「かわいい」が分からなくなった若者たち。ZOZOやSNSが奪ったモノ

ファッションには本来、人をエンパワメントし、そのマインドを変え、人生を変える力があるのではないでしょうか。

ファッションは昭和後期から平成の時代、ある種の「自己表現方法」として機能してきました。ボディコン、渋カジ、コギャル、裏原系、コンサバ、ゴスロリ、原宿Kawaii系……。どんなファッションスタイルを選ぶのかによって、その人の価値観やマインドが表現されていたのです。

それが2010年代になると、SNSの普及によって、自己表現の手段は多様になりました。「いいね!」数やフォロワー数で、「どれだけ評価を得ているのか」が可視化され、自己承認欲求を満たすツールとして機能するようになった結果、「自己表現としてのファッション」の役割が弱くなっているように感じます。

情報収集も容易なものとなり、テクノロジーやツールの進化によって、人々とファッションとの関係性も大きく変わりました。「手軽さ」「便利さ」と引き換えに私たちが失ったものは、なんだったのでしょうか。

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筆者の軍地彩弓。
保田敬介

 SNS時代の到来で存在価値を見失ったファッション誌

2008(平成20)年、TwitterとFacebookが日本語版サービスを開始し、2010(平成22)年にはInstagramが全世界でサービスを開始。さらにはTikTokやツイキャスといったプラットフォームも登場し、個人が自由に表現することでフォロワーが集まるようになりました。今も人気の雑誌はありますが、部数は確実に下がりました。あえて「ファッション誌」という媒体を介在させる意味合いが薄れてきたのです。

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HuffPost Japan

こうした時代の変化によって、ファッションもその存在意義を問われています。一言で言ってしまえば、SNSとインターネットの登場によって、ファッションは「均質化」の波に襲われました

最近でも、平成当初と現在との入社式の様子を比べ、驚くほど新入社員の格好が均質化していることが話題になりました。就活している学生たちのファッションも、皆一様に黒スーツにタイトスカート、白シャツ、同じバッグに同じ靴……前髪を流す角度さえも。

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Jiji Press

いまや女性社員の服装は「自由」とされ、選択肢は増えました。だからこそ、他人より目立ったり、ずれたりすることへの恐怖心も大きくなっていったのです。多くの若者が「わかりやすいルール」や「正解」を求め、自らファッションにおける「制服化」を望む傾向を感じます。

試しにInstagramで「#オフィスカジュアル」「#オフィスコーデ」と検索をかけると、似たようなシルエットや丈感、テイストのコーディネートがズラリと並んでいます。

アルゴリズム上多くの人が目にする記事や「いいね」を集める投稿によって形作られた「正解」が、多くの人にとってのお手本になり、「無難なオフィスカジュアル」を量産する結果となったのです。

ZOZOが加速させた、情報の「フラット化」

インターネットによって、もう一つ大きく加速した流れが「情報のフラット化」です。

ZOZOTOWNが画期的だったのは、どんなブランドも横並び一列で、価格帯や値引き率、カラーやサイズなど、条件を設定して絞り込む検索方法でした。ブランドの文脈や背景も関係なく、すべてのアイテムが“座標上”に置かれ、ユーザーがフラットに「自分好みのアイテム」を探すファッションプラットフォームを構築したのです。

それによって、全国各地でどんなブランドも手に入るようになりました。「百貨店ブランド」や「雑誌で人気のブランド」「ここでしか買えないブランド」といった付加価値が機能しなくなり、「コスパが良く、適度にトレンド感もあって、周りから浮かないファッション」が求められる背景と相まって、「アイテム別人気ランキング」で今、何が売れているのか、一目瞭然なプラットフォームは多くの女性たちに支持されました。

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beer5020 via Getty Images

今、90年代カルチャーがリバイバルする理由 

ファッションの均質化、フラット化は、若者たちの消費行動に二極化をもたらしています。一つは、先述したようにファッションはあくまで「周りから浮かない」無難なものを選ぶ、という方向性。そしてもう一つは、その「均質化」の流れに抗おうと、「他とかぶらない、自分らしいファッション」を追い求めようとする方向性です。

後者の流れでは、例えば2018(平成30)年、水原希子さんが自らプロデュースするブランド「OK」と、90年代に厚底ブーツで一世風靡したシューズブランド「エスペランサ」がコラボを発表して話題となりました。彼女が90年代のギャルへの憧憬を隠さないのは、当時のギャルたちが体現していた「ウチら最高」というマインドへのリスペクトがあるからではないでしょうか。

