「障害者」じゃなく「障害のある人」という視点から障害者差別解消法を考えてみませんか?

大切なのは、「何の障害をHaveしているか=何に困っているか」なんですよね。
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「障害者」ときいてどんなイメージを浮かべますか?

それはなんらかの症状ですか?

人物像ですか?

「かわいそう」という感情ですか?

障害者や健常者という言葉を使う人が多いと思うんですが、その言葉の定義の違いは「障害があるか、ないか」ですよね。

でもね、障害のある人っていうのは、四六時中「障害者」ではないんですよね。障害の影響がある事もあればない事もあるはずです。

私は「障害者」ではなく「障害のある人」という表現を好んで使います。それはこの「障害の影響を受ける場合」もあれば「障害の影響を受けない場合」もあるという事を明確にしたいからなんですよね。

それともう一つ。アメリカでは、障害のある人をBeing(障害者)ではなくHaving(障害のある人)ととらえる傾向があります。これは、「基本は皆と同じ人間」で障害のある人は障害を伴ってるという考え方が根底にあるからなんだと思うんですよね。

例えば、生まれる前から障害を伴ってる人もいれば事故等で後から障害を持つ人もいますよね。後天的に障害を持ってもその人はその人のままですものね。こんな風に考えると、生まれる前から先天的に障害がある人も、皆と同じ一人の人っていうことがわかってもらえるかな。

でも、障害のある人もない人も同じ一人の人なんだけど、「障害がある」という事は、障害のない人にとって便利だったり不自由のない社会では「社会的不利」な状況に置かれやすいんですよね。

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●障害者差別解消法ってどんな法律?

来月、2016年4月に「障害者差別解消法」が施行されます。

「障害者差別解消法」ってはじめて聞く方はどんなイメージを抱きますか?

なんだか、障害のある人に特権を与えたり、はれものを触るように何でもかんでもお手伝いしなきゃ罰せられるからとりあえず障害者を見たら助けなきゃ、的なイメージを抱える方もいらっしゃるかと思います。

でもこれは、障害を理由にした差別をなくして、障害のある人もない人も共に生きる社会を作ることを目指した法律なんです。すなわち、障害のある人の「社会的不利」をなくす為の法律であり、障害のある人も同じ一人の人として共に同じ社会で生きて行けるようにしましょうという法律でもあるんですよね。

それに「障害者」を優遇や特別扱いする為の法律ではなく、障害のある人が社会で生きて行く上でその人が抱える障害ゆえに難しい事を社会の問題としてとらえて解消し、障害のある人がない人と同じように同じ社会で当たり前に過ごせるようにしましょうという法律なんですよね。

ここでポイントになるのが先に説明した、「障害のある人をBeing(障害者)ではなくHaving(障害のある人)」と、とらえることだと思うんです。大切なのは、「何の障害をHaveしているか=何に困っているか」なんですよね。

例えば、障害のある人には障害の影響を受ける部分も受けない部分もありますよね。その「影響を受けない部分」にまで配慮があればそれは優遇・特別扱いになり、障害のない人から不満が出て当然だと思うんです。この法律で保障していることは「障害の影響を受けている部分」に配慮することなんですよね。

障害者だから配慮されるべき、ではなく、障害があって困ってることに配慮や支援を提供して、障害がある人も障害がない人と同じように過ごせるようにしましょう、同じように社会参加できるようにしましょうというわけなんです。

●「不当な差別的取り扱い」と「合理的配慮をしないこと」が差別ってどういうこと?

この「障害者差別解消法」では、障害のある方への「不当な差別的取り扱い」と「合理的配慮をしないこと」を障害のある人への差別と位置付けています。なんだか難しい言葉が並んでますよね・・・。

一つ例をあげてみます。

先日あるイベントに参加した時の事です、会場への入場の際長蛇の列に並ぶ必要がありました。おまけに入口の前には急な階段がありました。そこで、階段下の横に「車いす利用の方、急な階段を上るのが難しい方は声をかけてください。エレベーターまでご案内いたします」というコーナーが設けてありました。

その時に、車いすを利用した方が「階段が上れないから手伝ってほしい」と申し出ておられました。その時係の方が「列に並べますか?並べない事情があるなら今すぐお手伝いします。並べるのなら並んでください。そして改めてこの場所までいらした時にお手伝いいたします。」と。

このケースで「不当な差別的取り扱い」というのは、

  • 障害者という理由だけでイベントに参加することを断ったり
  • 車いすを利用しているという理由だけで入場を断ったり
  • 他の人と同じように並べないという理由で参加をあきらめさせる

ということです。

でもこれらの事は「合理的配慮」で解消できるんですよね。

「合理的配慮」というのは、障害のある人が障害が理由で困っている時に、その人がわかりやすい方法や工夫で配慮をして、その人の困ってる事を解消しましょうということです。

このケースだと、

  • 階段を上るのが難しい人の為にスロープやエレベーターを設置する。それが難しい場合、他の方法で工夫すること
  • 列に並ぶのが難しい人の為に配慮すること(なぜあの人だけ並ばなくていいの?という不満が起こりそうですが、これは目に見えない障害を持ってる人に多いんですよ)
  • 見通しが持てない事で不安になる人に、目安時間を示すこと
  • 耳の聞こえない人の為に、案内は口頭だけでなく文字や看板でも示すこと

といった、障害のある人が困ってる事を解消するための工夫なんですよね。

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障害者差別解消法が差別を禁止しているのは、役所や会社などであって、個人的なレベルで罰することはしません。

でもね、罰せられる・罰せられないじゃなく、困った人を見た時に自分に余裕があれば手を貸せる人が増えてくれればなって思うんですよね。だってね、いくら役所や会社が障害のある人に配慮しても、障害のある人は、人と人のつながりの中で生きているんですもの、やっぱり「人」の支援なしにはなかなか不自由なく暮らすのは難しいんですよね。

スロープをつけたりといった街中のバリアフリーは着実に進んではいるんですけど、障害のある人が障害があるという理由だけで差別されたり、見下されたりといった事はまだまだ多いんですよね・・・。

だからこの障害者差別解消法の誕生が、障害のある人も同じ一人の人なんだよっていう心のバリアフリーが進んでくれるきっかけになってくれればなって願っています。