「幸せなはずのその時に、しんどいとか辛いとか、自分の痛みばかり主張して、そんなのちっとも、母親として正しくない。きっと誰もがそう思う。(略)でも私には、涙が出るほどしんどかった」
漫画家・はるな檸檬さんの新刊『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』は、こんな率直な「しんどさ」の告白から始まるコミックエッセイだ。赤ちゃんは無事に生まれたのに、どうして私はこんなにも孤独でつらいのだろう? ほのぼの笑えるハッピーな子育て漫画ではなく、妊娠・出産で身も心もズタボロになった体験を描くことをあえて選んだのはなぜか。はるなさんに話を聞いた。
■「幸せなはずだから、言えない」から始まった産後の孤独
――『れもん、うむもん』は妊娠・出産・育児編の3章からなりますが、とりわけ出産直後、ママになりたての心身のしんどさが印象的です。
コミックエッセイ『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』
子育て漫画はすでに名作がいっぱい世に出ていますし、今さら私があらためて描くことはないだろうと。それよりも衝撃的だったのは出産体験だったので、そこを描こうと思いました。
――夫や友人、先輩ママが登場する大変ながらもにぎやかな妊娠編とは対照的に、出産編はひたすらに孤独なモノローグで産後のつらさが描かれています。
痛くて、孤独で、とにかくつらかったですね。でも、誰かにこのつらさを聞いてもらおう、とはまったく思えなかったんですよ。私は帝王切開だったんですが、やっぱり周囲には自然分娩の人が圧倒的に多くて。その時点で「手術でラクだよね」「陣痛とかないのいいね」って声もありましたし、そんな私が何か言ったところで「もっとつらいお産をしている人はいっぱいいるし」という思いもありました。
出産って最悪の可能性はいくらでもあるじゃないですか。「それに比べたら、幸せいっぱいじゃない?」と言われることは容易に予想がついたので、何も言えませんでしたね。「幸せなはずだから、言えない」っていう。
■東村アキコ先生と私の産後は、まったく別物だった
もうひとつ、私が「言えない」と思ってしまった理由には、師匠である漫画家・東村アキコ先生の産後を見ていたから、というのもあるんです。私、東村先生が出産した翌々日に病院にお見舞いに行ったんですよ。そしたら先生は赤ちゃんを抱っこしながら「超かわいいんだよね。すっごいアドレナリン出る」って言ってて。しかも先生は産む前からめっちゃ母乳も出てたから、産後ってそういうものだとばかり思ってしまった。
だから自分が産んだ赤ちゃんを見て「土偶にしか見えない」と感じたことや、母乳が全然出ないこと、赤ちゃんがおっぱいから飲むのを嫌がることにもびっくりしちゃって。私が特異なのかな、普通と違うネガティブ思考なせいでこうなっちゃったのかな、と考えてしまった。それもつらさを人に言えない理由になってしまいました。
――同時期に出産・入院したママたちとも、そのつらさは共有できなかった?
同じ時期に入院している人たちとも、「話してみたい」って気持ちはあったんです。でもお互いにまったく余裕がない。みんな目の前の自分の子に精一杯で、周囲に目を配る余裕がないんです。他のお母さんたちとは毎日授乳室で顔を合わせるんですが、すっごい静かでしたね。たまに挨拶も試みたんですけど、目が合わない。そうして、ただでさえ殺伐としていた産後の心がさらに殺伐としていくという……。
そういう経験をいっぱいするにつれて、こういうものなのか、って最初から諦めてしまったところはあるかもしれません。
――病院に来た夫にもつらさを説明する気力がなく、「押し黙っているしかない」シーンがありましたね。
物事を一から説明して最後までたどり着こうとすると、相手の時間を拘束しちゃうじゃないですか。「じゃ今から話すよ、こういうことがあってね~」ってそれをするだけの精神状態に、産後はなれなかった。何をどうしたらしんどさが伝わるのかが全然わからなかったから、夫に言ったところで絶対わかってもらえないと思っていましたね。
私もこの本を描いたおかげで、初めて外に出せた思いがいっぱいあります。やっぱり「描く」ってすごく特殊なことで、玉ねぎの皮をむいた、奥のちっちゃいところでも出せるんですよ。でも普段の会話でそれを出すのって、めちゃめちゃ難しい。
――産後のその一番しんどい時期から「いつか漫画にしよう」という思いはあった?