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時事通信社

現代の若者“こそ”が憧れる、90年代的価値観とは何でしょうか。

90年代後半から2000年代を振り返ってみると、赤文字系雑誌では渋谷を中心としたギャル文化が大きく花開いた一方、『CUTiE』(宝島社、1989(平成元)年創刊、2015(平成27)年休刊)『Zipper』(祥伝社、1993(平成4)年創刊、2017(平成29)年休刊)『KERA!』(ジェイ・インターナショナル、1998(平成9)年創刊、2017(平成29)年休刊)といった、いわゆる「青文字系」と言われるファッション誌では、原宿を中心としたストリート文化が人気を集めていました。 

青文字系雑誌では、ファッションだけでなく、音楽や映画、漫画など、他のカルチャーとの結びつきが重要視され、漫画家の岡崎京子や安野モヨコが連載企画を持ち、歌手のYUKIやCHARAが表紙を飾っていました。アーティストのきゃりーぱみゅぱみゅも、もともとは『KERA!』の専属モデルから、今に続く人気を獲得したのです。

渋谷系ギャル文化の「ウチら最高」という熱狂と、原宿系ストリート文化の「文脈ありきのカルチャー」としての奥行きが、今の10代、20代の若者にとって、ある意味新鮮で、うらやましいものに思えるのかもしれません。

ある時、知り合いの若者が、「あの頃のファッションって、エモくないですか? 私たち、物心ついたときからSNSがあるのが当たり前だし、周りに『エモい』モノがないから、自分で探すしかないんです」と話していて、それが強烈に印象に残っています。

ファッションが生み出す「ファンタジー」に価値はないのか?

かつて、ファッションには「ファンタジー」がありました。シャネルなどを手がけたデザイナーで、2月に亡くなったばかりの故カール・ラガーフェルドはその最たるものでしょう。コレクション会場に雪を降らせ、滝を作り、宇宙ロケットを発射させ、彼自身が登場した最後のショーではビーチまで作りました。そのスペクタクルな世界観やイマジネーションも引っくるめて、人々はシャネルのジャケットに50万円の価値を見出していたのです。

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ラガーフェルド氏が手がけたCHANELのコレクション(2017年秋冬)
CHRISTOPHE ARCHAMBAULT via Getty Images

けれども日本では、平成不況と情報のフラット化によって、効率優先で「売れるモノしか作らない」MD(マーチャンダイジング) 偏重主義が進行しました。

「着回しのいい服」を求める人ばかりが増え、「ファンタジー」が機能しなくなったのです。それは、パリコレなどコレクション会場のフロントロウ(最前列)を見ても如実に表れています。日本人ジャーナリストやバイヤーの多くはモノトーンやベージュの無難なコーディネートですが、中国人は華やかでハイファッションを堂々と着こなしています。コレクションラインではなく、やや安価で日常的に着られるコマーシャルラインばかり買う日本市場は、今や「うまみがない」と思われがちで、パワフルにコレクションラインを買う中国市場の存在感は増すばかりです。

では、もはや日本において「ファンタジー」は必要ないのかというと、私はそうは思いません。この多様性の時代、選択肢も無数にある中で、その価値基準は「コストパフォーマンス」「デザイン」「サイズ」「素材」「人気順」といった座標軸だけでいいのでしょうか。一度は存在価値を見失いつつあったファッション誌が、今こそ果たすべき役割がある。そう、私は考えています。

『GLAMOROUS』を2003(平成15)年に創刊した時、巻頭特集のたった数ページの写真を撮るためだけに、モロッコまで足を運びました。当時、若手編集部員に「そこまでリアリティのないことに労力をかけるのに、意味はあるんですか?」と投げかけられたことがあります。だけど、私がそこで見せたかったのは「ファッションのパワー」でした。堂々と世界を背景に立つモデルの姿であり、新しい女性像だったのです。

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ルイ・ヴィトンのパリコレクション(2018年春夏)で最後に登場したディレクターのヴァージル・アブロー
Peter White via Getty Images

今、気鋭のブランド「OFF-WHITE」を立ち上げ、建築家でありグラフィックデザイナーでもあるヴァージル・アブローがミレニアル世代に注目され、メゾン初の黒人として、ルイ・ヴィトン メンズの新たなアーティスティック・ディレクターに抜擢されたのは、偶然ではありません。彼の活躍は、複雑な多様性の時代だからこそ、多くの人が新たな価値基準やその背景、分脈を求めているということを示唆しているのではないでしょうか。

そこでファッション誌……もはや雑誌でもない、他の何かかもしれませんが、新たなファッション・メディアができるのは、InstagramやZOZOだけではわからない、ファッションの背景や文脈、文化を伝えること。予定調和ではない、未知のものとの出会いを作ること。何がクールで、何がかわいいのかを、迷える若者たちに伝えることなのではないでしょうか。私自身、ファッションには人をエンパワメントし、そのマインドを変え、人生を変える力があることを信じています。

【企画編集:水野綾子(FIREBUG)、大矢幸世 撮影:保田敬介】