1月24日の宜野湾市長選挙で、自民系の佐喜眞淳現職市長が、約6,000票という大差をつけて辺野古基地反対派の志村恵一郎候補を破り、翁長陣営に衝撃が走った。
辺野古移設に反発を感じる大多数の県民の「民意」をバックに、翁長陣営は、保革を越えた「オール沖縄」と自称していた。
だが、今回の選挙で、宜野湾市民の「民意」を失い、与党関係者に「『ハーフ沖縄』になったね」と揶揄されている。
世論調査や出口調査によれば、少なくとも過半数の投票者が普天間の辺野古移設に反対していたという。
にもかかわらず、辺野古移設を事実上容認する佐喜眞氏が勝利したのはなぜか?
『沖縄タイムス』1月25日付電子版の記事の見出しは、ポイントを突いている。
<「どっちか選べなんて酷」宜野湾市民、葛藤抱え1票>
辺野古移設には反発を感じるが、危険な普天間基地の固定だけは絶対困る。
これが、過半数の投票者の本音であったろう。
日米両政府は、辺野古以外に普天間の移設先はないと断言し、翁長知事も県外移設を唱えるが、自ら代替案を探る姿勢を見せてこなかった。
具体的な展望が示されない「県外移設」より、「辺野古工事が止まれば普天間は固定される」という安倍政権の主張の方が現実的だ、と感じる宜野湾市民が多かったのではないか。
彼らは普天間基地返還を実現するために、佐喜眞候補に、苦渋の一票を投じたのだ。
しかし、なんといっても、翁長陣営の最大の敗因は候補者の人選ミスである。
沖縄の大物保守の息子で、県土木建築部の元幹部職員であった志村氏を選んだのは、保守派、土建業界の切り崩しを期待したからだ。
宜野湾市は、伝統的に革新基盤が厚いので、保守の一部を取り込めば勝てる。
これが、翁長氏が描いた戦略であった。
だが、志村氏本人は、典型的な役人タイプで、知名度も低かった。
およそ政治家らしくなく、演説も原稿をつかえながら棒読みするほど不慣れであった。
一方、佐喜眞候補は、現職市長としての知名度に加え、51歳と若く、体育会系の行動派である。
しかも、15年に及ぶ経歴を持つ政治家であり、演説はお手のものである。
公開討論会などで聴衆にアピールする力には大きな差があった。
志村陣営の選挙運動の主力は、組織力を誇る共産党が担った。
そのためもあり、志村陣営は「普天間基地の即時閉鎖返還(あるいは無条件の閉鎖撤去)」「日米安保条約を日米平和友好条約へ」など、「オール沖縄」の本来の路線から離れ、共産党に近い主張すら打ち出した。
これでは、保守派に食い込めるはずがない。
また、志村陣営の主張は基地問題に集中しがちで、生活に直結する経済への言及は弱く、若い世代の支持を得られなかった。
寄せ集め集団であった翁長陣営のまとめ役不在が、選挙運動方針の混乱を招いたと言える。
加えて、公明党の動きが勝負の決め手となった。
自民党は軽減税率問題で公明党案を丸呑みし、自公体制を整えた。
その結果、公明党は佐喜眞氏を推薦しただけでなく、フル回転で選挙運動を展開した。
公明党系の5,000~6,000票が佐喜眞氏に投じられている。
さらに、関係者によれば、下地幹郎氏が持つ3,000~4,000票が佐喜眞氏に流れたという
同氏は、本来、辺野古移設には否定的で、志村氏を支援すると見られていた。
だが、自身が属する「おおさか維新の会」が安倍政権との協力関係を強化しつつあり、終盤になって、佐喜眞氏の応援に回ったと言われている。
公明党が佐喜眞氏の推薦を決めて、形勢は五分五分か、やや佐喜眞氏優勢になり、さらに下地氏系の票が加わって、大差がついたのではないか。
公明党と下地氏を取り込んだ安倍政権・菅官房長官の戦略勝ちであった。
元来「オール沖縄」は、辺野古埋め立てを承認した仲井眞前知事への不信任運動であったが、そろそろ賞味期限が切れてきたのかもしれない。
6月の県議選、7月の参議院選に向けて、翁長知事の力量が問われている。
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