私、わりと常に自分をこのへん(斜め上くらい)から見るクセがあるんです。入院中でもずっとそういう視点はあって。痛みに泣き叫びながらも、同時に「夫に胸の痛みをなんて説明しよっかな。彫刻刀がブスッと刺さってる感じかな~」って考えている自分もいる、みたいな。
だから本に描くという形じゃなくても、とにかくこのことを伝えたい、「こんだけしんどいのにずっと秘めておくことはないぞ!」という思いはありましたね。私とまったく同じでなくても、似たような経験や思いをする人はこれからもいっぱい出てくる可能性がある。そう考えたら、このしんどさを表に出す意味はあるんじゃないかって。たぶん私も出産を体験する前に、こういうことを情報として知っていたら違っただろうなと思うので。
上の世代の人たちからは、批判されるし怒られるんじゃないかと思っていたんですが、それでもこれから産む人や私より下の世代の子が少しでも「ああ、こういうこともあるのか」と知ってくれるならそれで充分だ、と思いながら連載を始めました。
■産後のつらさ、みんなも「隠してた」だけだった
――雑誌「ROLA」オンライン版での連載中はどんな風に当時の心境に向き合っていたのでしょう。
やっぱり「忘れたい」っていう気持ちも強いんですよ。思い出すのがしんどすぎて、描きながらいつもボロボロ泣いていました。こんなこと描いたら批判を受けるんじゃないか、イヤだなイヤだな、って。
だから思い出さないで済むなら、それでいいのかもしれません。わざわざ痛い思いを掘り起こさなくても、今目の前の子どもの可愛さに集中していたほうがいい。そのほうが人間としてはラクだと思います。だから連載中も、「こんなにつらいこと、そりゃみんな忘れようとするし、人には言えないよ!」と改めて感じてました。
――とりわけ最終話に対する反響が大きかったですね。Twitterでは「泣ける」「共感した」というコメント付きで多数RTされていました。
「なに一人だけ甘えてるの?」「出産はみんなやってることなのに」と怒られるだろうなという気持ちで描いていたのに、共感の声や感想をたくさんもらってもうびっくりして。夫の妹や、「この子にはわかってもらえないか」と思っていた友人も、「すごい泣きながら読んだ」って言ってくれて。「え、泣くんだ!? 平気そうに見えたのに!」って。
私は彼女たちの産後も見ていてずっと近くにいたけど、みんな平気そうに見えてたんですよ。「つらいつらい」とは言っているけれど、みんな強い子たちなのかな、こんなに焦って泣いて叫んでるのは私だけなんだろう、と思っていた。でもそうじゃない、みんな隠してただけなんだってことをこの本を描いて初めて知りました。
(後編は5月21日掲載予定です)
はるな檸檬(はるな・れもん)
1983年、宮崎県生まれ。漫画家。2010年、宝塚ヲタクを題材にしたWeb連載「ZUCCA✕ZUCA」にてデビュー。全10巻を超える人気シリーズとなる。その他の著書に自身の読書遍歴を描いた自伝エッセイ漫画『れもん、よむもん!』や『タカラヅカ・ハンドブック』(雨宮まみとの共著)がある。
出産・産後の孤独としんどさ、それを乗り越えた先にある「母性」の強さを描いたコミックエッセイ『れもん、うむもん! ――そして、ママになる――』(2016年3月刊行)が注目を集めている。「れもん、うむもん」公式ツイッター:@lemon_umumon
(取材・文 阿部花恵)