私は25年前からドイツに住んで執筆を続けている。ネットなどで毎日接する日本からの情報には、驚かされることがある。特に奇異に感じるのは、在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチを日本の警察が厳しく取り締まらないことだ。
ドイツは、ヘイトスピーチを世界で最も厳しく取り締まる国の一つだ。ヘイトスピーチは、刑法第130条の「民族扇動罪(Volksverhetzung)」に該当し、裁判所は最低3ヶ月、最高5ヶ月の禁固刑を科すことができる。刑法は民族扇動を次のように定義する。
•民族や人種、宗教、国籍を理由に一部の市民に対する憎悪や暴力の行使を煽ること。
•民族や人種、宗教、国籍を理由に一部の市民を罵ったり、誹謗中傷を行ったりすることによって、人々の尊厳を傷つけること。
この国の捜査当局は、民族扇動を行った市民を厳しく摘発する。たとえば、酒場で「ヒトラーにノーベル賞を授与するべきだ」という歌詞を含む歌を披露した歌手が、有罪判決を受けた。ある極右政党の党員は、「外国人は、ドイツの社会保障制度を食い物にする寄生虫だ」と言って有罪になった。外国人排斥を求めるデモに参加した、未成年の少女2人は、他の参加者が「外国人はドイツから出て行け」と叫んだ時に、このデモから離れなかったために警察に検挙され、社会福祉施設での労働を命じられた。
ドイツの捜査当局がヘイトスピーチに厳しい態度で臨む最大の理由は、ナチスによるユダヤ人らに対する迫害だ。ナチスはユダヤ人を誹謗中傷し、市民のユダヤ人に対する憎悪や反感を煽り立てた。多数のドイツ市民がホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に直接的・間接的に関わったが、その前提は、ナチスが映画や新聞まで使って一部の市民を「言葉の暴力」で攻撃したことだった。ナチスによるヘイトスピーチが、社会の中に「ユダヤ人は迫害されても仕方がない」という空気を生み出した。
日本では憲法21条が保障する表現の自由を根拠として、ヘイトスピーチの禁止に反対する人々がいる。日独の間には、表現の自由に関して大きな見解の違いがある。ドイツ政府は、ナチスの思想を「絶対悪」と見なし、表現の自由をあえて制限している。
ヒトラーの著書「我が闘争」は禁書になっており、研究目的以外では購入できない。「アウシュビッツ強制収容所でのユダヤ人の大量虐殺はなかった」とか「ユダヤ人の犠牲者数は、通説とされている600万人よりもはるかに少なかった」という主張を雑誌などに発表することも、民衆扇動として摘発される。ナチスによる犯罪を矮小化する行為だからだ。デモの時にナチスの紋章である鉤十字の旗を振ったり、ナチス親衛隊の紋章を縫い付けた服を着たりすることも、刑事罰の対象だ。
日本の読者の中には、「表現の自由をここまで制限する必要はないのではないか」と思われる方もいるだろう。それは、ナチスの犯罪の細部をご存じないからだ。私は検察庁の公判記録でユダヤ人虐殺の詳細について読んだり、ナチスに拷問された後アウシュビッツに送られた女性にインタビューしたりすることによって、ナチスの恐ろしさを知った。ドイツには少数派であるとはいえ、今もネオナチ政党があり、外国人を標的にした殺人事件も起きている。一部の市民の間には、トルコ人やイスラム教徒に対する偏見も残る。
このためドイツ政府は、ヘイトスピーチを放置してはならないと考えているのだ。他民族国家シンガポールでも、ヘイトスピーチはもちろん、特定の人種や宗教を揶揄するブログへの書き込みも厳しく糾弾する。
経済のグローバル化という観点からも、日本政府がヘイトスピーチを放置しているのは時代遅れだ。日本は、2020年のオリンピックの開催国だ。「おもてなし」を世界に誇り、G7首脳会議に参加する国が、この問題に手をつけないのは、矛盾ではないか。日本も、一刻も早く言葉の暴力を取り締まる法律を制定するべきだと思う。
北海道新聞「各自核論」掲載の記事に加筆の上、転載。
筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de