【参院選】脳性まひで障害の女性とALSの男性が立候補へ。れいわ新選組が擁立。演説文に拍手喝采

「何も知らない私が地域で生きる術(すべ)を身につけるのに35年もかかりました」
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介助者に付き添われながら、参院選の候補者として紹介される木村英子さん(右から2人目)と舩後靖彦さん=7月3日夜、東京
Kazuhiro Sekine

7月4日に公示される参院選で、介助者の同行が必要な重度の身体障害者が2人立候補することになった。

いずれも山本太郎・参院議員が代表を務める「れいわ新選組」が擁立する。

公示を翌日に控えた7月3日夜、れいわ新選組の候補者発表会があった参議員議員会館近くのホールには、2つの車いすが並んだ。

木村英子さん(54)と舩後(ふなご)靖彦さん(61)。いずれも介助者が同行している。

2人とも比例区で、個人の得票に関係なく優先的に当選できる「特定枠」での出馬を予定している。特定枠は今回から導入される新しい仕組みだ。

木村さんは生後8カ月のころ、歩行器ごと玄関から転落して障害を負い、両足や左手がほとんど動かない。脳性まひも判明した。

小さいころは施設と養護学校ですごしたが、19歳のころ、「地域の中で生活したい」と東京都国立市で自立生活を始めた。

木村さんは介助者の女性にマイクを持ってもらいながら、次のように述べた。

「今日ここにこうしてこれるのは、介護者がいなければ来れなかったことです。しかし今、介護の分野では人出不足が深刻です。私がしたいことは介護保険と障害福祉の統合を阻止して、介護保障制度をよくしていくことです」

一方、舩後さんは千葉県松戸市在住。手足やのどなどを動かす筋肉が次第にやせて力が入らなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている。

大学を卒業して商社に入ったが、41歳だった1999年、突然はしや歯ブラシ、ペンが握れなくなり、その翌年、ALSと告知された。

2002年には人工呼吸器や胃ろうを取り付けたが、今では歯で噛むとセンサーが反応するパソコンを操り、詩歌や童話などを創作している。

その一方で、看護・介護サービス会社の副社長も務めている。

介助者が読み上げた舩後さんの演説文にはこう書かれていた。

「私の信条、自己の最善を他者に尽くしきる。なので今回は当選すれば全難病患者を幸せにするために全力で働きます」

演説文の読み上げが終わると、会場からはひときわ大きな拍手が起きた。

木村さんの演説全文

みなさんこんにちは。木村英子です。

今の私の気持ちは、養護学校から初めて出たときの怖さと、そして健常者社会の大海原に出る恐怖と期待、あの時の思いと今まったく同じ心境です。

初めて一人で社会に出た時、通りすぎる人たちに怖くて、「階段をあげてください」の一言も言えませんでした。

社会とは切り離された施設や養護学校で暮らしてきた18年間の弊害は、分けられてきたことで切符の買い方も知らない、車道と歩道の区別もわからない、人との話し方もわからない。そんな何も知らない私が地域で生きる術(すべ)を身につけるのに35年もかかりました。

重度障害者の私が地域で生きていくためには介護者の存在が最も重要です。

介護者というパートナーがいて初めてお水も飲めるし、トイレや食事もできます。

そして、それ以上に私のやりたいことを実現してくれる介護者がいなければ、社会参加はできません。

今日ここにこうして来れるのは、介護者がいなければ来れなかったことです。

しかし今、介護の分野では人出不足が深刻です。私がしたいことは介護保険と障害福祉の統合を阻止して、介護保障制度をよくしていくことです。

また、施設にいる仲間たちが地域で暮らしたいという思いを実現できるように合理的配慮を進め、差別のない社会を少しでも進めていきたいと思っています。よろしくお願いします。

舩後さんの演説全文

こんばんは。このちょっと短い時間に文字盤で文を作りましたので、短い言葉ですがみなさんにお伝えしたいと思います。舩後でございます。皆さま、お疲れ様です。

私の信条、自己の最善を他者に尽くしきる。なので今回は当選すれば全難病患者を幸せにするために全力で働きます。