「生きた」土から、大地の恵みを凝縮したジュースが生まれる
30年間、農薬も化学肥料も一切使用せずに、野菜の栽培を続ける茨城県・つくば市のとある畑。土は驚くほどふかふかで柔らか。微生物がたっぷり生きた土壌では、農薬や化学肥料を使わなくても、栄養たっぷりの野菜ができる。
この畑で栽培された、穫れたてのケールやにんじんは、畑に隣接した工場でコールドプレスジュース『mother juice』に冷凍加工される。栄養素が壊れないようにゆっくりとすりつぶし、水を一切加えず、野菜の酵素とビタミンが凝縮されている。
手間がかかる畑の手入れと、ジュースの販売に参加するのは、障がいのある人たち。普段は「支えられる」側である彼らが、ジュースを通じて飲む人の健康を「支える」側になる。この取り組みを始めたのが、フリー編集者の羽塚順子(はねづか・じゅんこ)さん(55)だ。
羽塚さんは、取材を通して出会った経営者と農家、福祉作業所を繋いだ引き出物のプロデュースに携わったことを機に、多くの「ウェルフェアトレード」に関わってきた。
ウェルフェアトレードとは、ウェルフェア(社会福祉)と、フェアトレード(公正取引)を組み合わせた造語。社会的弱者と呼ばれる人たちが作る製品やサービスを適正な価格で購入することで、その人たちが働く生きがいを持ち、自立することを支援する仕組みだ。
羽塚さんは今、コールドプレスジュースを通じて、ウェルフェアトレードに取り組んでいる。
ケールとにんじんはいずれも品種改良されていない原種の種を使用する。
障がい者を取りまく「不条理」を変えたい
社会的に弱い立場にある人たちの仕事づくりや、自立を支援する活動に取り組むようになった背景には何があるのか。
羽塚さんは中学生のとき、父の仕事の都合で住み慣れた神奈川県から三重県へと転居した。しかし、ほどなくして父の勤務する会社が倒産し、父は妻と子と置いて出て行ってしまった。親の都合で思うように生きられない不条理さを、子ども心に感じた。
20代の頃には、公立中学校の身障学級(現・特別支援学級)で、障がい児指導に携わっていたことがある。教育実習の現場で目にしたのは、情緒障がい児と言われる子どもたちが、隔離され、向精神薬で薬漬けにされている様子だった。
「彼らは思っていることを上手く伝えられないだけで、普通の子と変わらない。それを薬で押さえつけてしまうことに不条理を感じました」。
小さな頃から抱えていた、不条理に対する憤り。自分のことに限らず、不条理を感じると、いてもたってもいられなくなる。それが羽塚さんを動かす原動力になっている。
摩擦や熱をかけず、野菜のエキスだけをゆっくり搾るコールドプレス製法で作るジュースは、酵素や栄養素が95%残っている。
微生物が豊富な畑の土。30年以上農薬も化学肥料も使わず、土作りからこだわる。
福祉作業所の工賃は月3000円程度の所も。仕事づくりの現状を変えなければ
障がい者が通う福祉施設の工賃(給料)の安さも、不条理を感じることの一つなのかもしれない。
障がい者の多くは、意欲はあっても一般企業への就労が難しいのが現状だ。福祉作業所に通い、焼き菓子やパン、縫製品の製造、袋詰めなどの作業を行うことが多い。そうした福祉施設は全国で1万カ所近く存在する。
羽塚さんはたくさんの福祉作業所を視察した。施設経営者の多くは熱意にあふれていたが、福祉のプロであっても、経営の面では素人だ。魅力的なオリジナル商品を開発し、営業をしかけ、製造工程を管理し、利益を上げる仕組みは作れていなかった。
そのため、障がい者が手にする月額の工賃は全国平均で1万4000円程度。月3000円程度の福祉作業所も少なくない。
そんなとき、群馬県の福祉施設でハンドミキサーによる手作り生ジュースの販売を行ったところ、一定の手応えを感じることができた。
「ジュースなら人々の健康を支えることができるのではと思いました。ただ、施設単位で取り組んでも、持続可能な仕事にするのは難しい。そこで、ジュース作りのノウハウを持つ農業生産法人と提携してもらうことを目指しました」
編集者でマザーネス株式会社取締役の羽塚順子さん。「ソーシャルファーム」と「ウェルフェアトレード」をキーワードに活動している。「"思いやり社会"を作るお手伝いをするのが、マザーネスのミッションです」
民間の技術をかりてコールドプレスジュースを販売
畑を運営・管理する茨城県つくば市の農業法人が羽塚さんの想いに賛同し、畑の一画の5アールの土地を貸してくれることになった。
畑の作業を障がい者が行い、そこで収穫されたケールやにんじんを加工して『mother juice』として販売する。渋谷区の福祉カフェでは、販売も行う。
繰り返しの単純作業が得意な人にも、じっとしていることが苦手な人にも、太陽の下で体を動かす農作業はとても向いているという。なかには、生まれて初めて触れた土に感動し、涙を流す人もいる。
ケールの葉の裏についたアブラムシを1匹ずつ手で取り除いたり、手作業で収穫したりする作業は根気がいるが、土に触れて大地を感じながら、自分たちがジュースを飲む人の健康を支えているのだという意識を持つことは、障がい者の自己肯定感にもつながる。
この取り組みが評価されて、昨年グッドデザイン賞も受賞した。
より多くの障がい者がこの仕事に携わるために、ジュースの販路を確保することが目下の課題となっている。ホテルやレストラン、企業とのまとまった取引があれば、障がい者への工賃にも還元できる。
3月5日に、障がい者とともに、種まきや収穫を体験する初めてのイベントを開催する。ふかふかの畑に裸足で入り、綱引きをしたり、寝転んで土風呂を楽しんだりもする。全国のソーシャルファームで作られた農産物を提供するランチパーティや、近くの日帰り温泉施設の入浴も予定している。
このイベント参加を通じて、『mother juice』の取り組みを支援できる。
◇『mother juice』を支援する方法など詳細はこちら。