平成を席巻した『Hanako』族のバイブル【創刊号ブログ#5】

首都圏の20代未婚の女性読者を取り込み、「ハナコ族」「ハナコ世代」という言葉まで生み出した。
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独身OLにとって情報源と言えば、この雑誌だった。
たまさぶろ

 首都圏在住、現在40歳から50歳代の女性で、この雑誌を手にしなかった方はいないのではないか...。もはや解説を必要としないだろう有名女性誌『Hanako』を取り上げる。

 本誌は、20代の未婚女性をターゲットとし首都圏のみで創刊された週刊誌だ。それまで「週刊誌」と言えばオジサンの牙城、もしくは『週刊女性』や『女性自身』のように「パーマ屋に通っている」ような女性を読者層としていた、いまひとつ垢抜けない雑誌カテゴリーに過ぎなかった。しかし本誌は時代に先駆け、若い女性読者を取り込み「ハナコ族」、「ハナコ世代」という言葉まで生み出した。

  1988年6月2日号として創刊。発行人は「当然」木滑良久、編集人は椎根和(しいね・やまと)。

  本稿で「マガジンハウス」を取り上げるのは初めてゆえ、少々解説。木滑という方は、出版界で「超」をいくつつけたら良いかわからないほどの著名人。同社の要職を歴任し、現在最高顧問を務めている(はず)。立教大学文学部卒というから、私にとっても大先輩にあたるが、一度も挨拶の機会には恵まれていない。

  大卒後、平凡出版に入社。マガジンハウスへと社名を変更したのは、1983年のこと。同社はもともと1945年、終戦の年の10月に「凡人社」として創業した。「飛ぶ鳥を落とす勢い」というフレーズは、まさにバブル期の同社を表す。海外取材に出て象を購入、領収書で落とした...という伝説を持つのも同社であることを追記しておく。

  木滑は1965年以降、『週刊平凡』、『平凡パンチ』、『an・an』、『POPEYE』、『BRUTUS』、『Olive』など同社の屋台骨とも言える各誌で編集長を務め、『Hanako』創刊も主導。1988年には代表取締役にも就任している。

  一応、出版業の隅っこにいた者としては原稿上とは言え、呼び捨てにするのも憚れるような雲の上の存在。その頃、雑誌編集者を目指すような輩は、「木滑さんのような編集長になりたい」とさえ思ったもの。『Hanako』はその木滑が現場に介在した最後の雑誌だろう。

  タイトル・ロゴと表紙は、オーストラリアのアーティスト「ケン・ドーン」の手による。タイトル・ロゴは、現在発行されている同誌でも踏襲されている。

  今、創刊号に再度目を通すと、特に目を引くような目新しさは感じない。それまでの週刊誌同様、非常に雑多なネタが、ただし「若い女性向けに」てんこ盛りになっている。表紙を見てわかる通り、謳われている特集は「いい部屋はステイタス すぐ借りられます。厳選27ルーム」とあるだけ。特に華々しい企画でもない。

 表紙を刳ると、表2に資生堂「フェアウィンド」というファンデーションの広告のみ。バブルの絶頂期であったことを振り返ると、広告も極めてコンベンショナルで、かつ広告量も非常に控えめだ。むしろ、現在の同誌のほうが広告は目立つ。

  目次に目を落とすと、多様なラインナップが並んでいる。冒頭より「今週いちばんエキサイティングなニュース」、「事件、風俗etc......好奇心100%のライフ・リポート」、「観て、聴いて、感じて......東京エンタテインメントガイド」、そして「厳選27物件」の特集へと続く。

 ひどくおとなしい。「Hanako族」などと揶揄されるほどの派手さはどこにもない。強いて言えば、99ページから、平野レミ、片岡義男、安西水丸などがグルメエッセイを執筆している程度。巻末には、星座占い、そして、中野翠のエッセイで終わる。

  表3の広告は、武田薬品の口臭予防ABB「ミント」。な、なんて地味なんだ。表4は松下電器産業株式会社「ナショナル」のコードレスヘアフォームという、いわゆるスタイルフォーム用のドライヤーの広告だ。まったく華々しいイメージがない。

 私の記憶のみを頼りに振り返ってみると、同誌が爆発的人気を博したのは創刊から少々経ってからではなかっただろうか。毎号、首都圏近郊の「お洒落な街」を取り上げ、現在テレビ東京でオンエアされている番組「出没! アド街ック天国」のようにそれぞれの街を、ただしお洒落に紹介するフォーマットが出来上がり、人気を博した。

  その恩恵を被ったのは、さして多くのお洒落店舗があったわけでもない「代官山」など。都内の街は、同誌の特集に取り上げられるたびに賑わった...というからくりではなかったか。

  この確証を得ようと、自身の書庫を漁って来たが、どうもこの頃のHanakoが見当たらない。編集者として丁稚奉公を始めた頃、また新入社員として出版社に潜り込んだ時期なので、相当数の雑誌を購入したはずなのだが、渡米に際し処分してしまったのか、ぱっと見渡しただけでは探し当てることができなかった。無念。

 もちろん、この創刊号の細部に目を通して行くと、そこはかとなくバブルの香りが漂って来る。中綴じのセンター広告は、ヤマハレクリェーション株式会社が展開するヤマハリゾート「はいむるぶし」の広告。旅行主催は日本交通公社、現在のJTBが請け負い、リゾート感をアピールしている。そしてBAR評論家として私がとてもお世話になっているサントリー株式会社は当時「サントリーカード」というクレジットカードを発行していたことが、中の広告から判明。カード申し込み用紙でページを構成している。

 高倉健の連載も盛り込まれているが、たった1ページが割かれているだけ。絶頂期なら5ページぐらいの特集になりそうなネタだ。また、レストランガイドのページでは、なんと各店舗から広告が入っており、現在のグルメサイトの登場を予見させる作りも見せている。

  当時、東京国立近代美術館で行われていたルネ・マグリット展の広告を見つける。突如、後に某局のアナウンサーとなる女史とこのマグリット展を訪れデートした記憶が蘇る。恐ろしい。

 雑誌は、こうして時代時代の瞬間を切り取り、発行されればアップデートもされないゆえ、本当に時代性を反映するメディアなのだなと、感心する。

  1990年には『Hanako WEST』という関西版まで創刊。その人気を不動のものとするが、やはりネットでの情報収集が主流となった2000年以降、部数を減らし、本誌は2006年以降は「隔週刊誌」へと変貌。「WEST」は2009年を最後に休刊した。

 さらに2018年9月27日号「創刊30周年記念号」1165号を最後に、キャッチを「東京を、おいしく生きる女子たちへ。」と換え月刊誌に生まれ変わった。スマホのアプリ「dマガジン」などでまとめて雑誌が読めるようになった現在、隆盛を誇った本誌も発行部数8万部を割り込み、果たしていつまで生き残るのか、興味深い。