・モンド』が一面に掲載したイラストだ。アンクルサム(アメリカ人)が日本人に対しこう語っている。「アルカイダの連中がはっきり言っているだろう。どうやって民間人を虐殺するか知っておく必要があるのだ」。
Le Monde 2005年8月6日付1面
ドイツの場合は、英仏と同様に凄惨な実態と非人道性について報道している点に加え、「終末」や「ホロコースト」の例えがされている点が特徴的だ。独主要紙『フランクフルター・アルゲマイネ』(Frankfurter Allgemeine)は「広島はアウシュビッツと結びつけられ・・・」と書くなど、アメリカの報道ではありえない内容が伝えられる。
多様な理解の理由
なぜ、原爆はこうも多様に理解されているのか。
まず、日本が敗戦国だからである。アメリカ政府が全力で取り組んだ検閲や情報操作で原爆理解が形成される中、日本は原爆の実態を伝えることも、原爆神話に対する反論の機会も占領が終わるまでできなかった。ホロコーストのように世界中に博物館・資料館を設置し、組織的な広報活動により統一された事実に基づく理解を作り出せなかったことが決定的だ。
一方、なぜヨーロッパは原爆を否定的に捉えているのか。原爆を投下した当事国ではないこと、冷戦時代にソ連の核兵器の恐怖にさらされた反核意識、そして、特にフランスで顕著な反米意識というものがあるのだろう。中韓についての説明は不要だろう。
原爆は救世主、天罰として奉られる限り、広島、長崎に続く核兵器の使用が正当化されることにつながる。まずは原爆と放射能被害の実相や市民が無差別に殺戮されたこと、そして、原爆神話は欺瞞であることが世界の共通認識になる必要がある。
注
1.この分析は2005年の被爆60周年、2015年の70周年を報じた15カ国計約100紙に基づいている。報道と世論の関係性、この記事で紹介した海外の新聞の出典などについては、特に説明がない限り、以下を参照。
井上泰浩(2006)「世界は『広島』をどう報じたか――原爆投下60周年報道の国際比較検証」『広島国際研究』12巻、103-127。INOUE Yasuhiro & RINNERT Carol. (2007). "Editorial Reflections on Historical/Diplomatic Relations with Japan and the U.S.: International Newspaper Coverage of the 60th Anniversary of the Hiroshima Bombing." Keio Communication Review, v.29, 59-83.
2.たとえば、著名なジャーナリストJohn Pilgerは「原爆投下はとてつもない規模の殺人」、「戦争犯罪」(The Guardian、 2008年8月6日付け)と断罪している。